石頭は流石に言い過ぎたかしら…
「よしリチャード、その書類を一旦置いてそこへ座れ」
「突然なんですか?アンネローゼ様まで連れて」
「いいから」
「よくないです、仕事をしてください」
「リチャード様、そうおっしゃらずに話を聞いてくださいな」
朝食後、善は急げとばかりに早速ルード様とともに執務室にお邪魔するとすでにリチャード様は今日分の仕事の準備をしており、今はルード様の机の上に書類を並べていた。
ルード様が特に驚いていないということは毎日こうなのだろう、彼の生真面目さが伺える。
「ちなみにあと一時間で陛下たちとの会議時間になりますが、お話はそれまでには終わるのでしょうか?」
「それはお前次第だ」
「はぁ、わかりました。さっさと済ませた方が賢明そうです」
あからさまにため息を吐いたリチャード様は「これだけさせてください」と言って机の上の書類をいくつかの箱に分ける。
優先順位だとか重要度だとか、きっとそういうので分けているのだろう。
その背を横目に私は三人分の紅茶を用意した。
「お待たせしました。それで、アンネローゼ様を巻き込んでの話とは?」
数分で仕分けを終えたリチャード様が席に着く。
ちょうど紅茶も用意できたのでそれぞれの前に置いた。
「お前が最近一番気にしていることさ」
ルード様がカップを持ち上げながらリチャード様を一瞥する。
同じようにカップを手に取ろうとしていた彼の動きが止まった。
「……さて、何のことをおっしゃっているやら」
リチャード様は気を落ち着けるように一度眼鏡の位置を直すと俯いたまま白を切る。
だが彼はアゼリアが認めている人だ、私が同席している時点でもう大体の察しはついているはず。
「しらばっくれるのは構わないが、その分話し合いが長くなるぞ?」
カップを戻したルード様はやれやれと言いたげな顔で席に深く腰掛けた。
まるで「長くなっても俺は困らないがな」と見せつけるように。
「今日も公務は立て込んでおります。長々と話をしている時間はございません」
「ならば早く終わらせる努力をしろ」
「それは話を始めた殿下がなさるべき努力では?」
「初めからお前次第だと言っていたはずだ」
気心が知れている故か二人の会話には貴族特有の遠回りさや遠慮はない。
双方が譲る気はないというかのように真っ直ぐな言葉の応酬が続く。
「私事でご心配をいただいているようですが有難くありませんし不要な気遣いです。放っておいてください」
「お前が素直になるなら放っておいてもいいんだがな」
「これ以上ないほど素直じゃないですか」
「どこがだ」
喧嘩腰と言うほどではないがどちらも引き下がる気はないというのが伝わってくる。
なるほど、陛下とアゼリアが強硬手段に出たのも頷けるというものだ。
「殿下、いい加減にしてください。会議までもう45分しかないんですよ?」
リチャード様は懐中時計を取り出してルード様に見せる。
ほら、と顔のすぐ目の前まで文字盤を近づけた。
ルード様はそれを鬱陶しそうに払いのけるとリチャード様を睨む。
「会議会議と言うがな、お前はその会議の内容を知っているのか?」
「はぁ?」
「答えろ」
「はぁ…、タンサイラ伯爵領の子息がイツアーク家のアゼリア嬢を婚約者に希望しているという話についてでしたが、それが何か?」
「え?」
思わず声が出てしまった。
だってそこまで分かっていて余計なお世話だと言うなら、彼は本当にこのままアゼリアが王命で他所に嫁いでもいいと思っているということだ。
私は思わず身を乗り出して彼に問う。
「あの、リチャード様は本当にそれでよろしいんですか?」
「よろしいもなにも陛下がお決めになったことですから。彼女が否やと言わぬものを私がどうこうするということはありませんよ」
それに対しリチャード様はもうすでに割り切っているという顔で答えた。
まるでそれならそれで構わないのだと、アゼリアのことはその程度にしか思っていないと言われているようで。
「~~~この石頭っ!!」
私は瞬間的に彼を詰っていた。
「………は?」
流石のリチャード様もぽかんと口を開けている。
そして横ではルード様が一瞬驚いた後思いっきり吹き出してお腹を抱えて笑っていた。
あの様子ならば後々咎められることはないだろう。
私は半ば自棄になりながら彼に言う。
「私はこの国に来て日も浅いですし、貴方とアゼリアの関係についても周りから話を聞いただけです」
「はぁ…」
