最終話 一緒に温かい場所へ
あれから数日が経過した。
先代の国王陛下が取り計らってくれたおかげで、私とユーリさんは無事にユードレイスへと戻ることが出来た。
風呂カフェも通常営業に戻り、穏やかな日々を過ごしている。そして、今日は、“あの人”が風呂カフェに来てくれる日で……。
カランカランと音を立てて、お店の扉が開く。私が振り向くと、待ち望んでいた人が扉の前に立っていた。
「お父様!」
「リディア、元気にしていたか?」
「はい!」
そう。今日は、風呂カフェに父が来てくれる日である。この日のために、わざわざ公爵家当主としての仕事を片付けて、来てくれたのだ。
「あ、公爵様。いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
父の訪問にルークとリーナも顔を出す。二人も少しだけ嬉しそうだ。
「ああ、ルークとリーナか。……いつも風呂バカな娘の面倒を見てくれて、感謝する」
「ちょっと、お父様! それどういうことですか⁈」
「いや〜。慣れてますから、全然大丈夫ですよ」
「いつものことです」
「あんたたちは、風呂バカを否定しなさいよ!」
ルークとリーナと交わすいつもの軽口に、お父様は苦笑している。
「それじゃあ、私はさっそく風呂に入ってこようかな」
「もう! お風呂、楽しんでいって下さいね!」
⭐︎⭐︎⭐︎
父がお風呂から上がると、飲食スペースで食事を始めた。そして、目の前に座る私に、あの後の王都での出来事を話してくれた。
「国王陛下は、先代国王の指揮の元、裁判にかけられることになったよ」
「そうなのですね」
「貴族界は混乱しているが……公爵家やリディアに対する同情的意見が多いな」
父は肩をすくめる。「あんなに冷遇していたのに、勝手な貴族たちだ」とでも言いたげだ。
「貴族たちは国王の蛮行にひどく怒っているから、もう二度と国政に携わることは出来ないだろうな。魔物を使うことは固く禁止されていることだったから、一生牢獄に収監されることもあり得るらしい」
「相応の罰ですよ」
「そうだな」
国王が一生牢獄に入っているなら、安心だ。もう国王から脅されることもなく、平和に過ごせるのだから。
「それから、セドリック様は先代国王から厳しい教育を受けているらしい」
「へぇ〜」
「彼の性根を叩き直すために、毎日、食事と睡眠以外はすべて勉学の時間に充てられているそうだ」
「それでも、セドリック様のあの性格は直りますかねぇ……」
「それがかなり頑張っているらしいぞ。もう女性には期待せず、自分の力で生きていくと決意してるとか何とか」
「……」
ああ、セドリック様はトリプルで失恋したものね。理想の金髪美少女だと思っていた初恋の人の正体は男で、恋人は権力目当てで近づいてきただけだったという哀れなことが起こっていた。もう女性を信用できないわよね……。
少し可哀想だけど、これに懲りて、真摯に女性と向き合うようになって欲しいわね。
「リディア。今回のこと、よく頑張ったな。あの国王に立ち向かって、本当に偉かったと思う」
「でも……。私、他の人に助けられてばかりでした」
ユードレイスのみんなの署名があったから、ユーリさんが戻って来れることになった。父が貴族たちから署名を集めてくれたから、私の風呂カフェ存続を認められた。
先代の国王陛下がいて、ユーリさんが証拠を集めてくれていたから、国王の蛮行を罰することが出来た。
私はユーリさんを助けに行っただけで、ほとんど何もやっていないのだ。
しかし、父はクスリと笑って、首を横に振った。
「気づいていないのか? 皆がリディアを助けたのは、今までのリディアが、それだけ人を助けてきたからなんだよ。リディアが真摯に一生懸命取り組んできた姿は、皆が見ている。その結果があの日に繋がった。それだけのことだ」
「……!」
「リディア。王家から受けた妨害を乗り越えたことを誇りなさい。そして、助けてくれた者への感謝も忘れずに」
「はい。もちろんです」
私が頷くと、父は珍しくにっこりと笑った。
⭐︎⭐︎⭐︎
父はしばらくユードレイスに滞在するそうで、宿屋を予約しておいたらしい。これから数日は父に気軽に会えると思うと、とても嬉しい。
父を宿屋まで見送って、私は風呂カフェへと戻って行く。その道の途中で、見知った人影が見えた。あれは……
「ユーリさん!」
「リディア嬢か」
「数日ぶりね。ユーリさん……って、ユリウス様の方がよかったかしら?」
本当の名前はユリウスだったことを思い出して、聞いてみる。しかし、ユーリさんは笑って首を横に振った。
「もうユーリという名前に慣れているし、そのままで呼んでくれ。畏まられるのも、あまり好きじゃないんだ」
「分かったわ」
ユーリさんの言葉にホッとして頷いた。よかったわ。急に呼び名を変えないといけないとなると、大変だものね。
「ユーリさんは、これからどこに行くつもりなの?」
「実は、ちょうど風呂カフェに行こうと思ってたんだ」
「そうなの? それじゃあ、一緒に行きましょう」
そう言って、私たちは風呂カフェへ向かって歩き始めた。
しかし、私たちの間に沈黙が流れる。
しまった、気まずいわ……! だって、あの地下牢での「ヤケクソ告白」から、まともに話すのは、今日が初めてなんだもの。
あああああの時の私、なんであんな風に言ってしまったのかしら……! 今すぐ時間を巻き戻して、やり直したいわ。せめて、もう少しマシな場所で気持ちを伝えたいもの……!
