9話
「あー、やりたくねえぇ!」
「ナツ...唸っても変わんねえぞ?」
「分かってんだよ!でも、現実逃避ぐらい良いだろ!?」
「...はあ。これだからナツは困んだよなあ」
九月九日月曜日。俺はとことん憂鬱だった。学生諸君にとっては喜ぶべき学園祭準備期間...のはずだが、俺は正直嫌な予感しかしていない。第一、アイツが張り切っているからな。
「ナツ!今年こそは、ナツに新しい世界をーーー」
「見せなくていい!」
そう、凛華のこの言葉が嫌で嫌で仕方ないからこそ嫌なのである。
「なんでだよ!僕だって、男装するから!」
「お前の方が失うものはねえだろ!俺なんて、女装趣味があるって言われて一生付きまとうんだぞ!?」
「えー、でもさー」
「でもさ、じゃねえんだよ!マジで一生付きまとうし、俺の彼女が出来た時にそれで別れる...なんてことになったらどう責任とんだよ!?」
激情のままに言った言葉に、凛華は一瞬硬直した。そして俺を見つめると、恥ずかしそうに、
「...じゃあ、その時は僕がお嫁さんになるから」
「ーーーッ!?」
突然の言葉に、俺はつい凛華をマジマジと見つめてしまう。いつもならこの後に、「バーカ。なに本気にしちゃってんのー?」なんていってきそうなものだが、今日のそれは違う。真剣そうな表情の裏側、心無しか頬が紅潮している気がする。
「...」
「...。」
互いに、無言が続く。というか、改めて見るといつもはただ漠然と「可愛い」と思うだけなのに、さっきの発言のせいか顔の細部に目がいっていた。いつもは笑みを浮かべている頬は見れば見るほど紅潮している気がするし、目はなんだか少し潤んでいる気がする。それから唇が柔らかそうだなーーーなどと考え、そしてそこで俺の考えが「幼馴染」としてではなく「女」として見ていることに気づき、我ながら愕然とする。
「...も、勿論冗談だからね?だ、だからその...そんな真っ赤になられると僕も困るっていうか、その...。」
俺の考えが顔に出ていたらしい。結構慌てたように付け足した凛華の言葉に、俺は(ああ、いつもの凛華だ...。)と安堵したーーー一方で、少しだけ寂しくもあった。なんで寂しいかはわからない。ただ、何か寂しいという漠然とした思いがあった。
結局その後は話を切り出せないまま学校に着き、これ幸いとばかりに勉強を逃げ道にして一旦その話は置いておこうーーーと、その時は考えたのだが。
最初の授業ーーーその内容を見て、絶望する。そこには、ホームルームの文字が無慈悲にも記されてあったのだ。
「...諦めろって。なあ?」
「...」
5分後、きっと恋が見た俺の姿はま灰のように真っ白だったろう。
い、いや、諦めるにはまだ早い!きっと今からでも意見を通せば惰性のまま俺の意見にーーー
「メイド喫茶!」
「ツンデレメイド喫茶!」
「いっそツンドラ喫茶!」
「...あー、ナツが燃え尽きてんので保健室まで持ってきます」
やっぱり無理だよね。うん、なんとなくわかっていた。そういや、去年も凛華の策略によってメイド喫茶になりそうだったんだよなー。あれ、子供の頃の俺と凛華だ。これ走馬灯かー。俺死んじまったのかー。アハハハハーーー
「おい、起きろバカナツ!」
「いでっ!?」
直前まで薄暗いナニカの中で回っていた俺を現実に引きずり戻したのは、恋が俺を何かから落とした衝撃だった。
思わず腰をさすると、「はあ、これだから困るんだよなあ...。」と呆れ顔の恋が俺を見ていた。
「...何があったんだ?というかなんで保健室?」
俺が聞くと、
「お前がツンデレ喫茶になるのを見て放心して灰になったんだよ。俺はその片づけで、一応は保健室に持って行けって言われたからな」
「...悪りぃな」
「なに、いいさ。...ああ、礼ならもどかしい今のナツと凛華の関係を崩してくれれば良い」
さらりと恐ろしいことを言われた。「あいつは幼馴染で友達だから、友情を壊したくない」といたって真面目にいうと、「...これだからまだアマちゃんなんだよ。詰めが甘すぎる」と逆に怒られた。なんでなんだ?
「...ま、今すぐに関係を変える必要はない。だが、まあ...とりあえず、高校いっぱいまでは経過を見る。そのあとは自己責任だ。高校卒業後は俺が積極的に関与するから、そのつもりでいろよ?」
「恋、やっぱりお前って性格悪りぃよ」
「生憎、これが素だ。恨むんなら、こういうふうに俺を育てたあの親父にいえ」
「...分かったよ、高校までにはなんとかする。出来るか分かんねえけど、少なくともあいつの気持ちはしっかり聞きたい」
素直に言うと、「...へえ。ただの臆病チキン野郎だと思ってたが、まあある程度はやる気があんのか。...なら、もう一押ししてやれば...。」などと後半は聞き取れないものの前半は罵倒された。まあ、やっぱりこれが素って終わってるなとは感じるが。