第一話 選ばれし一人
七年前。その日は快晴だった。
天を仰げば夜空に輝く星々と目が合って見惚れて、たった今大盛況の王城前で幾人もの人々にどこを歩いても体がぶつかってしまうくらい恍惚とさせるような、そんな景色が目の中を埋めつくしていた。
人は笑い、喜び、興奮のあまり人の肩を強めに叩いたり、それはもう少年の目には感動として映されていたくらいだ。
普段は閑散として緊張感漂う城の前が、今ではこんなにも盛り上がっている。その事実と、何より平和を感じる時の長さに、少年――ユファン・ノーブルの瞳と脳内は、夜空の景色さえ凌駕していた。
「ねぇ、マニール!もっと奥に行こうよ!」
高揚感に駆られ、体の支配権を完全に失ったかのように飛び跳ねながら嬉々として今の思いを率直に伝えたその相手。
現在十歳のユファンが歳も分からない昔に産みの親を失って以降、孤児となった瞬間から日々の世話をすることになった孤児院の老婆――マニールだ。
そんなマニールは、今まで見たことのないような興奮を見せるユファンに対して、断るなんて選択肢を選ぶほど親をしていないことはなかった。
「ふふっ。そうしようか」
「やったぁ!」
まさに子供を愛している親のような微笑みが、快諾の意味を込めて伝わってくるような声色だった。こんなにも周りの喧騒が激しい中そんな声で子供の願いに応えるのは、きっとマニールだけだっただろう。
しかし、ユファンの願いに耳を傾けたとして、それがこの場にいる全員の総意とは限らない。それを知らしめるかのように、ユファンとマニールと共にこの場に足を運んでいた銀白色の髪色をした少女は、ユファンの後ろから、歩き出したユファンの裾を掴んで言う。
「……待って。私ちょっと疲れちゃった……」
「ん?疲れた?」
「……うん」
急に裾を掴まれても、ユファンは何事もなかったかのように立ち止まり、少女――リヴィス・ファレーロと目を合わせた。そしてその動きに一切の不満が感じられず、優しく一言だけ聞き返していた。
そんな二人を見て、マニールは言う。
「おやおや、流石に滅多に来ない城の前だと、はしゃぎ過ぎて疲れも溜まりやすくなるのかね」
マニールも同じく、これまでの二人を目を離すことなく見てきたからこその言葉で、優しく言った。
確かに、マニールの言うように城の前にこうして人が大量に集まることなんて稀有なことだ。何故なら、普段から城の前は立ち入りが制限されていて、有能で優秀な人間しかこの場には居られないのだから。
「珍しいね、リヴィスが疲れるなんて。いつもなら僕が疲れる方なのに」
完全に向き合ったユファンは、日常でのリヴィスとの追いかけっこを思い出しつつ、微笑みの中に心配を込めて言った。
「……何だか落ち着かなくって」
「大丈夫かい?」
しかし、落ち着かないと言うように、リヴィスの表情は顔面蒼白かと思えば全くそんなことはない。だから間髪入れることなく、マニールも怪訝な表情になって心配の言葉を投げた。
そんな時だった。
「うおおぉぉぉぉ!!!!」
大観衆が、何倍もの声量で騒ぎ出したのだ。
当然それに驚いたのはユファンたち三人も同じで、三人共に、驚きのあまり声を出すことすらできなかった。しかしリヴィスは体調が優れないようで、二人に比べて驚くことに力は回せなかった様子だった。
そしてそんなことも刹那、すぐにその声の理由を理解することに。
「なっ、何事かと思ったよ」
そう言うユファンの目の先にはリヴィスが居て、更にその奥、そこにその理由があった。
大仰とも言えるくらい派手なステージのど真ん中。そこに誰もが目を向けるだけの価値がある。
たった一本。されど一本。
たった一人。されど一人。
そこには、剣士なら誰もが憧憬を抱く七つの呪われた剣の一本――不純の剣があり、その剣の後ろに立つ選ばれし至高の剣士に、誰もが期待と憧憬と夢を抱く。
「わぁ……見て、マニール!リヴィス!」
そしてユファンも、一瞬にして心を掌握された。
リヴィスの体調は一瞬にして記憶から消え、今日この場に来た理由である新たな不純の剣適合者に最大の興奮が身を包んでいた。
「……凄いよ……ねぇ、凄いよね?!」
高揚感が消えず、周りの盛り上がりに更に高揚感高まるユファンは、自分のことだけで精一杯。だからまたしても、リヴィスの大きな変化に気づかなかった。
「……うっ……痛い……」
「リヴィス?!どうしたんだい?!」
頭を押えてその場に倒れ込むリヴィスに、マニールはいち早く気づいて力を吸収。その場に体を強打する前に、両手で抱えた。
「何……って、大丈夫?!」
少し遅れて、我に戻ったようにユファンも声をかけた。
そして同時に少しの違和感に気づく。不思議なことに周りの人々は誰も心配しないのだ。助けようともしない。
いや、違う。そんな意識は向けられないだけだ。
誰もが視線を不純の剣に向けていることから、そんなこと簡単に推察できた。
「……これが……呪い」
しかしそんなことよりも、取り敢えずリヴィスの倒れた原因を突き止めるのが優先だと、考えることを止めた。が、その表情は先程よりも悪化しているとは思えず、寧ろ回復しているかのように元気に見えた。
「……どういうことかしら?」
汗はかいてなくて、顔色は良い。呼吸も整っていて、足だって倒れるくらいに疲労していない。それは全て魔力の流れを見れば一目瞭然だった。だからマニールは困惑していた。今の状況が不思議過ぎて。
「大丈夫?どこがどう悪いの?」
「……体が……苦しい」
「体が?」
ユファンの問いかけに、今できる限りの答えをしただろうリヴィス。目を瞑っていること以外元気に見えるからこそ、その答え方に更に理解が遠のく。
「なんなんだろう……どうなるんだろう……」
次第に不安が募る。
周りは既に手遅れで、誰も助けてくれないことは分かっている。ならば誰に助けを求めればいいのか、今の状態が死に繋がらないと確信できない以上、不安の度合いは増すばかり。
どうしよう。その言葉だけが頭の中を駆け巡る。答えが天啓のように出てくれないかと。
そして不安が飽和状態になりそうな、その限界のギリギリ手前くらいだった。
不純の剣を認めさせたことで主として選ばれた、この大観衆が集まった目的の人物が口を開こうと息を吸った時、不純の剣は新たな主を見つけたのだと、意志を持った。
ステージにある輝かしくも禍々しい奇妙な不純の剣は、あろうことか不純の剣として自らを認めさせた主を捨て、たった今、リヴィスという孤児の目の前に浮いていた。
「……え?」
「不純の剣が……マニール、なんで、なんで不純の剣がリヴィスの目の前に……?」
混乱と不安が入り混じる二人。
理解するのに時間がかかったが、それが意味することはたった一つだったからこそ、混乱は早々と消えた。
そう。不純の剣――七つの呪われた剣の一本は、リヴィス・ファレーロを新たな主として迎えると決めたのだ。