4-6:熱狂の紫煌、そして後には空虚な徒労
「この程度で、私を……っ」
貫かれた腹の傷に翠月精で施術しつつ、ユスティシャニアは怨嗟と怒りを満面に張り付けながら、剣を抜いた。
「煌人を倒せるなどと」
『思ってナイ』
対して、コウセイは静かにユスティシャニアの言葉を遮りながら、指先に光を帯びた右手を向ける。
『煌人の生命力、回復力……トテモ、強い。完全に壊さなイト、煌人を殺ス、デキない』
「……っ、き、貴様っ」
満面に浮かんでいたユスティシャニアの怒りに、色濃い怯えが浮かぶ──その足元に散らばっているのは、つい先ほどまで人の形をしていた肉の欠片。
「……ユスティシャニア殿下」
サクラは崖から飛び降りると、二人の間に立った。
「どうかお引きください。これ以上は、どう転んだところで何ら意味を成しません」
あくまで冷静に、論理的な言を心がけながら、浜辺に乗り上げた輸送艇を示し、
「飛翔艦は沈みましたけど、あの輸送艇は傷一つついていません。一番近くの町まで飛ぶくらいなら」
「黙れぇっ!」
「な……」
半ば悲鳴のような怒声に、サクラは思わず息を呑む。
あのティーシャが──それこそついさっきまで、ともすれば皮肉めいた余裕や冷静さを崩すことのなかったユスティシャニアが、醜悪な顔で怒鳴り散らすなど、今の今まで想像すらしていなかったから。
「黙れだまれダマレダマレェエエエっ!」
炉心駆動が臨界突破──ユスティシャニアの胸元で、紫紺の閃光が爆発し、サクラは思わず飛びのく。
「っ、テ、ティーシャっ?」
「……サクラ」
コウセイの剛腕に肩を掴まれ、サクラは強引に引き戻される。
「アレは、もうダメだ」
諦めろとばかりに首を横に振りながら前に出ると、全身の装甲が波打つような動きで背中に納められる。
そして手元には、最初に出会った時以来に見る、あの緩やかに湾曲した黒い剣が握られていた。
「き、キサマぁ……っ」
月煌化の煌人を前にして強大な武器を捨て、代わりに持ち出したのは剣ただ一本のみ。
その意味を正しく理解したのか、あるいはただの侮辱とだけ捉えたか、ユスティシャニアは紫紺に輝く顔を歪ませ──消えた。
文字通り、消えた──姿形はもちろん、目を眩ませるほどの紫紺の輝きも、全て。
*****
目や耳は、単体ではあくまで外部からの情報受信体であり、その情報を脳で処理して、初めて〝見る〟や〝聞く〟と認識する。
言い換えれば──目や耳が正常に機能していても、その情報を脳が受け取らない限り、例え目の前に立って騒いでも、気づきもしない。
高密度の紫月精によって展開された術によって、ユスティシャニアの姿や発する音もちろん、月煌化の光や手に持つ剣すら、その場にいる者達には〝無いモノ〟として認識させられていた。
当然ながら、それはコウセイも例外ではない。装甲まで外したとあっては、既に完全に追い詰められている状況である。
「……」
だというのに、コウセイの剣はまだ鞘の中。利き手である左手は、だらりと下がったまま。焦るどころか、やる気があるのかも怪しい、いつもと変わらない立ち姿。
あろうことか、やる気など欠片も無さそうな小さな溜息を吐きだし、面倒そうにのそりと踏み出し、
「っ」
するりと捻るように身を翻し、その動きの中で抜き放たれた剣は、虚空に弧円を描いた。
響いたのは、刃が空を切るそれとは違う、何かにぶつかる鈍い音、続いて何か重たいモノが砂浜の上に落ちる音。
「ぐ、あ……っ」
更に苦悶の呻きが響き、コウセイからやや離れた位置で紫月精が霧散し、弱々しく明滅を繰り返すユスティシャニアが姿を現した──両腕を失った状態で。
その両腕は、砂浜に突き刺さっていたユスティシャニアの剣を、握ったままだった。
