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天人豆腐

作者: 渚のいん

2010年に同人誌『Spファイル』に掲載した作品です。

唐突に『けいおん!』ネタが入るなど時事ネタの古さはそのままにしてますが、ところどころ時流に合わせて修正しています。

この時のテーマが「UFOはちょっとさみしい」だったのでこんな話に。


※pixivに掲載済みのものを加筆修正して投稿しています。

「って知ってます?」


 フォークでソーセージをつつきながら、北林はそう言った。

 てんじんどうふ?

 聞いた事の無い単語だった。

 知らんなぁ、と言いかけてやめる。

 そう答えるのが癪だった。

 意味無いが。


「ああ、あれだ、太宰府天満宮の境内で特別に製造販売を許可された豆腐屋の事だな」

「いや、違います」

「じゃあ、梅干の種ん中に入ってる奴を集めて煮固めた精進料理か」

「それも違います」

「だったら…」

「すいません高木さん、言い忘れてました。天の神様ではなく天の人です、残念ながら」

「ああ、そう」

「なんであんたは呼吸するような勢いで嘘つけるんです?」

「失礼だな。俺は嘘はつかんぞ。ホラは吹くが」

「それで天人豆腐なんですけどね」

「てめぇ、スルーすんじゃねぇよ」


 言いつつも気が済んだのでビールグラスをあおる。

 初夏の分際で真夏日寸前まで気温の上がった今日のような日には、冷たいエビスが実に美味い。

 吉祥寺、土曜日のハーモニカ横丁。

 窓から見えるのは隣のビルの壁。

 聞こえるのは有線のジャズと通りを歩く酔客の騒ぎ声。

 生ハムとワインもあればさつま揚げに焼酎もある、バールなんだか居酒屋なんだか分からない飲み屋の二階で、俺たちは杯を交わしていた。

 俺と北林は大学のサークルで出会って以来の付き合いになる。

 学年は一つ違うが、奴は一浪しているので年はタメであるし、何より気が合い、当時からよく飲み歩いたものだ。

 それから12年、干支が一周し、互いに社会人になっても月に一度はこうして飲んでいる。まあ、三十路近い男が二人きりでテーブル囲んでるってのはゾッとしない絵面だが、それは言いっこ無しだ。


「で、どうよ、最近?」

「どうって、まあ、変わんないっすよ。相変わらずどこも予算は厳しいし。うちみたいな小さい制作会社だと色々きつくて」

「うちも少子化でさ、生徒数減ってるってんで、来季の契約もどうなるやら」

「どうにも、暗いっすね」

「まだおめぇはいいよ。俺んとこ派遣よ? 契約続かなきゃ仕事無くなんのよ?」

「やー、でも他の職場に行ける可能性あるでしょ? SEだったら仕事あるし」

「だったらいいけどなぁ」

「うちなんか仕事あってもだんだん縛りが。予算だけならまだしも、ご時世バラエティに当たりが厳しくてもう」

「なんかまたBPOが言ってたねぇ。ネットで見た」

「それ無くてもデカい罰ゲームはそうそう出来ないですけどね」

「お金が?」

「お金で」


 見合い、苦笑い、そして天を仰いでみたり。

 この渋い空気を変えようと、俺は通りかかった店員にビールのお代わりとポテトサラダを頼んだ。


「ポテサラ来たらちゃんと分けて下さいよ」

「めんどくさい」

「駄目だって。あんたウスターソースと胡椒かけちゃうでしょ」

「美味いよ。つまみにピッタリ」

「俺的にポテサラ汚すのが許せないんすよ!」

「ちっ、原理主義者め」

「お黙り異端。あ、すいません、グラスワイン同じの下さい。あとハムカツ」

「ハムカツ二つね。俺も食う。辛子多めで」

「それに異論はないです」


 約十分後だった。


「で、何よ天人豆腐って?」


 ようやく思い出した。

 我ながら無責任だとは思うが、如何せんスパイシーに彩ったポテトサラダと温度と辛さが口内を灼くハムカツを前に、どうにもビールが止まらなかったのだ。


「……高木さん、オカルト得意ですよね?」


 グラスを置いた北林の口調が微妙に改まる。それにつられ、俺も何となく座り直してみたりする。


「得意っつうか、好きなだけだぜ」

「でも普通の人よりは詳しいでしょ?」

「まあ、だろう、なあ」

「あと、料理詳しいですよね?」

「え? 何で?」

「ほら、オーストラリアの臭いチーズの缶詰とかカブトムシよりクワガタの幼虫が美味いとか山芋擂って混ぜた酒が精力剤だったとか、よく色々変な食べ物の話してるじゃないですか」

