6-5:最後の見送り
輸送艇が見えなくなったのを確認して、サクラは小さく息をつき、
「……っ」
途端に右の眼窩がじくりとした痛みを訴えて、サクラはその場に座り込んだ。今更のように、サクラは翠月精を施す。
「オツカレサン」
「……ええ」
気のないコウセイの労いに、サクラも気のない返事を返す──いや、返そうとして、
「──っ」
決して穏やかとは言えない轟音──直後に、何故か背筋に走った悪寒に、サクラは息を呑み、翠月精を思わず止めてしまう。
音の発生源は村に通ずる坂道──頑丈な岩壁に、フィルの拳が深々とめり込んでいた。
拳を引き抜いたフィルは、呼吸を何度か繰り返し、最後に大きく息を吐き出す。何故か、吐き出されたのが、吐息ではなく炎に見えた。拳から滴り落ちた血が、やけに生々しい。
「サクラ様」
ゆっくりと振り返ったフィルは、静かに──静かすぎるくらいにサクラに歩み寄る。
「翠月精、止まっておりますが?」
仮面だってそれっぽい表情で造られているというのに、フィルの顔には表情というものが完全に抜け落ちていた。こびりついた泥や煤の方が、まだ感情的に見えた。
文字通りの、ただの〝顔面〟──目口鼻耳しか無くなっていた。
「無論、サクラ様の御体は強靭でございます。例え……そう、細菌に感染して化膿して腐敗して、それが御脳に達したとしても、どうということはございません。ええ、ございませんとも」
「は、はひ?」
思い出したように、サクラは再び翠月精を施していく。
「よろしい。では、愚にもつかぬ弁明をお聞かせくださいませ」
弁明って何ですか?──などと言おうものなら、次は問答無用で剣や月精が飛んでくる。
普段から悪態や毒舌の絶えないフィルだが、本気でキレた彼女は、不要なモノを一切排除して迫る。そのくせ、絶対零度の怒りを隠そうとしないから、恐ろしいことこの上ない。
サクラは肩をすくめ、まずは要点だけを語ることにした。
「こうでもしなきゃ、また同じことの繰り返しです」
「それは、如何な事で?」
「如何も何も、貴方も分かってるでしょう……飛翔艦の試験航海だの大型餓獣の討伐だの、そんなのは建前だってことは」
「……」
フィルの怒りが、少しだけ引く──それは、サクラの言葉を肯定していることを意味していた。
「十中八九、狙われたのはこの私です。こんな狙いすましたかのような偶然が、あるわけないでしょう」
「サクラっ?」
悲鳴じみた声を上げながら、ラヴィーネが駆け寄ってきた。だいぶ駆け回ったのか、こちらも泥と煤にまみれている。
「どうしたんだよ、その頭も目もっ?」
「大した事ではございません……サクラ様の、いつもの勇み足でございます」
「あ~じゃあサクラが悪いね」
フィルが嘆息交じりに言うと、ラヴィーネは納得したように頷いた。
何だかすごく納得できなかった。
「さて、まだ終わりではございません……今度こそ、村の方々を弔いましょう」
フィルが手を叩いて言うと、ラヴィーネもコウセイもさっさと村の方へ戻った。
「サクラ様、何を呆けておられますか? まだまだ元気でございましょう? こんな時こそ、有り余った強大な力を使うべきでは?」
「分かってます……っ」
強がって吐き捨てたものの、思った以上に勢いの抜けた声しか出せなかった。
*****
朝焼けに照らされた村は、灼凍龍の月精術のおかげもあってか、すっかり火が消えていたものの、当然ながら全ての家が全焼あるいは全壊で、修復は不可能。なので、〝建物の被害〟を気にする必要は無く、皆がそれぞれの力を大いに振るって、手あたり次第に村人たちを回収していき、全員集めてから輝石に変換する。
〝救助〟ではなく、〝回収〟。
〝助ける〟ではなく、〝運んで集める〟。
必要以上に気遣う必要が無いこともあり、作業はそう難しくなかった──あるいは、感覚も感情も麻痺しかけていた。
焼け爛れただけならまだ良い方で、大半は判別は出来ない程に全身真っ黒に変わり果てていた。
なのに──誰なのか、すぐに分かった。顔が分からなくても、すぐに分かった。
年は増えるのに後頭部は薄くなっていると悩んでいたジョルド爺も。
年と一緒に小皺がどんどん増えるとぼやいていたエナ婆も。
弓自慢で狩りの時は一番矢を欲しいままにしてきたラド小父も。
何かと博打を持ち出して盛り上げようとするルッツも。
獣肉と野菜の煮込みが自慢だったリーシュ姐も。
