これまでにはなかった王命
「すいません失礼します!」と言って顔を赤くしたリチャード様は部屋を出て行く。
バタバタと走り去る彼らしからぬ音はマイラが扉を閉めるまで私の耳に届いていた。
しんと静まり返った部屋で私は口元を押さえていた手を下ろして胸の前できゅうっと強く握る。
胸が脈打っているのではないかと思うほど心臓がバクバクと動いているのがわかった。
だってあれ絶対脈ありじゃない!!
私の手助けなんてなくてもアゼリアはリチャード様と…。
「……アンネローゼ」
背後からルード様の低くて静かな声が聞こえる。
私はきゃあきゃあはしゃぎながら飛び跳ねたいほどの興奮も冷めやらぬままに振り向いたのだが、
「やってくれたな…」
額に手を当てて深すぎるため息を吐いたルード様を見て、すぐに冷や水を浴びせられた心地になった。
「え、ええと…?」
背中に嫌な汗が噴き出してくる。
何をかはわからないが、私はとんでもないやらかしをしたらしい。
「……なんですって?」
「おい、俺を睨むな。だがまあ、そういうことだ」
「す、すみません、でも、そんなことが…」
あの後「あのー、陛下が殿下をお呼びなんですけど…」とジスがやってきた。
どうやらリチャード様はそれを伝えるために来ていたらしいのだが、私のせいで伝え損ねてしまったとのことで大変申し訳ない。
ルード様は再びため息を吐くと「寝室で待っていろ」と言ってジスと共に部屋を出て行った。
そして帰ってきたルード様の話を聞いて、私はようやく自分が何をやらかしたのかを知ったのだ。
「もしかして先ほど陛下に呼ばれた件も?」
「まあ、無関係ではないな」
恐らくそうだろうと思っていたがやはりか。
思わず窓を見れば何とも淋し気な細い三日月が浮かんでいる。
なんとなくそれがアゼリアの姿と重なった。
「その陛下からのお話は私が聞いてもいいものですか?」
隣に座っているルード様を見上げれば、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
言い難いことなのだろうか。
「聞いてもいいも何も、陛下からの話は先ほど言った内容とほぼ一緒だったよ」
「と言いますと?」
「アゼリアがタンサイラ伯爵領の子息の婚約者に望まれているという話をしただろう?あれが王命に変わりそうだという話だ」
「そんなっ!?」
けれどルード様はあっさり内容を教えてくれた。
だがその内容に私は言葉を無くす。
タンサイラ伯爵領というのはガルディアナに隣接している国境の領地だ。
他領とは違い隣国がいつ戦争を初めてもおかしくないような危険な領地であるため、ガルディアナに接している領地の子息子女たちは成人するまで婚約者を設けない決まりがあるそうで、大抵は成人後に婚約者が決まっていない年下の貴族か早くに配偶者を無くした貴族などを婚約者に選ぶらしい。
稀に王城や高位貴族の屋敷で働いている貴族なども選ばれるそうだが、大体は本人たちの希望で断られることが多いという。
まあその場合は働きたいから結婚をしないという者がほとんどだから仕方ないだろう。
玉の輿を狙っている者も少なくはないが、そういう者たちは国境などという物騒な土地には行きたがらないし。
というような事情があるタンサイラ伯爵領地で先日子息の一人が成人した。
そしてその子息が婚約者にと望んだのがアゼリアだったらしい。
曰く「このような土地だからこそ才媛と名高いイツアーク伯爵家の令嬢が来てくれれば心強い」と。
幸いだったのはアゼリア本人を好いて選んだわけではなく、領地のことを考えた結果アゼリアが望まれただけでまだ替えが利く状態だったことだろう。
当然そのことはリチャード様も知っている。
言葉にも態度にも出していなかったそうだが、それでもルード様には彼がその件を気にしているのがわかっていた。
だからもう少ししたらその背を押してやろうとも考えていたと。
なのにアゼリアは先日ガルディアナに行く前にモンドレー侯爵のところへ寄ってこう言ったそうだ。
「ついでに嫁ぐ地になるかもしれないタンサイラ伯爵領を見て参ります」と。
たまたまモンドレー侯爵のところにいてそれを聞いてしまったリチャード様はその日から目に見えて狼狽えていたそうで、今この話題は忌避されているとのことだった。
けれどそれを知らなかった私はそれを思い切りぶち破ったのだ。
ああ、本当に申し訳ない。
しかもついさっきルード様が陛下に呼ばれた件で状況はさらに悪化してしまった。
「王命になってしまえばアゼリアに拒否権はなくなってしまいますよね…、一体何故そんなことに?」
「さてな、そこは聞いても答えてもらえなかった」
ふぅ、と小さくないため息を吐いてルード様は私を抱き寄せた。
「リチャードはどの生でも最後まで俺を支えてくれた。そしてどの生でもアゼリアと一緒になることはなかった。それがこの生ではようやく叶えてやれると思っていたのに。何故だ、今まで王命になどならなかったじゃないか」
「え?」
「今までの生でも婚約者にという話は出ていた。しかし毎回アゼリアが断っていたんだ。そして彼の地には別の令嬢が嫁いでいたはずだ」
「ちょ、ちょっと待ってください、どういうことですか?」
ぎゅっと自身の無念を込めるように私を抱きしめていた手を解いてルード様と目を合わせる。
悔し気に歪んだ彼の瞳が僅かな月の光を反射して美しく光った。
その光に吸い込まれてしまったかのように私は目が離せない。
「どういうことかはわからない。けれど今起きていることは今までの生では起きなかったことなんだ」
その目が眇められ、痛々しい光を宿す様をただただ見ていることしかできなかった。
読了ありがとうございました。