「それは単に俺が小泉武夫とか池波正太郎が好きだってだけで詳しいってほどじゃ」

「でもやっぱ普通の人よか、でしょ?」

「あぁー、その、だなー……うん、まあ、な」

「で、高木さん自炊派でしたよね?」

「そうだけど……だからさ、何なんだって」

「ちょっと見てほしい物があるんです」


 言いつつ、テーブルの下に置いたショルダーバッグを開けると、北林は中から一通のクリアファイルを取り出した。


「これなんですけど」

「どれどれ」


 ファイルには一枚の紙が挟まっていた。

 紙そのものはよくあるコピー用紙であったが、そこに印刷されていた物が問題だった。


「瓦版、か、これ?」

「古本屋のサイトで見つけたんですけどね。商品の見本らしいっす」

「ふぅむ……」


 とりあえずじっくり眺める。

 画面の右端には大きく天人豆腐、と記されていた。

 左四分の一の面積に書かれている崩し文字が記事の内容で、左端の文化元年四月とあるのが発行された年月だろう。

 だが、それ以上に紙上の大半を占める絵が、何よりも俺の目を奪って離さなかった。

 一見、燃えるお釜と外国人を前に町民が驚いている、ように見えた。

 いかにも江戸時代の庶民めいた姿の男が半ば腰を抜かしたような姿勢で描かれていた。

 男は何故か両手を前に突き出している。

 その手の先にいるのが外国人だ。

 細かく言えば本当に外国人かは分からない。

 明らかに和服ではない衣装を来て髷も日本髪も結っていない性別不明の人間だったので、便宜上外国人と呼ぶ。

 彼(或いは彼女)も手を町民に向かって伸ばしているのだが、そこに小鉢のような入れ物が握られており、どうやらそれを町民に渡さんとしているらしい。

 ひょっとしたらこの入れ物の中身が天人豆腐なのだろうか。

 そして、燃えるお釜である。

 外国人の後ろにそれは置かれていた。

 イメージとしては五右衛門風呂の釜だ。

 人間の二、三人も茹でられそうな大きさで、その周囲を炎のような修飾が覆っている。

 勿論本当の釜、という訳ではない。

 釜に似た何か、多分乗り物だろう。

 窓と出入口を思わせる大小の丸が描き込まれていた。

 俺はこれに似た物を見た記憶があった。


「うつぼ舟か、これ?」

「なんすか、それ?」

「オカルト好き、特にUFO関係好きにゃ有名な事件だ。というのも、釜上の船から言葉の通じない女性が降りてくる、という、いかにもな話なんでね。確か、今の茨城県辺りに漂着したんだったか。江戸時代の第三種接近遭遇の記録じゃないか、なんて言われてるけど、柳田国男なんかざっくりと創作じゃね?なんて断言してたよな」

