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第10話

 寝室に入るとすぐに、それを待っていたかのようにすぐにノックの音がした。返事をすると扉を開けて入ってきたのは妻だった。

 部屋には青い影が満ちている。薄いカーテンを、明るい月の光が透かしている。

 ナイトウェアの彼女を見るのは初めてだった。結婚して半年も経とうというのに、おかしなことだったが。

 白が可憐さを引き立てている。かわいらしい。今すぐに抱きしめたい、と思ったが堪えた。

 内心の動揺を悟られぬよう、平然と部屋に招き入れる。

「アレクシス様、あの、お話があるのです」

 話どころではない。腰に手を回し、ソファに座らせた。

「あ、あの。ち。近いです……」

 脚と脚、腰と腰が密着するように座った。触れたところが温かい。

「そう?」

 ほほ笑みかけると、薄暗い部屋の中でも頬を赤らめたのがはっきりと分かった。

 次の瞬間、その顔がくしゃりとゆがんだ。

「アレクシス様……!」

 突然のことに驚く。

「セシル。どうしたの?」

 背中をさする。

「抱きしめてください」

 もちろん、と言って肩に手を回す。細い、華奢な体だ。

「今日は頑張ったね。疲れただろう」

 豊穣祭のことだ。品のない陰口に彼女をさらしてしまった。不仲を噂されようとなんだろうと、あのようなことを言われるくらいならずっと守っておけばよかったと悔いた。

「大丈夫です」

 健気な言葉に、胸が痛む。

 彼女からは、誘拐された際に「汚された」ことはなかったと聞いていたし、その言葉をそのまま信じていた。減刑を望む彼女の寛容さもその証明だと思っている。それを聞き入れるつもりはなかったが。

「本当に?」

 肩に手を回し、引き寄せる。

 結婚したばかりのころはお互いに距離があった。それが、手紙を通じてやりとりするうちに、少しずつお互いのことを知り、事件の後には、こうして甘えるような仕草までしてくれるようになったことが、本当にうれしかった。

 セシリアは胸に手を当てて、何か言いたげにしている。その目は涙に濡れていた。

 かわいい。

 そっと顔を近づけるとーー

「いけません!」

 胸を強く押し返された。

「わ……私のような、卑しい者に、そ、そんなこと」

「抱きしめるのはよくて、キスはダメなの?」

 拒まれたのは内心傷ついていたが、それでも冗談めかし、笑って言う。が、セシリアの涙は止まらない。

「卑しくなんてないよ」

 誘拐事件のことを言っているのか。もし仮にあの事件で何かされていたのだとしても、彼女を汚いなどと思うことはない。

 意を決したような表情で、セシリアがアレクシスを見上げた。

「私は、セシリアではないのです……」

 頭が真っ白になる。どういうことだ。

「本物のセシリアは、もう亡くなっています」

 アレクシスは、目を閉じた。少し考える。そしてすぐに言う。

「初めから知っていた」

 口から出まかせだ。

「結婚前に身辺調査をさせている。その時に報告があった。だから初めから知っていた」

 全部嘘である。アレクシスは虚勢を張った。

「そ、それで私となぜ結婚を……」

「御しやすいと考えたんだ。どうせ愛のない結婚だと思っていたからね。それなら、自分の思い通りになる人の方がいいと」

 でも君は違った、と笑う。セシリアも自覚があるのだろう、気まずそうに俯く。

「……もちろん今では後悔しているよ。愛がないなどと言ったこと」

 すまない、と今更また言う。

「愛しているよ」

 セシリアの目が見開かれる。

「僕が愛しているのは、君だ」


 ぽつりぽつりと話すセシリアの話を、驚きながら聞く。顔には出さない。どこまで知っていたことにしようか内心で試案する。

「私は孤児でした。キャラバンでは、八番と呼ばれ、名前もありませんでした」

 そのひどい暮らしを聞き、胸が締め付けられた。今から時間をさかのぼって彼女を助けに行きたいと夢想するほどに。

「苦労したんだね」

 その小さな手を握る。初めて手を握ったあの馬車の中。違和感はあった。

 触らなければわからないほどではあったが、その手の甲には傷跡のおうとつがあった。貴族の令嬢にはふさわしくない折檻のあと。

「これからは、僕が守る」

 セシリアの瞳が不安そうに揺らぐ。

「正気ですか」

 言われように、ひどいな、と笑いかけても、その表情は暗い。

「身分を偽っていたなんて知れたら、死刑でしょう。あなたも同罪になりかねない」

「構わない」

 結婚した後に、その相手が運命の相手だとわかるなんて不思議な話だ、と思う。

「ずっと一緒にいよう」

 セシリアの眉が歪む。嗚咽を上げ泣き出す。その肩を摩る。

 今度こそ、その唇に口づけをした。やわらかく、少し湿って、冷たかった。

 ーー君が僕を欺いていたというなら、僕も同じ罪を背負おう。そのためには、君を欺く嘘も厭わない。

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