「でも、そんな短い間の付き合いでも、アゼリアのことを多少は理解しているつもりです。そしてそんな彼女が貴方だけを待ち望んだ理由も察しがついています」
私がそう言うとリチャード様は「ああ」と苦く笑った。
「あれでしょう、私となら会話が楽だからと、そういう理由だと」
「ええ」
私もそう聞いているしそう理解しているので頷く。
「ですがあれは彼女の思い込みというか、たまたま環境がそうだっただけという話です。私でなければいけなかったということではない」
そして皆がそう思っているであろうこともわかっているので否定しない。
しないが、代わりに言うことがある。
「貴方はわかっておられない。私ですら感じた孤独とアゼリアが感じていたであろう強い孤独を」
「え?」
「貴方はまだいいでしょう。男性であれば優秀な頭脳は武器となり活かす場が用意されている。しかし女性はその限りではないのです」
リチャード様はまだ納得のいかないような顔をしていたので私は続ける。
「例えば私がマリシティにいた時、当時の婚約者が愚かだったこともありますが、それを抜きにしてもまともに会話できる人間と言うのは極限られていました。例えば自領の収益計算や収支計画、気候による作物への影響と領民の財政状況の把握。これらについて私が考えたとて相談できる相手はいませんでした。もちろんそれは父親との折り合いの悪さも影響しておりましたし、そもそも私が考えねばならぬ事柄ではなかったこと、家の繋がりを保つ上で私の考えなど不要だったことなどが原因でしたが、だからと言って侯爵家の一員として気にしないことなど不可能でした」
私はあの時の無力感を思い出す。
「こうしていれば、ああしていればよかった、そうすれば誰も傷つかずに済んだのに」と後悔ばかりで自我を保つことで精いっぱいだった日々を。
繰り返しが始まる以前の出来事であるためそれは過去に一回しか経験していないのに今でも私の心に深く刺さっている。
「これはあくまで私の経験なのでイツアークの珠と呼ばれていたアゼリアには当てはまらないでしょう。ですが自分の話が相手に理解されないこと、その一点に置いて私は彼女と同じ苦しみを味わったことがあるのです。この国に来てマリー様やメアリー、ミディなど同年代の高位令嬢と関わってきましたが、恐らく誰も本当の意味でアゼリアの考えを理解できなかったでしょうし私だって理解できていません。でもだからこそわかるのです、貴方という相手に出会えたアゼリアの喜びが、決してなくなることのない渇望が」
「それは、どういう?」
だんだんとリチャード様の顔色が変わってきている。
私の言葉で少しでも認識が変わってきたということだろうか。
できればそうであってほしいと思いながら私は言う。
「純粋に自分の言ったことを正確に理解して受け入れてもらえる。それがどのくらい奇跡的な事かは体験したことがなければわからない」
私は一度言葉を切って紅茶を啜った。
淹れて間もない紅茶はまだ熱かったが、お陰で頭は冷えた。
「でも想像はできるでしょう?」
私はリチャード様に微笑む。
貴方にはどうしても理解してほしいと願いを込めて。
「想像…」
「例えば船で遭難し流れ着いた先で言語の違う人間に囲まれた時、片言であれ言葉が通じる人間が現れたら貴方はその人から離れられますか?」
「…………あ」
困ったような顔をして少し俯いていたリチャード様は弾かれたように顔を上げる。
「極端な例ですが、アゼリアの貴方へ対する気持ちはそれと同じくらい大きいと思います。そしてそれは貴方も同じだったのではないかと私は思っています」
その言葉に彼は見る見る間に目を大きくし、呆然としたように私の顔を見ていた。
何か思い当たることがあったのだろう。
「心は決まったか?」
少し前から笑いを収めて紅茶を啜っていたルード様はリチャード様の変化を認めて微笑む。
細められた目は「全く困った奴だなお前は」と優しく告げていた。
「はい…、ご面倒をおかけいたしました」
リチャード様は素直にルード様に頭を下げた。
もしかしたら彼は自分の中にあるアゼリアに対する思いの大きさがわかっていなかったのかもしれない。
気づけばこんなにも簡単なことだったのに。
「いいさ、俺がお前に友としてしてやれることは少ないからな、これくらいならいくらでもしてやる」
ルード様は下げられたリチャード様の頭に軽く手を乗せると、そのまま連れ立って会議へと向かって行った。
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