人はそれを嫉妬と定義する
「お、落ち着いてくださいませ、そんなことをしてもなんの意味もありませんわ!」
「いいや、わかるだろうアンネローゼ?そういう問題じゃないんだ」
「ではどういう問題でしょうか!?」
「俺の心の問題だろうな」
「そうですか、では王太子に相応しい大海原のような広い心で以ってこのことは水に流しましょう!」
「海だけにか。上手いこと言ったな」
「それほどでも」
「だが無理だ。俺の心の水深は1cmもない」
「広いけれど浅いってことですの!?」
「ああ、だから慈悲の心は深くない」
「今すぐ地盤沈下させてください!」
「むしろ海底火山の爆発で隆起しそうだ」
「んもー!!ああ言えばこう言う!!」
「君に言われたくないな」
かれこれ10分ほど続いている私とルード様の舌戦は終わりが見えない。
どころか感情の昂りから口だけでなく手まで出始めていた。
「どこの三文小説に影響されたのか存じ上げませんが、あれは物語だからいいのです!!実際に行う人などそうおりませんわ!」
言いながら私を捕まえようと伸びてくるルード様の手を必死に押し返す。
「ということは少数はいるということだろう?しかも君もその手の三文小説を読んでいるということじゃないか」
言いながらルード様は押し返そうとする私の手に長い指を絡め抵抗をやめさせようとする。
力では敵わないからなんとか受け流そうとしているのに、動きを封じられてはそれも叶わない。
「言葉の綾ですわ!ちなみに小説を貸してくれたのはマリー様です」
私は突っ張っていた肘を軽く曲げて腕を左右に振ってみるが、絡みついたルード様の手は離れない。
完全に捕らえられてしまったようだ。
「なるほど、ということは俺が読んだものと同じだろうな。マルグリットとの会話のために読めとリチャードが持ってきた本だったから」
「っ!!」
不意を突かれた一言に息を呑み、続く呼吸ができなくなって体が凍る。
目の前の光景が色を失って、徐々に白く染まっていく。
「捕まえた」
「……はっ!?」
自分の状態も理解できぬまま立ち尽くしていると全身に温もりを感じ、同時に視界が戻った。
しかし色を取り戻したはずの世界で、目の前にはルード様が着ていた服の黒しか見えない。
温かいのは抱きしめられているからだった。
「すまん、まさかそんな反応をするとは思わなかった」
「いえ、私も自分で驚いております……」
自分の呼吸が少し早いのがわかる。
浅く息を吸って吐いて、意識しながら一呼吸ごとに深くしていけば指先に熱が戻っていく気がした。
「なんで…」
合間に呟いて少し目を閉じる。
自分でも驚くくらい急に心に湧き上がってきた怒涛の思いを、波立った感情を落ち着かせなければならない。
こんな気持ちを表情に出してはいけない、ましてルード様に見せてはいけない。
私を抱きしめるために離れてしまった温かな彼の手が恋しく思えた。
「恐らくそれは俺が君の話を聞いた時に抱いた感情に近いものだろう」
私が恋しく感じたことに気づいたようにルード様は腕に力を込めて、私との隙間をなくしていく。
物理的な隙間だけでなく、心の隙間をも埋めようとしているのか。
そう思ってしまうくらい今この時私は彼を、ジェラルド・マルキス・オークリッドという人物を近くに感じていた。
「君は今、腹の底から湧き上がるやりきれないような苛立ちと悲しみ、そして憎悪にも似た淋しさを感じているのではないか?胸が痛いような、腹の奥が重いような、漠然とした不安がないか?」
静かな声でそう言われて、そうかもしれないと思った。
この胸に広がる強い感情は、一つ一つ分解すれば確かにそのようなものの集合体と言えるかもしれない。
かなり的確に私の思いを言葉に変えてくれているようだ。
だが私はルード様が私の心情を推し量っているのではないと気づいていた。
今の言葉はきっと先頃抱いた彼の心情だったのだろう。
「そうかもしれません」
だとすれば私たちは、原因は違えど同じ思いでここにいることになる。
「…申し訳ありませんでした。ルード様の御心にこのような負担を強いてしまうなんて」
であるならば、私は何と愚かなことをしたのだろうか。
ルード様を不快にさせるとわかっていた、だから黙っていた。
けれどだからこそ思いがけない形でそれを知らされた時、相手がどれだけ傷つくのか理解しているつもりで全然わかっていなかったのだ。
だって私は今まで誰にもこんな思いを抱いたことがなかったから。
あの小説に描かれていた『それ』を、実際に体験したことがなかったから。
「いいさ、それが伝わっただけで充分だ」
彼は優しく包み込むように私に寄り添ってくれる。
それだけで心の蟠りが解けていく気がする。
ああ、本当にどこまでも、
「私は、心から貴方を愛してしまったんですね…」
私はこの人が愛おしいのだと実感した。
「ああ、俺もな」
だからこそこんなにも強い感情を抱き、相手にも向けてしまうのだろう。
全ては相手を愛するが故に。
「さて納得してもらったところで、俺の願いを叶えていいか?」
「え、それはちょっと違うので」
はないですか、は言わせてもらえなかった。
数分後、「さて消毒は済んだな」とルード様が晴れやかな顔をしているのを恨めし気な目で見ながら私はソファでぐったりしていた。
長い!濃い!!しつこい!!!
別に軽く触れ合わせるだけでいいじゃない!
なんであんなじっくりねっとり……あああああ、思い出すと顔から火が出そうよ!!
しかも途中で「アンネローゼ…」って低く艶っぽい声で囁くって、もおおおおお!!
こっそり目を開けたら緑の瞳が濡れたように光っていて、目が合ったらそれが優し気に細まって。
一瞬離れた唇が弧を描いた。
それからまた目を閉じたからその後の彼がどんな表情をしていたかはわからないけれど、なんというか、思い出される光景全てが煽情的で艶やかで、
「……破廉恥だわ」
私の口からはそんな言葉しか出てこなかった。
読了ありがとうございました。
最近いつも「ルード様」と書いているのでフルネームどころか「こいつの名前何ルードだっけ?」と思って設定を見直したわたくしですw