「おお、細かい」

「その話の挿絵がこんな感じだったぜ。やっぱり何か手に持ってた。でも、この腰抜かしてる男はいなかったと思うんだが」

「この人ね、白田屋宇兵衛(しろたやうへえ)さん、です」

「は?」


 突然の人名だ。


「うちの会社に国文科卒の子がいましてね」

「制作会社だろ、お前んとこ?」

「ですよ」

「何故?」

「なんかコネみたいっすけど、仕事の覚えはいいんで。眼鏡っ子だし、眼鏡っ子だし」

「相変わらずだねぇ。既婚者なのにねぇ」

「いやー、法に触れる属性の持ち主に言われたくはないですなぁ」


 流石漫研と言うヤクザなサークルで出会った仲だけある、ウィットに富んだ会話であった。


「で、その眼鏡さんがなんと?」

「ええ、細かいとこまで正確かどうかは自信ないって言ってましたが、なんかUFOに遭った話とか。光物(ひかりもの)ってそうでしたよね」

「は!?」

「ここ」


 北林が指差した先に、崩れてはいるが確かに『光物』とあった。

 光物と言えば、江戸時代の随筆や記録文に時折書き残されている、正体不明の光が空を飛ぶ現象の事である。

 もうダイレクトにUFOと呼んでも支障ないだろう。

 本当は流星や雷球であったとしても、正体が知れない以上未確認飛行物体だもの。

 これはうつぼ舟とはまったく別物。

 あっちは海でこっちは空だ。

 としたら、これは結構な珍品ではないのか。

 少なくとも俺の記憶にある限りでは、光物が乗り物であった、という記録は読んだことがない。

 そんな俺の興奮に気付きもせず、北林の話は続いていく。


「この白田屋宇兵衛さん(年齢不詳)が、ある夜深大寺の方を歩いてた時ですね」

「おお、ゲゲゲの」

「なんすか、それ?」

「いや、水木さんが住んでたから」

「はいはい。で、宇兵衛さんの頭上でこうピカピカーっと何やら光る物が飛んでいったと」

「おお、来たね来たね」

「で、光る物宇兵衛さんの目の前に降りーの、扉開きーの、中から人が現れーの」

「えぇと北林くん、説明が雑、かなり雑」

「まあまあ、本番はここから。その人がですね、なんと」

「なんと?」

「なんと!」

「くぅー、勿体つけるねぇ。で、で?」

「食事中だったんです」


 思わず横受け身で吹っ飛びコケをかますところであった。この野郎、バラエティボケしやがって。

 とりあえず軽く地獄突きを一発入れてから、俺は話を続けるよう促す。


「次はローリングエルボーな、三沢ばりの」

「いやいやいやいや、マジですから! 本当に食事中って書いてるんですってば!」


 嘘はないようだ。

 顔がひきつっている。


「えー、す、するとですね、その人、宇兵衛さんに自分が食べている物を勧めたんです」

「勧めた!?」

「宇兵衛さん、それをパクリと」

「食ったの!?」

「これが実に美味しかったと。で、宇兵衛さん、その料理を教えてもらいまして」


 何やら話がおかしな方向に進んでいる気がする。

 興奮が引いていく。

 音を立てて。


「宇兵衛さん一念発起、この絶味妙味、天より来る人、天人より伝承されし豆腐料理、その名も天人豆腐を世に広く知らしめるべく店を出す事を決意!」


 べんべん、とテーブルを指先で叩く北林。

 思わず合の手を入れたくなる。


「こうして文化元年四月、天人豆腐のお店、白田屋を開業致します、とまあ、こんな感じですか」

「……マジで?」

「ええ。どうやら広告のビラみたいなもんですって」


 ほら、ヘンなとこ入った。


「それで、ご相談なんですが」


 芝居がかった真剣な表情で北林が顔を寄せる。


「なによ」


 満ちる潮の如く、嫌な予感がひしひし迫る。


「天人豆腐、作ってみません?」

「……はい?」

「ですから、高木さん、この天人豆腐って料理、調べて作ってみませんか」


 満潮どころか津波級が来やがった。