「……あ、ぎ、が、ぁ……おぉァアァああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
咆哮──あるいは悲鳴?──と共に、消えかけていた紫紺の閃光が爆発する。
ユスティシャニアを中心に広がった濃密な紫月精は、それ自体がある種の衝撃波となって、彼女の周囲の砂を巻き上げる。その煙を割って、コウセイ目がけて飛びだしたのは、ユスティシャニアだったモノ。
「この、バ ケ モ ノ グがぁああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
怨嗟、恐怖、後悔──そんな感情がない交ぜになった、
怒号とも咆哮とも悲鳴ともつかない音を発し、
本能に駆られるだけの、
狂った獣だった。
「……」
コウセイは、もはや見向きもしなかった。
木の葉でも払うかのように、剣を翻した。
とても億劫そうに。
*****
もう驚きはしなかった──あるいは、麻痺していただけかもしれない。
突進の勢いのまま、ユスティシャニアの体は派手に転げても。
両腕だけでなく、今の今まであったはずの首から上が無くなっていても。
足元に転がってきて、つま先にぶつかったそれが、先ほどまでユスティシャニアの体に繋がっていた首だとしても。
「……」
何とはなしに拾ってみたそれ──煌人は首だけになっても意外と重いのだとか、どうでも良いことばかりが浮かんできた。
かつての親友、怨嗟と恐怖をないまぜにしたような表情のまま、無残な姿を晒しても、サクラは何も感じなくなっていた。
そして、それを成した張本人と言えば、
「……はぁ」
小さく息をつきながら、剣を納めていた──何もない表情のまま。
優越は無く。
喜悦も無く。
侮蔑も無く。
嘲笑も無く。
憎悪も無く。
哀惜も無く。
憐憫も無く。
面倒な作業を淡々とこなして、しかし得られたモノは何一つ無い、徒労感だけがあった。
圧倒的な殺戮と破壊が、コウセイにとっては虚しいだけの、徒労の作業だった。
じわりとした怖気が、サクラの背筋に走る。身を締めつけるような、強烈なモノではない。僅かな隙間を辿ってゆっくりと、じわりと確実に芯へ侵してくる。
ユスティシャニアの、〝バケモノ〟という言葉と共に。
「サクラ」
「っ!」
コウセイに呼ばれたサクラは、いつの間にか垂れ下がっていた剣を構えかけた。それを堪える代わりに、抱えていたユスティシャニアの首を思わず取り落とす。
コウセイは、そんなモノには目もくれず、遺跡の方を指さし、
「……あっち、動イタ」
『フィルでございます』
丁度良く、通信機からフィルの声が聞こえてきた。
『ご指示通りに致しました……一応の、私めなりに、ではございますが』
中空に投影される、フィル視点の映像。補正されたおかげで、暗闇の森でもよく見える。
「ウン。とてもヨロシイ。フィル、上手にヤッてくレタ。そのまま、見張ってル」
『畏まりました』
通信を切ると、コウセイは満足そうに頷き、
「後は、アイツ次第ダ」
「! 貴方、やっぱり……っ」
サクラは自分の予感が正しかったことを理解して、怒りが一気に湧き上がり、
「手出しはスルな……サクラも、フィルも」
コウセイは、サクラの怒りを静かに、そして冷たく遮った。
「……っ、心配じゃないんですか?」
「全然、心配スルことナイ」
コウセイは、鼻で笑って見せた──逆に、何を心配することがあるのかと言わんばかりに。
「どうしても心配、ナラ、見るだけに、シロ」
「……貴方は、行かないんですか?」
「オレは、まだ、忙シイから」
と、コウセイは踵を返した──本当に、何の心配もしていなかった。




