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中編

 はい、みなさん集まりましたね。話の続きを始めます。


 ドイツ軍では西進論・南進論の他にもう一つ国防方針がありました。


 それは「中華進論」です。


 当時の中国は、中華民国として一応の統一国家でしたが、地方では軍閥が跋扈していて、中央政府の統制が届いていない地域が多かったのです。


 そこを併合して、国力を強化させようという意見もあったのです。


 西進論・南進論に対して少数派の意見だったのですが、西進論は国境線に長大な要塞線を築いたロシア陸軍に対抗しなければならず。


 南進論は、質の高い日本海軍に対抗しなければならず。


 どちらも困難なので、先に中国への侵攻を計画したのでした。


 1937年7月7日、ドイツ・中華民国の国境で発生した「偶発的な武力衝突」を理由にドイツ軍が中華民国に雪崩れ込みました。


 ドイツ政府・軍も侵攻は短期間で終わると思っていました。


 実際、短期間で広大な領土を占領したので、後は中華民国政府と交渉し、占領した地域を正式に併合するだけと思っていました。


 しかし、中華民国政府は、ドイツ政府の和平案を拒否、占領した領土からの撤退をドイツに求めました。


 もちろん、ドイツ政府は受け入れず。戦闘は続きました。


 ドイツ政府は、この戦いを「戦争」ではなく「紛争」であるとしていました。


 明確に「戦争」としてしまうと国際貿易に支障があるからです。


 ドイツは公式発表では「中華紛争」としていました。


 そのため、奇妙な状況が起きました。


 日本が中華民国に軍需物資を売却していると同時に、ドイツに民需物資を売却しているのです。


 ドイツは日本との貿易が止まると軍事活動に支障が出るので、この状況を黙認するしかありませんでした。


 ドイツは占領地では民間人によるゲリラ戦に悩まされました。


 ドイツは気づかない内に中国のナショナリズムを刺激しており、広大な大陸の泥沼に嵌まり込んでいたのです。


 日本は中華民国を支援していました。


 もちろん、中華紛争には日本は「中立」だったので、直接的な軍事援助はしていませんでした。


 しかし、中華民国に低利で借款したり、「民需用」ということで武器製造に転用できる工作機械を売却したりしていました。


 1941年になっても、中華紛争は泥沼に嵌まったまま終わりそうにありませんでした。


 ドイツ軍部は、日本侵攻により中華紛争を終わらせようとしました。


「日本が中華民国を支援しているから中華民国は屈服しないのだ。日本を降伏させれば、中華民国も降伏する」


 という理屈でした。


 日本が強者だと判断したので、弱者と見なした中華民国に侵攻したので、本末転倒でしたが、ドイツは日本との戦争を決断しました。


 ドイツ海軍主導で作戦は計画され、ドイツ大海艦隊が日本連合艦隊に決戦を挑み、勝利すれば日本は降伏するというものでした。


 この計画に大幅な変更を加えたのが、ドイツ陸軍でした。


 中立国であるイタリアに進攻、イタリアを占領し、対馬海峡を渡る日本本土進攻の拠点とする計画を付け加えたのでした。


 ドイツ陸軍が大幅な変更を加えた理由は、ドイツ海軍の計画通りに戦争に勝ってしまうと、功績はドイツ海軍が独占してしまうため、ドイツ陸軍も功績をあげる必要があったのです。


 健全な発想ではありませんが、計画は実行されることになりました。


 ちなみに、この時代はまだどこの国にも空軍はありませんでした。


 大規模な戦争が起きなかったので、独立した空軍を持つ必要をどこの国も認めなかったのです。


 日本もドイツも陸海軍がそれぞれ航空隊を保有していました。


 1941年12月8日、イタリアの首都ローマでドイツ大使がイタリアの外務大臣に宣戦布告文書を手渡した15分後に、ドイツ陸軍が国境を突破して、イタリアへの進攻を開始、同時刻、日本の首都東京でドイツ大使が日本の外務大臣に宣戦布告文書を手渡した後、ドイツ海軍航空隊の長距離爆撃機が日本本土を空襲しました。


 ドイツ議会では、開戦後、「対日戦対伊戦に賛成する決議」にほとんどの議員が賛成しましたが、ドイツ議会に5議席だけの弱小政党、ドイツ労働党が反対しました。


 ドイツ労働党の党首であるオーストリアからの移民のアドルフ・ヒトラーは(ドイツは国力拡張のため欧州からのドイツ系の移民を積極的に受け入れていました)演説の名手として知られ、この時も議会で反戦演説をしようとしましたが、議長により演説は阻止され、議員を除名となり、戦時中は投獄されています。


 このことは、ドイツ人全員が戦争に賛成してた訳ではないことの証明になっています。


 さて、イタリアに進攻したドイツ陸軍は、短期間で首都ローマを占領し、イタリア国王は、宮殿に軟禁状態となりました。


 ローマ市内にあるバチカン市国は、ドイツ陸軍は占領しませんでしたが、完全に包囲し、人や物の出入りはドイツ陸軍の監視下となりました。


 このまま、イタリア全土は、ドイツ陸軍により、占領されると思われましたが、残存したイタリア軍と協力して一人の男が立ち上がりました。


 その男の名は、ベニート・ムッソリーニと言いました。


 ムッソリーニはファシスト党という小さな政党の党首の国会議員で、ドイツ陸軍がローマを占領した時には、たまたまローマを離れていましたが、地方の民間人を組織して、抵抗組織「黒シャツ隊」をつくりました。