「次の改編でですね、ちょいオカルト寄りのバラエティが立ち上がるんですよ。そのプレゼン用に面白いものないかなってネット漁ってたら引っかかったのがこれ、でして」

「それは分かった。でも、だったら専門家に頼むのが筋じゃないのか?」

「ですから、プレゼン、なんすよ。そこまで金も時間もかけられませんで。それに」

「それに?」

「まあ、番組その物の予算もちょっと……地上波深夜なもんで」

「もう占いとかパワースポットでお茶濁しとけよ。それこそテッパンだろうよ」

「いやー、何か飛び道具っぽいの欲しいってリクエストがディレクターから出てまして」

「どこだよその局。汐留? 六本木? 赤坂?」

「虎ノ門です」

「……じゃあ、仕方ないなぁ」

「ですよねー」


 あの局にはいろいろお世話になっているので無下に断るのも悪い気がする。

 いや別に直接仕事しているってわけじゃないが、アニメ好きであそこに足向けられる不逞の輩はおらんだろう。


「ったく、一応やるけどさ」

「本当っすか!」

「でも、単なる趣味人だぞ、俺。そんなに期待すんなよ」

「いやーもう充分っす! あ、それ持ってっちゃって下さい。プリントアウトした奴なんで。あ、えーと」


 と、思い出したようにわざとらしく、北林が付け加えた。


「それじゃ一月後までになんとか」


 反射的に地獄突きが出た。

 カウンター気味に入ってしまったが、いい気味なので放っておこう。

 そうか、金も時間もって言ってたか。


「ええい、やるって言っちまったからな。でもタダ働きは嫌だ」

「え」

「まずは前金で今日の勘定持ってもらおうか」

「まあ、それぐらいなら……前金?」

「これだけじゃねぇ。せめてもう一回ぐらいは奢りで飲ませてもらいてぇなぁ」

「む、ぬぅ……分かりました」

「で、も一つ」


 俺は、バッグにクリアファイルをしまい込もうとする北林の手を素早く押さえた。


「そいつを、頂こうか」

「断る」


 生意気に手の甲にチョップをかます北林。

 だが俺もひくつもりはない。

 だって


「澪は俺の嫁だ」

「あんた属性的にはあずにゃんじゃん」

「あずにゃんも俺の嫁だ。それに属性で言ったらお前は和だろうが」

「長髪吊り目も範囲の内」

「あー、お前モリガン好きだったよな」

「お、そうでした」

「気付いてないんかよ」

「まあまあ。それに和のファイル出てないんすよ」

「知ってる。もともと五枚セットだろ、一枚いいじゃんかよ」

「五人で放課後ティータイムでしょうが!」


 まったくいい年こいて何やってんだか。

 脳味噌の何処かでそう考えながらも、俺たちは欲望の命ずるまま、無益な戦いを続けるのであった。


 あの宴席から一月が過ぎた。

 今、俺は自宅であるワンルームマンションの、西陽差す台所で片手鍋を掻き混ぜている。


「ああ、大量の本とおもちゃ、そしてゲーム機! やっぱこの部屋は落ち着くなぁ」


 リビングの座卓に顎を載せて野郎がくつろいでやがる。

 北林だ。


「お前の家も似たようなもんじゃねえの?」

「結構断捨離しましたよ、引越しの時」

「嫁さん、同病だろ?」

「つっても限界がありますから。なんせほら、新婚家庭の新居だったんで」

「ご苦労さん」

「まあ、今は色々増えてはきてますよ。特に映像関係」

「昔に比べりゃ楽なもんだろ。薄いし軽いし」

「ああ、それは嬉しいですよ、やっぱ」


 そんな益体もない会話をしながらも、北林は俺の手元が気になったのだろう。


「それが、天人豆腐、ですか?」


 珍しく若干神妙な声で問いかける。

 今日ここに、俺が北林を呼び出したのだ。

 天人豆腐を食わせる、そう言って。


「結構いい匂いですね」


 そうだろう。

 擂り鉢で丁寧に擂った木の芽を、たっぷりの鰹節で取った出汁で煮込んでいるのだ。

 しかも鰹節は築地場外の乾物屋で買ったキロ三千円の上物である。

 だが、ああ、だが、なんだろう、この寂寥感は!

