1-4:黒い巨人と黒い異人
横倒しの巨人に近づく──と言っても、バカみたいに広い場所のせいで距離感も錯覚したようで、部屋からはかなり歩く必要があった。
「ああ、ラヴィ! 危ないですよ」
「大丈夫大丈夫!」
ようやく目の前まで近づくと、ラヴィーネは待ちきれないとばかりに巨人の左手に飛び乗り、そこから体を登っていく。巨人の反応がないところを見ると、確かに大丈夫のようだ──とりあえずは。
「巨人というよりは巨大な機械人形、なんでしょうけど……」
サクラは注意深く近づきながら、巨人を観察する。
横倒しになっているが、直立すれば二十ヌーラには届くだろう巨体は、一見すれば無機質。しかし、機械や人形における〝関節〟らしい部位は見受けられず、材質もはっきりしない。試しに触れてみれば、触感は柔らかい。強く叩いてみれば、反発するような感触だけ。
「……」
サクラは両腰から剣を抜き、それぞれの柄尻を繋ぎ合せる。出来上がったのは、一本の双刃剣。
「ちょ、サクラっ?」
ラヴィーネの制止も聞かず、サクラは斬りつけ、のみならず突きまで叩き込んだ。
決して大柄ではない──胸以外は──サクラだが、月民の中でも特別な彼女の膂力は、素手でも大岩を砕く。手にしている双刃剣にしても、切れ味はもちろん、総重量は八十ルギス──小岩にも匹敵する重量である。
だというのに、
「っ?」
サクラの渾身の一撃を受けて、一瞬歪んで見せたものの、直後にはバネのような強い反発で剣を跳ね返してきた。それこそ、サクラを逆に弾き飛ばすような勢いで。
「うわぁ……全然壊れてないよ」
ラヴィーネが目を丸くする。剣を受けた部分は、傷一つ無い滑らかな表面に戻っていた。何事も無かったかのように。
「確かに、これは凄いですね……ねえ、ラヴィ? もう一度訊きますけど、これは今までは無かったんですね?」
「うん」
「で、凄く光って凄く揺れて、それが終わったらこれが現れた……間違いないんですね?」
「そうそうっ」
と、ラヴィーネは得意気に胸を張る。
「そうですか」
サクラは深々と頷きながら、双刃剣を肩に預け、
「ラヴィ。残念ですけど、これはしばらくお預けです」
「え~」
当然ながら、得意気な表情は一転し、不満そうに頬を膨らませるラヴィーネ。
「これはラヴィが最初に見つけたんだよっ!」
「そういうことじゃないんです」
もちろんラヴィーネの不満は分からないではないが、この巨大な人形が、ただ大きいだけの〝人形〟では到底収まらないことは明らかだ。最初に見つけたからというだけでラヴィーネの懐に入れるには、あらゆる意味で大きすぎる。
なので、サクラは厳しい態度を崩さない。
「この事は、村のみんなにも伝えなきゃいけません。ラヴィ、この遺跡に通うのも、しばらく我慢しなきゃいけないと思っていなさい」
「しばらくってどのくらい?」
「え? ああ、そうですね……そもそも動かせるかどうかも分からないし、動かせるにしても安全かどうか、ちゃんと確かめないといけませんし……」
ラヴィーネの問いに、サクラはブツブツと大真面目に思考を巡らせ、しかしすぐに止めた。
「……何にしても、村長やストリフに相談しなさい」
「え~」
「え~、じゃありません。〝嘘つき〟って言われてもっと怒られなくなっただけ、マシだと思いなさい。それよりも」
と、サクラは最初に入ってきた扉の方を示し、
「後でフィルも来るって言ってたでしょう。行って、ここまで案内しなさい。私は、もう少しこれを調べてみますから」
「ちぇ~」
渋々と口を尖らせながらも、ラヴィーネは大人しく走り去った。
「……さて」
ラヴィーネの姿が扉の向こうに消えたのを確かめると、サクラは視界の端に映った足跡に、意識を集中した。
積もった埃の上に出来ている足跡は、明らかにサクラやラヴィーネのそれとは違う。しかも、まだ新しい。
サクラは感覚を研ぎ澄ませる──研ぐに研ぎ澄ませ、ようやく捉えた。
(……手練れ、ですね)