 中国に続いて、イタリアでも、ドイツ陸軍が民間人によるゲリラ戦に悩まされることになりました。


 ムッソリーニはドイツ語に堪能で、ドイツの高官に化けて、大勢の部下を引き連れて、ドイツ軍の検問を堂々と通ったこともあります。


 ドイツ軍はムッソリーニを賞金首としましたが、ムッソリーニは、英語やフランス語にも堪能で、その時々にイギリス人やフランス人に化けるので捕まえるのは困難でした。


 このことは、現在でも映画やドラマのネタとして使われていて、最近のドラマではムッソリーニが若い美男・美女に化けるシーンがありますが、もちろん創作です。


 さて、日本本土空襲に向かったドイツ海軍の長距離爆撃機ですが、日本陸海軍合同航空隊により迎撃されました。


 日本陸海軍合同航空隊は、日本陸軍の東條英機、日本海軍の山本五十六が協力して造り上げた組織です。


 二人とも航空戦力が将来の戦争には重要だと判断をしていて、陸海軍がバラバラに航空戦力を整備・運用していたのを合同させました。


 独立した空軍を設立するのは政治的に無理でしたが、日本陸海軍合同航空隊は「事実上世界初の空軍だった」と現代では評価されています。


 開戦時の日本の兵部大臣は東條英機、合同作戦本部総長は山本五十六でした。


 日本本土に侵入する前にドイツ海軍の長距離爆撃機は、レーダーで捕捉され、日本陸海軍戦闘機隊によって壊滅的な打撃を受けました。


 さて、ドイツ海軍は、大艦巨砲主義でした。


 空母は保有していましたが、戦闘機・偵察機・対潜哨戒機しか搭載していませんでした。


 ドイツ海軍は「航空機で戦艦の撃沈は不可能」と考えていたからです。


 そのドイツ海軍が長距離爆撃機を保有している理由は、日本本土の軍港への偵察と爆撃のためでした。


 一部の航空関係者が唱えた「戦略爆撃」ではないため、ドイツ海軍が保有する長距離爆撃機は少数で、最初の日本本土空襲で大損害を受けたため、それ以降は洋上での哨戒のみが任務になりました。


 ロンドン海軍軍縮条約は、開戦まで、どこの国も破棄しなかったため、日本海軍が保有する戦艦は10隻、ドイツ海軍が15隻でした。


 日本は長門型戦艦2隻が16インチ砲搭載戦艦で、扶桑型2隻・伊勢型2隻・金剛型4隻は14インチ砲搭載戦艦でした。


 ドイツ海軍は、最新のビスマルク級戦艦も含めて15隻すべてが15インチ砲搭載戦艦でした。


 もっと大きな砲にする意見もありましたが、砲弾の供給や砲の訓練のために砲を統一した方が有利だと考えたからです。


 空母はグラーフ・ツェッペリン級2隻で、前記の通り搭載しているのはほとんど戦闘機で、艦隊上空を守るのが任務でした。


 根拠地であるウラジオストク(ドイツはあえてロシアの地名のままにしていました。ロシアから征服した土地である記念碑としてです)を出撃したドイツ大海艦隊は、戦艦15隻・空母2隻を主力として北海道の稚内を目指しました。


 稚内は北海道と樺太を結ぶ連絡船の港であり、樺太の油田は日本にとって重要だったからです。


 稚内にドイツ大海艦隊を近づけさせれば、日本海軍連合艦隊が迎撃のために出撃してくるので、艦隊決戦をおこない、それに勝利するという計画でした。


 日本海軍が保有する正規空母が6隻、ドイツ海軍の3倍なのは知っていましたが、空母2隻分の戦闘機と戦艦の対空砲火で対応可能だと考えていました。


 ドイツ大海艦隊は、日本の連合艦隊と接触しないまま、北海道に接近しました。


 そこに空襲したのが、北海道の航空基地を出撃した日本陸海軍合同航空隊でした。


 陸軍機の一式戦闘機「隼」と海軍機の零式艦上戦闘機の集団がドイツ海軍空母戦闘機隊を駆逐し、陸軍機の九七式重爆撃機と海軍機の九六式陸上攻撃機・一式陸上攻撃機が艦隊を襲いました。


 陸海軍合同航空隊は、機体の統一はできていませんでしたが、指揮系統は一本化されており、陸軍でも洋上航法の訓練はしていました。


 ドイツ海軍の空母2隻はたちまち撃沈され、戦艦も2隻が沈没、3隻が大破となりました。


 それでも、ドイツ大海艦隊司令長官は「戦艦の数が10対10の互角になっただけ」と判断して戦闘を継続しました。


 そこに現れたのが戦艦10隻を主力とする日本海軍連合艦隊でした。


 この時、連合艦隊が引き連れていたのか小型空母「鳳翔」だけで、正規空母は1隻もありませんでした。


 空母を喪失し、偵察機・弾着観測機も飛ばせなくなったドイツ大海艦隊は、日本連合艦隊に正規空母が不在なことは分かりませんでした。


 連合艦隊のみが弾着観測機を使用可能な状況であり、有利に水上砲戦を進めました。


 それでは、日本海軍の正規空母6隻はどこにいたのか?


 それについては本日夕方6時に続きを話します。


 それでは自由行動になります。


 夕方6時にお待ちしております。

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