 梅雨も終わりかけ蒸し暑さが日毎に増していく季節に、男のために手料理を振舞わにゃならんという悲しさもあるが、最大の理由は、今俺が作っている物その物だ。

 天人豆腐には別名があった。

 深草(ふかくさ)豆腐。

 それがその名だ。

 恐らく「百夜通い」の深草(ふかくさの)少将(しょうしょう)にちなんで付けられた別名だろう。

 いや、恐らく、ではない。

 今の俺にはそれが間違いないと確信する理由がある。

 だって、見つけて、作って、食ったから、天人豆腐。


「はぁぁぁぁ」


 溜息混じりで、俺は水切りを済ませた木綿豆腐を八等分に切り分け、そこに小麦粉をはたき、油を敷いたフライパンに並べていく。

 耳と鼻に心地良い刺激が伝わる。

 こうして両面をキツネ色になるまで焼き上げるのだ。

 その間、木の芽汁の入った鍋に、水溶きの葛粉でトロ味を付けていく。

 別に片栗粉でも問題ないだろうが、一応製法には従わないと。

 焼けた豆腐をパットに上げ、鍋の火を弱火にする。

 盛り付ける椀を二つ出しながら、改めてもう一度この料理を作らねばならない状況に、俺は何度目かの溜息を突いた。

 いや、北林の分だけ作りゃいいもんだが、出てきた作り方が二人分だったのだ。

 なんで初めて作った時は二食食う事になった。

 あんな物を。

 そして今日も又……

 食べ物を粗末に出来ない自分の性格が恨めしい。


「そう言えば」


 そんな俺の苦悩も知らず、北林がお気楽に話しかける。


「高木さん、痩せました?」


 ほう。

 木の芽餡の様子を見ようとお玉を持った俺の手が止まった。


「ああ。この一月で3キロほど、な」

「すごいじゃないですか! でもなんでダイエットを?」

「したくてね、したんじゃあないんだよ、北林くん」

「は?」

「一ヶ月間、毎食毎食豆腐を食ってごらんなさい。嫌でも痩せるってもんですよ」

「えぇ!? どうしてそんな事に?」

「……どうして、と? どうして、と、お前が聞く?」


 ずい、と俺はリビングに踏み入る。

 その勢いに仰け反った北林の鼻先に、俺は座卓越しにお玉を突きつけた。


「語ってやろう。いかなる苦労の元俺が天人豆腐の製法を発見したかを! その過程で何故に豆腐に取り憑かれたのかを! たっぷり、精魂込めて、貴様の魂に!!」

「あ、えと、そのぉ、手短に、お願いしますね?」


 ふふん、やなこった。


 あの夜、帰ってすぐネットで『天人豆腐』を検索したよ。

 完全にヒットしたのは、京都の古本屋のページくらいだった。

 ここだろ、元ネタ。

 見直しても、もらったプリント以上のもんは出てこない。

 これに関連した出物もない

 つまり、電脳世界には一切手がかりはない。

 もっとも、そんな予想はしてたけどね。

 これを見つけた時点で、お前一通り検索はしているはずだろ。

 そこで何かしら引っ掛かる物があったらまず自分で調べている。

 お前はそういう奴だ。

 でも、結局めぼしい物が出てこなかったんで、面倒臭くなって俺に話を持ってきた。

 お前はそういう奴だ。

 んで、次の日、まず俺は図書館に行った。

 江戸時代の豆腐料理、と言えば何はなくともこの本をまずはチェックしとかないといけない、そういう本があるからだ。

豆腐百珍(とうふひゃくちん)

 その名の通り全百種類の豆腐料理の作り方が載ったレシピ集。

 軽い気持ちで、現代語訳版と再現した料理の写真が載っているカラー版を借り出して読み始めた俺は、ここで重大な問題に気付いた。

 発刊の時期と版元の場所だ。天明二年大阪春星堂(しゅんせいどう)発行。つまり白田屋宇兵衛さんの開店より約20年前に江戸ではなく大阪で書かれた本なんだわ。

 天人豆腐その物が載っている可能性はかなり低い。

 でも、ヒントになるものぐらいはあるんじゃなかろうか。

 て言うか、手がかりがこれぐらいしか思いつかねぇし。

 とまあ、そんな感じで読み始めたのだけどな、これが結構面白いのよ。

『豆腐百珍』は料理を六種に分類している。

 一般家庭で普通に食べられる尋常品(じんじょうひん)、世間的に良く知られている通品(つうひん)、通常品よりやや優れている佳品(かひん)、一際変わっている奇品(きひん)、奇品以上に珍しく形・味共に一定以上のレベルにある妙品(みょうひん)、妙品以上で豆腐の真味が分かるとされた絶品(ぜっぴん)、この六つだ。

 なんというか、腹が減る作業だった。

 カラー版の再現写真なんか見ていると、もうたまらなく豆腐が食いたくて食いたくて。

 そうそう、前にうちで飲んだ時食わせたツマミあったろ、簡単煮田楽。

 冷凍の里芋とコンニャク、木綿豆腐を出汁で煮込んで田楽味噌付けて食うの。

 この日の夜それ作ってさ、思わず五ん合飲んじゃった。

 多分、これでスイッチが入っちゃったんだろうなぁ、今から思えばよ。

 それからもう豆腐三昧よ。

 例を挙げれば、朝食に熱い豆腐とワカメの味噌汁は欠かさず、昼は職場近くにある、行きつけの定食屋で、塩サバ定食に冷奴と揚げだし豆腐の両方をつけて、夜は夜で水切りした豆腐を香ばしく焼き上げたステーキでビールを飲んだら、たっぷり豆板醤(とうばんじゃん)を効かせた麻婆豆腐を作って白米にぶっかけてかっこみ、小腹が空いた頃の夜食に残った味噌汁を冷や飯にかけて簡易埋豆腐を頂く。

 季節外れとは思ったが、湯豆腐なんかやってみたりもした。

『豆腐百珍』で読んだ湯やっこ風に、片栗粉でとろみをつけた変り種も作ってみたり。

 後で魯山人の本で知ったのだが、こうすると豆腐にすが立たないんだと。

 冷奴もよぉく食ったな。

『剣客商売』気取って醤油と酒を合わせて胡麻油を垂らしてみたり、焼肉のたれでいってみたり。

 薬味もショウガやシソといったオーソドックスも悪くはないが、好みで言えばたっぷりのミョウガの千切りがもう最高。

 これを出汁醤油でかっこむと冷酒がまた本当に本当に美味い。

 おっと、食うだけじゃねぇぞ。豆腐の知識もバッチリ仕入れた。

 淮南佳品(わいなんかひん)小宰羊(しょうさいよう)方璧(ほうへき)軟玉(なんぎょく)笹雪(ささゆき)、泡の雪。

 何だか分かるか?