「あの、リディア嬢……?」
「は、はい‼︎」
私が脳内で葛藤していると、ユーリさんが恐る恐るといった表情で話しかけてきた。
「何か悩んでいるのか?」
「う、ううん。なんでもないわ」
私は慌てて首を振った。いけないわ。今はユーリさんと一緒にいるんだから、気を使わせないようにしなきゃね。不審がられないように、私は一生懸命足を前に進めた。
しかし、急にユーリさんは歩みを止めた。
「リディアじょ……。リディアさん」
「ユーリさん……?」
振り返ると、彼は緊張しているような、不安そうな表情を浮かべていた。それから、少しだけ耳の先が赤い。
彼の言葉を待っていると、しばらくして意を決したように、彼は口を開いた。
「この間は助けに来てくれて、本当にありがとう。俺は君にたくさん救われてきた」
「大袈裟よ。大したことはしてないわ」
「いいや、大袈裟じゃないんだ。ずっと父親に縛られてきた俺にとって、国王から逃げてきた君の姿がどれだけ希望になったか分からない。それに、今回だって、君が王都に駆けつけてくれたから、俺も父親の呪縛から逃れることが出来た」
「……」
「君はいつも眩しくて、真っ直ぐだ。その姿に何度も何度も励まされた。君が風呂カフェで待っていてくれると思うと、騎士団長という職も好きになれるような気がした。全部、君のおかげだ」
「全部、ユーリさんが努力してるからよ」
「そう言ってくれる君だから、俺は……」
ユーリさんは私を真っ直ぐに見ている。その瞳にドキンと心臓が跳ねた。
「俺はそんな君のことが好きで仕方ないんだ」
「……!」
「牢屋で……君が伝えてくれた気持ちと同じ……なんだ」
私は目を見開いて、聞き返した。
「本当に?」
「本当に、だ」
「嘘じゃない?」
何度も問い返されて、ユーリさんは困ったように笑った。
「嘘なわけない。俺は嘘をつけないんだ」
気づけば、私は彼に駆け寄って、彼の両手を握りしめていた。
「嬉しいわ」
彼が手をぎゅっと握り返してくれる。彼の体温が手から伝わってくる。その感覚が心地よくて、クスッと笑ってしまった。
「あたたかいわね」
「そうだな。手を握ると、あたたかいな」
「お風呂に入るくらいかも?」
「そうかもな」
二人でクスクスと笑う。
……ユードレイスには、もうすぐ春がやってくる。温かい春が。
寒い時期にここにやって来たのに、あっという間に季節が過ぎ去っていってしまった。
その間に多くのことが変化した。その一方で、変わらないこともあった。
今では、ユードレイスで過ごして得た日々の全てを、愛おしく感じる。
幸福感に包まれながら、私はユーリさんに微笑みかけた。
「それじゃあ、行きましょうか。風呂カフェへ!」
二人で風呂カフェへと帰って行く。そこには、更に温かいお風呂が私たちを待っているから。
これにて完結になります! 3ヶ月もの間お付き合いいただき、本当にありがとうございました!
たくさんの読者様に支えられて、完結させることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。
何かの機会に、再び読者の皆さまとお会いできたら嬉しいです。