鋭敏なサクラの感覚を、ここまで研ぎ澄まさなければ捉えられないほど、気配の消し方が上手い。
(でも)
月精の動き感じられない──つまり、
(相手は地民……ならっ)
サクラは床を蹴った。
*****
ただの一足で、サクラの体は十ヌーラ以上を上昇し、巨大人形の上を飛び越えた。
「!」
巨大人形の右肩近くにいたそいつは、こちらに気づいて見上げる。だがその時には、サクラはそいつの背後に着地、双刃剣の切っ先を、後頭部に突きつけていた。
姿形は、人類だと思われる──というのも、頭から足の先まで奇妙な黒い装甲で覆われ、ており、ヒト型という以外、正確な体格も分からない。背中に差している、緩やかに婉曲した細長い棒は、剣だろうか。
何にせよ、
「見るからに怪しすぎますよ。何者ですか?」
「……」
「答えなさい。それとも、お喋りも出来ないのですか?」
「×××××」
「……何ですって?」
「×××、×××××」
頭殻のせいで声がくぐもったかと思ったが、どうやら操る言語はこちらのそれとは大きく異なっているようだ。声質から考えて、若い男と思われるが。
「どこの生まれか知りませんが、分かる言葉で話しなさい」
「……×××」
頭殻越しでも、男が深々と嘆息したのは分かった──あからさまに小馬鹿にしたように。
「言葉が通じなければ分からない、なんて思ってないでしょうね?」
剣の切っ先で、頭殻の後頭部をやや強めに小突いてやる。
「……話ができないなら、とりあえず大人しくしてなさい。痛い目に遭いたくなければ」
「……」
男は、肩をすくめるような動きを見せ──装甲で膨れ上がった左足で、床を強く踏みつけると、サクラの視界は急に傾いた。
「──え?」
自分の体が傾いた──そう認識した時には、男の上半身が前に折れ、反動で右足が背後のサクラ目がけて大きく跳ね上がっていた。
「──っ」
思わず飛び退くが一瞬間に合わず、踵が顎を掠めた。
「こ、このっ」
サクラは、強靭な膂力によってただの一歩で間合いを詰め、起き上がりかけた男に双刃剣を振り下ろす。
男は苦し紛れに右腕を割り込ませるが、完璧な間合いから突進の勢いと素手でも大岩を砕く膂力で振り下ろされた重量級の刃は、装甲ごと男の腕を粉砕する。
「え」
その筈だった──それを疑っていなかったから、視界が反転して宙を舞ったことに、気づくのが遅れた。
「っ!」
寸でのところで身を翻し、頭ではなく背中から床に落下──硬い床にしたたかに打ち付けられて息が詰まりかけるが、双刃剣を構えながら跳ね起き、
「──あ、れっ?」
足がもつれた。
「は、え?」
反射的に剣を付いて支えるが、そうでもしなければ姿勢を維持できなかった。
足に力が入らない──力を入れても、震えるばかりで踏ん張れない。
おかげで、
「っ!」
つま先から一メルにも満たない位置で光が弾けただけで、サクラは膝をついてしまった。
「×××、×××」
男が何かを言いながら、サクラの剣の間合いギリギリの位置に立つ。
「っ、だからわかる言葉で」
思わず喚くサクラを遮るように、男は右手の向ける──五指の先から、次々に光が矢のように放たれ、サクラの膝先の床を穿った。
大人しくしろ──そんな類の言葉を言っているのだろう。
「……私の方が舐め過ぎたみたいですね」
サクラに向けられた男の右手は、サクラの渾身の一撃をまともに受けて、しかし傷一つ見受けられない。
対してこちらは、どういうわけだか膝をついてまともに立つこともできない──サクラは奥歯を噛みながらも、自身の油断を自覚した。
出し惜しみなどしていては、確実に負けると。
「でもね」
胸の内が一気に熱くなる。
「ここまでされて大人しくするほど」
それは瞬く間に全身に広がる──月路を通じて。
「私はお淑やかじゃないんですよっ!」
サクラの体から、蒼の閃光が爆発した。
その笑みが──全身が、蒼の閃光に包まれる。
否──光そのものと化し、周囲を蒼に染め上げた。