第40話 嵐の到来
「え⁈ 見ず知らずのおじいさんを泊めたんですか⁈」
おじいさんを見送った朝。風呂カフェにやって来たルークにおじいさんを泊めたことを説明したところ、すぐに顔を顰めた。
「正気ですか⁈ 知らない男を泊めるなんて、何かあったら……」
「おじいさんだし、大丈夫だと思ったのよ。実際何もなかったしね」
「今回は運がよかっただけですよ! いい加減リディア様は危機管理能力を……あ、待ってください。き、気持ち悪い……」
飲みすぎた彼は、二日酔いに苦しめられているらしい。青い顔で口を押さえている。
「バカねぇ。飲み過ぎなのよ」
「お風呂に入りすぎて、のぼせて熱を出したことのある風呂バカには言われたくないです。う、……」
「ほら。喋りすぎると余計悪くなるわよ〜」
私が彼の背中をさすっていると、リーナは冷たい目で水を持ってきた。
「はい、水」
「リーナ、ありがと……」
「昨日に引き続いて今日の風呂カフェ営業でも役に立たなさそうなルークは黙ってて下さい」
「すごい怒ってるじゃん……」
静かに怒るリーナに、ルークは青ざめている。あ、二日酔いで青ざめてるのか。
「怒るに決まってるでしょう。昨日は急に営業から抜けたかと思えば、酔い潰れて帰ってくるし、今日も役に立ちそうにないし」
「何も言えないですね……」
リーナとルークが会話してるのを聞きつつ、窓から外を見てみる。
風呂カフェの近くは青空が広がっていたが、遠くの方には雨雲が見える。今日はもしかしたら、雨が降るかもしれないわねぇ。
「私、今から買い出しに行ってくるわ」
私がそう言うと、リーナが振り返って首を傾げた。
「そうですか?」
「ええ。雨が降りそうだから、早めに行っておきたいの」
「私が行きますよ?」
「大丈夫よ。リーナは、ルークの面倒を見ておいて」
「分かりました。この役立たずのことは任せておいて下さい」
「辛辣……」
リーナはなんだかんだ面倒見がいいし、ルークも気の知れた双子に看病してもらった方がいいでしょう。ということで、2人に見送られて、すぐに私は外に出た。
必要なものは、今日の風呂カフェで提供する予定の食材とバスソルトの材料である。先にバスソルトの材料が売っている店に行ってから、青果店や精肉店などを回っていく。
食材は毎日のように購入しているので、どこの店の店主とも顔見知りになっている。
「お、リディア様。今日も来たんだね!」
「毎日営業してるからね〜。明日以降も贔屓にするから、まけてちょうだいね」
「あはは、分かった。その代わり、俺が風呂カフェに行った時は割引してくれよ?」
「もちろん」
こんな風に気安い会話を交わすのも、しょっちゅうのことである。値引き交渉をしながら一通りの買い出しが終わり、私は風呂カフェに戻ることにした。
「あら、雨が降って来たわね」
思っていたよりも早く雨が降ってきたので、すぐに傘をさす。念のため、傘を持ってきておいてよかったわ。
雨音をいいことに鼻歌を歌いながら、帰路につく。
その道中で、遠くの方に見慣れた影が見えた。雨が降っている中で傘をさしていない、その人物は……。
ユーリさん?
私はすぐに駆け寄って、彼を傘に入れた。
「ユーリさん? どうしたの?」
「リディア嬢、か……」
彼は私を見た瞬間、ぐしゃりと顔を歪めた。そして、すぐに片手で顔を隠しながら、俯いた。
「すまない。情けないところを見せて」
「そんなことはどうでもいいのよ。それより、体が冷たくなってるわよ。どうしたの?」
彼は少し迷ったそぶりを見せた後、口を開いた。
「部下が怪我をしたんだ。幸い、大きな怪我にはならなかったが……」
「それは、魔物の森で?」
「いや、街で人に狙われたんだ。理由は……俺のせいなんだ」
「ユーリさんのせいってどういうこと?」
私が驚いて聞き返すと、しばらくユーリさんは口を閉じた。言ってもいいのかと迷っているようだ。
「言いたくないなら大丈夫だけど、話して楽になるなら遠慮しないで」
「……魔物がリディア嬢の周りに現れることについての調査の過程で、俺が嗅ぎ回っていることを調査対象に勘づかれたらしいんだ。それで、俺を牽制するために俺の部下を狙ったみたいなんだ」
「それは、ユーリさんのせいじゃないと思うわ」
「いや……。調査対象は、俺のよく知っている相手なんだ。対象は、前から俺を牽制するように、俺の周りの人間を害することがあった。だから、部下は俺に巻き込まれてしまった形なんだ……」
彼はそこで言葉を止めた。彼が責任を感じることではないはずなのに、彼は誰よりも部下を怪我させてしまったことを後悔しているようだった。
真面目で責任感の強いユーリさんだからこそ、ここまで彼を追い詰めてしまうのだろう。
彼の心がほぐれるように、私は彼の目を真っ直ぐに見つめて、語りかけた。
「あなたは絶対に悪くないわ。悪いのは、人に怪我をさせる人とそれを命じた人よ。何があっても、それは覆らないわ」
「……」
「ユーリさんは、私のために動いてくれただけ。だから、責任を感じる必要はないの」
それでも、ユーリさんは悲痛そうな顔で俯いている。
だから、そっと冷たくなった彼の手を握った。私の行動に、ハッとユーリさんが顔を上げた。
「もし世界中がユーリさんを許さなくても、全部私が許すわ。だって、あなたの優しいところを私は知ってるもの」
私がそう言って笑うと、彼は泣きそうな顔になった。
そして、彼はトンと私の肩に額を乗せた。
「ゆ、ユーリさん?」
「リディア嬢、ありがとう……。今日、君に会えてよかった」
彼の額から私の肩に伝わる熱が熱くて、心臓の鼓動が早まった。
この人は、馬鹿みたいに真面目で、責任感が強くて、強くあろうとしているけれど……脆い部分を持っていて……。
だからこそ、強いだけじゃない彼が、前に「助けたい」と言ってくれたことが嬉しかったのだと思い出した。
そして、彼の心の奥底に触れて、私の鼓動が早まることを知った。多分、私は彼のことが……。
しばらく経ってから、ユーリさんは顔を上げた。彼の耳と鼻が若干、赤い。
「すまない。本当に情けないところを見せた」
「いいのよ。私を頼ってくれて嬉しいもの」
「俺はもう騎士団に戻ることにする。仕事も残ってるから」
「そう……。雨足が強くなってきたから、気をつけてね」
「ああ。リディア嬢も、気をつけて」
上がった熱と鼓動の音を残して、彼は去って行った。私は頬を叩いて、気持ちを切り替える。今日も風呂カフェの営業なんだから、集中しなきゃね。
とにかく早く風呂カフェに戻ろうと、くるりと踵を返す。
すると、よく前を見ていなかった私は、ドンと誰かとぶつかってしまった。
「いたた……。す、すみませ……」
「男といちゃついて、お前はいいご身分だな」
「え?」
「迎えに来てやったぞ、リディア」
かつてよく聞いていた声に、驚きながら顔を上げる。まさか、あの人がこんなところにいるわけないのに……。
「喜べ。こんな辺境の男の嫁ではなく、王妃になれるぞ」
私が顔を上げた先で、かつての婚約者・セドリック様が笑いながら立っていた。