「……クラ様……サクラ様っ?」
「え? あ、はい、何ですか?」
何やら呼ばれて、サクラは顔を上げる──しかし、そこには誰もいない。
「こちらです」
別の方から聞こえてきたのでそちらを向けば、フィルが冷たい目を向けていた。
「作業がそろそろ終わるのでそれをお伝えしに来たのですが……お目が痛まれますか?」
「目……ああ」
右目に触れてみる──包帯代わりに巻かれた粗布の感触のみで、その奥にあるはずの手ごたえが無い。どうやら、夢の中での話ではなく、紛れもない現実のようだ──じくじくとした疼痛が、その証拠だろう。
「そろそろ終わる……本当でしょうね? 見落としは無いでしょうね?」
「再三確認いたしました故、間違いございません。ただいま最後の二二人目……ストリフ殿が終わりました」
「……ですね」
兵士達と同じく網は人数分作る一方で、焼失を免れた建物の廃材を細かく刻んで名前を彫り、網を結び付けた。
一度で行う変成は、一人ずつ。一度に複数人行うと失敗する可能性が高まるし、変成した後で判別がし辛くなる──という細かい理屈より、物の様な扱いは出来る限り避けたいという本音は、おそらくサクラだけではなかった。
時間も手間も厭わず惜しまず、ラヴィーネに至っては無心でそれらを続け──最後の一人の変成が終わった時には、日が傾き始めていた。
排熱と冷却を経て、黒い球体が消えて露わになったのは、つい先ほどまでストリフだった小さな輝石──それは静かにラヴィーネの手に降ろされる。
「父ちゃん……こんなに、小っちゃくなっちゃった……」
虚ろな目で軌跡を眺めながら、ラヴィーネは呟いた。そして、思い出したように、盆の上に並べられた、合わせて二三の輝石を見やった。
「爺ちゃんも、みんなも、こんなに……」
ラヴィーネは、フラフラと盆に歩み寄り、膝をついて一つ一つを確かめるように触れていく。
「ラヴィ、もう少し……あと一つだけ頑張りなさい」
「ああ、うん」
声をかけると、ラヴィーネは思い出したようにストリフの輝石を網にくるみ、名前を刻んだ木札に引っ掛けた。
それでようやく、ラヴィーネの全身から力を抜けた。それを確かめて、サクラも大きく息を吐き出す。
「サクラ様、一息つきましょう。さすがに」
「……もう座ってます」
サクラは、いつの間にか自分が座り込んでいることに、ようやく気付いた。
徹夜で不休に加え、損傷の激しい死体をいくつも運んだのである。サクラの精神は、自身が思う以上に擦り減っていたらしい。
「フィル、貴方も」
「申し訳ありません……既に失礼いたしております」
と、既にフィルも座り込んでいた。さすがのフィルも、はっきりと現れるほど消耗していたらしい。
そしてコウセイも──静かに降りてきたコウセイが装甲を収納すると、露わになったのは、お世辞にも良いとは言えない色の顔つきだった。
「コウセイ。貴方も……コウセイ?」
「……ぅっ」
コウセイの足が、不意に力を失ったようにもつれ、その場に膝をつき、
「ぐっ、はっ」
咳き込んだ途端、塊のような血が、コウセイの口から溢れ出た。
「コウセイっ?」
疲れたなどと言ってる場合ではなかった。
サクラはすぐさま立ち上がって駆け寄ると、翠月精を月路に巡らせ、
『警告っ!』
マオシスの声と共に、サクラの足元に光条が放たれ、更にはコウセイの周囲にいくつもの画面が投影される。
『汚染進行を招くため、月精は絶対に使用しないでください。これより浄化作業を行います』
コウセイは見えない力で持ち上げられ、操縦席へと運ばれていく。意識があるのかないのか、半開きになった目は焦点が定まっておらず、口からは血が流れ続けていた。誰がどう見ても、〝調子が悪い〟などでは済まされない状態にあった。
「……マオシス。貴方、〝汚染〟とか言ってましたね」
思えば──疑問と懸念は、以前からサクラの中にあった。表面化していなかったことに加え、今まで色々とありすぎたことで、隅に追いやってそのままにしていた。
〝異星人〟という、決して軽視してはいけない事実を。
「コウセイの体は、この星に合っているんですか?」
それまでとは違う土地に移った者が、慣れない食べ物飲み物を口にして腹を壊したという話は、挙げればキリが無い。
では、正に世界が違うコウセイの場合は、どうなのか?
マオシスは、すぐに答えを出した。
『否定。コウセイの身体は、この惑星の環境に適応していません』