 全部豆腐の別名よ。

 豆腐は奈良時代、遣唐使によって伝播されたという説が有力で、その発明者として伝えられたのが漢の高祖の孫である淮南王(わいなんおう)劉安(りょうあん)だった故に淮南佳品、あるいは単に淮南と豆腐を呼ぶようになったって事だ。

 小宰羊というのは昔の中国に、肉の代わりに豆腐を食って節約して、民衆に尽くした地方役人がいたという話が元になっている。

 そうそう、肉の代用として豆腐を使うのは今でもあって、アメリカじゃトーファーキーってのが作られてるんだと。

 なんでも感謝祭の七面鳥の代わりらしい。

 ベジタリアンでも季節物は欲しいのかな。

 え、天人豆腐はどうした?

 待て待て、慌てない慌てない。

 と、このように俺を豆腐ワールドに引きずり込んでくれた『豆腐百珍』ではあったが、哀しいかな当然ながら天人豆腐は載っていなかった。

 はい、そこコケない。

 更に後に発行された『豆腐百珍続編』や『豆腐百珍余録』も調べてみたが、こちらにも無し。

 これで大体豆腐だけで三百種調べてみた事になるな。

 で、ひょっとしたら、豆腐料理ではないのかも、と思ったわけよ。

 胡麻豆腐とか杏仁豆腐ってあるだろ、あれ大豆使ってないじゃん。

 豚や鶏の血を蒸し固めた血豆腐なんて物があるってのも何かで読んだ記憶がある。

 なんで他の料理本も調べなきゃならんと思って、俺は百珍物に手を出した。

『豆腐百珍』以降、同じ材料の調理法をまとめた料理本が結構出されてさ、それを一般的に百珍物って呼ぶんだわ。

甘藷(かんしょ)百珍』、『海鰻(かいまん)百珍』、『蒟蒻(こんにゃく)百珍』、『鯛百珍』、『卵百珍』とも呼ばれた『万宝料理秘密箱』に、百珍と付いてはいないが同じような内容の『名飯部類』や『鯨肉調味方』等々、当時食べられていたほとんどの食材に存在しているんじゃねえかな。

 まあ読んだ読んだ。

 正確には、めくった眺めた、かな。

 文章一つ一つ細かく読んでる余裕なんて無かったんで、ひたすら天人豆腐って文字列だけを追ってったんだ。

 結果?

 ああ、全滅。

 だいたいこの時点で残り一週間ぐらいか。

 こっから先は、ああ、そうだなぁ、運が良かった。

 前に見せたっけ、俺、オカルト系の同人誌に書かせてもらってるじゃん。

 その時の駄文に文化文政期の江戸随筆を元ネタに書いたのがあったの思い出してさ、ひょっとしてそん中に手がかりがあるんじゃないかって考えた。

 松浦(まつら)静山(せいざん)の『甲子夜話(かっしやわ)』、根岸(ねぎし)鎮衛(しずもり)の『耳袋(みみぶくろ)』、曲亭(きょくてい)馬琴(ばきん)の『兎園(とえん)小説』、加藤(かとう)曳尾庵(えびあん)の『我衣(わがころも)』、この辺りの珍談奇談がたっぷり記録されてるやつを手当たり次第借りては読んだ。

 時間がない、でも調べなきゃなんない本は大量にある。

 気ばかり急いて、な。

 だから、その一文を見付けたとき、思わず「あったぁ!」って声上げちゃって、冷たい視線が痛かったぁ。

『日本庶民文化史料集成』だったか『日本随筆大成』だったか、まあその中に白田屋宇兵衛に天人豆腐を作ってもらったって話が載ってたんだ。

 え?

 ああ、元々なんて本だったかな。

 天保年代の随筆ってのは覚えてるんだけど、後でもっかい調べとくわ。

 結局、白田屋って店自体は二年ぐらいで潰れたらしい。

 で、それを何となく覚えてた随筆の作者がある席でこの話題を出したら、たまたまそこに白田屋宇兵衛の知人がいたんだと。

 そこでその人に宇兵衛を紹介してもらい、天人豆腐を作ってもらう事になって、宇兵衛さん八十近くになっていたけど、記憶も腕もまだしっかりしてたのか、天人豆腐を食べさせてくれたんだそうだ。

 そん時に、これを深草豆腐と呼んだ人もおりましたよ、と宇兵衛さんが言ったんだけど、作者には何でそう呼ばれたのか分かった気がしたってとこで話は終わってる。

 何故かって?

 ……食えば分かるって、なぁ?


 俺は湯気の立つ二つの椀を持って席に着く。

「それが…」

「うん、天人豆腐」


 目の前に置かれたそれを北林が見て、


「う」


 短く呻いた。

 そうだろう。

 椀の中に見えるのは、黒い点々の浮いた緑色の液体なのだから。

 キウイフルーツを擂って温めましたといったら信じるぐらいのレベルの緑だ。

 天人豆腐。

 その正体はそう珍しい物ではなかった。

 半丁分の焼豆腐に、木の芽餡をかけて、その上にひねった黒胡麻を散らす。

 それだけである。


「まあ、食ってみてよ」


 俺が渡した木の(さじ)を受け取る北林の目は、まだ椀の中に注がれていた。


「ええ、じゃあ」

「いただきます」


 北林が恐る恐るといった様子で、まず餡を(すく)い口に運んだ。

 それが舌に乗ったのとほぼ同時に、思い切り寄せられていた眉が一瞬弛緩し、そして何故か左側だけが少し上がる。


「……」


 微妙な表情のまま、北林は首を(かし)げるものの、匙は止めていなかった。

 次に豆腐を餡ごと食べ、又首を傾げる。

 それでもやはり手は食べる事を止めない。

 ここで断っておこう。

 美味いから止まらないのではない、という事を。

 覚悟を決めて、俺も天人豆腐に立ち向かうとしよう。

 餡を口に含むとまず、木の芽の清々しさが広がり、その後をすぐに鰹出汁の濃い香りとコクが追う。

 カリカリに表面を焼いた豆腐の歯触りがアクセントとして心地良く、思い出したように黒胡麻の焙煎香が微かに立ち昇る。

 ああ、これだ。

 やっぱりどうにも、うん。

 納得出来ない。

 無言で二人の男が豆腐を食らう音だけが、部屋に響く。

 先に北林が食べ終わり、首を傾げたまま椀を置いた。

 それから眉間を指で揉み、天井を睨み、もう一度椀を見つめ、腕を組む。

 そして、俺が最後の一口を飲み込むのを待ち、北林が口を開いた。


「……これが、天人豆腐……」

「うん」

「高木さん」

「うん」

「これ、味、無いんですけど?」

「うん。無いねぇ」


 そう、天人豆腐とは、ほとんどまったく、味が無い料理なのである。

 味噌も醤油も、塩すら入っていないのである。

 木の芽や鰹節、豆腐、油、胡麻、そういった物固有の味が混ざり合い、結果として統一されるのが、無味。

 なのに、香りや喉越しは意外と悪くない。

 むしろ良いと言っても過言ではない。

 だから、食ってしまう。

 ひょっとしたら食べ進めると何か見えるんじゃないか。

 そんな期待すら抱いてしまう。

 でも、でも!

 そこには何も無いのだ。

 何も発見出来ないまま気付けば全て食い尽くしてしまうのだ。

 そして残るのは、何とも言えない寒々しさ。

 俺は想像する。

 物見高い江戸っ子たちが群れを成して深大寺まで繰り出す様を。

 白田屋に詰めかけた客の前に並べられる天人豆腐を。

 一斉にそれを啜った彼ら彼女らの眉が(ひそ)められ首が傾げられるが、それでも目の前の料理を黙々と口に運び続けざるを得ない姿を。

 そして、釈然としない気分のままで江戸市中に帰っていく後ろ姿を。

 そりゃあ、二年で店潰れるわな。


「作り方、間違ってないですか?」


 北林がそう聞きたくなるのも当然だ。

 もちろんそんなわけはない。

 味付無用、其れこそが肝心、とまで書かれていた事を説明すると、北林の脱力感はピークに達した。


「どうだった、天人豆腐?」


 俺が問う。

 呆けた微苦笑で北林が答えた。


「なんか、ちょっと寂しい味っすね」

「だから、深草豆腐なんだよ」

「どういう、意味です?」

「深草少将ってのは、小野小町と結ばれるために、百夜彼女のとこに通おうとした人」

「必死だなぁ」

「そう言ってしまえばそれまでだろうがよ。で、その九十九夜目、降り出した雪の前に哀れ凍死を遂げたっていう悲劇の人でもある。はい、感想は?」

「え、まあ、可哀想というか悲しいというか寂しいというか」

「そう。だから、深草豆腐」

「はい?」

「少々寂しい味の豆腐。だから、深草豆腐」

「少々、少将……ダジャレ?」

「江戸の優雅な言葉遊びと言ってほしい。証拠はねぇよ。でも多分合ってると思う」

「良くそんな事気付きましたねぇ」

「あ? 夢枕獏も好きなんだわ。『陰陽師』でこの話使ってたの思い出して」

「さようで……」


 奇妙な声を出しながら、北林は大の字に寝転ぶ。

 天人豆腐を食べるまでそれとなく漂っていた緊張感は、今や一片たりとも残っちゃいない。

 俺も片肘を突いて横になった。

 こういうのを気怠い空気と呼ぶんだろうな。


「で、どうよ」

「どうとは?」

「使える? 使えない?」

「無理っすね」

「即答かよ」


 まあ、そうだろうとは思っていた。

 美味ければ意外性で話題になるし、不味ければ罰ゲームに使う事も可能だろう。

 でも、寂しい料理はどう考えても、テレビ向きではない。

 大きな溜息が、どちらからともなく洩れた。

 天人豆腐には付き物である。


「高木さん、飲み行きましょう」

「ん、そうすっか」

「約束ですしね。おごりますよ」

「ああ、そうだっけ」 


 じゃあ、片付けたら準備でも、と立ち上がろうとした瞬間だった。

 俺は不意に、それを思い出した。


「北林」

「なんすか?」

「シモントン事件ってのが、あってさ」

「シモン、トン?」

「ジョー・シモントンってアメリカ人のおっさんが宇宙人に遭ったって話なんだけどさ」

「はい」

「そん時さ、その宇宙人からパンケーキもらったんだよ、シモントンさん」

「……はい」

「そのパンケーキが段ボールみたいで、ひどくまずかったんだって。何でだと思う?」

「……その、まさか」

「塩が入ってなかったから、だってよ」


 初夏の夕暮れだというのに、背筋を冷たい物が撫で上げていった。

 部屋を包んだ沈黙は、遠くで犬が吠える声まで伝えてくる。


「あー、えーと、よし、行こう!」


 どうにも耐えられなくなって、俺はわざと大声を出した。


「新宿行こう! 歌舞伎町で鯨食おう!」

「ああ、い、いいっすね! 鯨、久しぶりだなぁ!」


 水を貯めた流しに食器を入れて、俺は部屋を出た。

 まだ湿気は残っているが、陽も沈みかけた薄明るい空気は、寧ろ気持ち良い。

 駅までの徒歩7分も苦にならないだろう。

 その時、先に歩き出した北林が振り向く。


「でも、高木さん」

「ん?」

「結局何が大変だったんすか?」

「あ?」

「いやぁ、豆腐にハマったのも先に随筆から調べなかったのも、言ってしまえば自業自得ですよね」

「ほぉう……面白ぇ台詞だなぁ、北林くぅん?」

「……あ、その右手は何です? 何で指先に力込めてるんです? 誰に小声で祈りを捧げてるんです?」

「ブッチャー師匠、我に力を」

「お、あ、ああ!電車! 電車来ちゃいますよ、急がないと、ね! ね!?」

「とりあえずそこに直れ」

「助けてぇ!!」


 年甲斐の無いダッシュで逃げ出した北林を追おうとしたが、俺は何となく立ち止まってしまった。

 目が自然に空を向く。

 何かが飛んでいるような、そんな気にふと襲われたのだ。

 再び背中に悪寒が走る。

 だが、そこにあったのは早々輝く一番星だけ。

 飛んでいたのは走りの蚊かガガンボか。


「だよな」


 まったく、俺もまだまだ可愛いな。

 自然と浮いてしまう照れ笑いのまま、俺はようやく北林を追いかけ出すのだった。

2024年12月1日に東京ビックサイトで開催される文学フリマ東京39で、UFOや超常現象など、我々の世界をささやかに彩る事象を、肯定/否定などの立場を越えて慈しむサークル「Spファイル友の会」(G-59)から『UFO手帖9.0』が頒布されます。

小説ではありませんが私も「UFOと漫画」というエッセイで参加していますので、ご来場の際はぜひお立ち寄りを。

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