もう一つの救えるかもしれない恋
それからしばらくは平穏な日々が続いた。
改めて貴族令嬢たちを集めたパーティーも終わったし、メアリーとミディももうほとんど困ることがないほど侍女としての研鑽を粛々と積み重ねている。
しかも意外と彼女たちはそれを楽しんでいるようだった。
そのおかげか今ではすっかりマイラたち三人とも仲良くなって、時には一緒に私をからかってきたりする。
例えばある日なんかミディが「アンネローゼ様は何人お子を望んでいらっしゃるんですか?」などというとんでもない爆弾を投げつけてきてくれた。
それにリリが「私も気になってました!!アンネローゼ様ももちろんですが、若君や姫様のお世話も今から楽しみですー!」と乗ったことで『誰が王子もしくは王女の世話係をするか』という気の早過ぎる争いが起きてしまった。
当然のようにマイラは「もちろん私以外に務まらないでしょう」と主張し、「いやマイラさんは今も殿下の専属ですよねぇ?だったらより年齢の近い私がいいと思います!」とリリも主張し、「貴女にはまだ落ち着きがないもの。アンネローゼ様もここは私にお任せくださいますよね?」と最後にエルが迫力のある笑顔で私に振ってきた。
頼むから巻き込まないでくれと思っていると扉が叩かれ、現れたジスが「殿下がお呼びなんですが…出直しますね」と三人の鬼気に逃げようとしたため取っ掴まえて「じゃあ私は行くから、ほどほどにね」と言い置いて一緒に逃げた。
なお、その後マイラに用があるというリチャード様と逃げ腰のジスに送られ部屋に帰ると、「クルスト様!私、若君の乳母になりたいので結婚してください!!」とリリがジスに突撃し、「あら、そういえばリチャード様は家庭を持つと奥方様に迷惑がかかると言ってご結婚はなさらないおつもりなのでしたっけ?私は何があろうと迷惑とは思いませんのでよろしければ結婚、無理であればお子だけでもいただけませんか?」とエルがとんでもないことをリチャード様に願い始めた。
リリはともかくエルまでもがおかしくなったとしか思えないことを言い始めていたが、それだけ皆ルード様のお子が楽しみなのだろう。
離れたところで「そうじゃないですよー」「アンネローゼ様のお子が楽しみなんですよー」と苦笑するメアリーとミディの声は私には届いておらず、どうやってこの場を収めようか考えていると、
「残念ですがリチャード様は私が先に目を付けていますのでご遠慮願えますか?」
突然現れたアゼリアの言葉でその場が凍り付き、とりあえず騒ぎは静まった。
リチャード様だけは静まらないでほしそうだったけれど、前々からアゼリアには是非にと言われていたそうで、気まずそうではあったがすぐに「私、もう戻りませんと」と気を取り直して笑顔で帰って行った。
「あ、待ってくださーい!」と叫ぶジスと「え?マイラに用事があったんじゃなかったの?」という私の疑問を置いたままで。
気になったので後日ハリスを呼びアゼリアとリチャード様のことを訊ねると、「リチャード様は生涯殿下に仕えるために奥方を迎えても殿下を優先するような最低な夫にしかなれないから結婚はしないと公言なさってまして、今までの数多ある縁談を全て断ってらっしゃるんですよ。アゼリアも例に漏れずですが、あの子はそんなリチャード様だからいいのだと譲らなくて…」と説明しながら苦すぎる笑みをこぼした。
なんと、アゼリアの意外な部分を見てしまった。
こと恋愛に対してそんな情熱的な女性には見えなかったのに。
そう告げると「リチャード様はアゼリアの言うことを含んでいるものも全て理解してくださいますからね。あんなに会話を楽しめる人はいないと絶賛していました」ということらしかった。
なるほど、アゼリアらしい。
身分より容姿より性格よりも頭脳を優先したのか。
しかもその結果が侯爵令息であり穏やかな中にも凛々しさの垣間見える目元涼やかな白皙の美丈夫で、さらに人当たり抜群な上に将来有望な超優良物件とは恐れ入る。
「いえ、妹のことですから、その辺もちゃんと加味していると思いますよ…」
ハリスの疲れたような顔が何故か目に焼き付いて離れず、うっかりもらい泣きしそうになった。
おかしいわね、ハリスの目に涙なんて見えないのに。
首を突っ込んだついでだとリチャード様側の意見も聞きたくなってルード様にも聞いてみた。
…別に面白くなったわけじゃないわよ?
「ああ、とうとう聞いたか」
訊ねた途端ルード様は面白いとも苦笑ともつかない顔で笑った。
やれやれと思っている顔が一番近いかもしれない。
「俺もリチャードにはそれと思う相手ができたら気にせず結婚すればいいと言ったんだが、あいつも頑固でな。『私は淋しい思いをさせるとわかっていて娶るほど人でなしではありません』と言っていたぞ」
「……そうですか」
リチャード様は優しい方だ。
だからそう結論付けてしまう気持ちもわかる。
そしてそのことで彼自身が傷ついてしまうことも。
「アゼリアは…」
このまま失恋するしかないのだろうか。
いくら彼女でもリチャード様を頭脳だけで選んだわけではないはずだ。
憎からず思っているからこそ断られても諦めないのだと思う。
「だが俺はあの二人はいずれ結婚すると思うぞ?」
しかしルード様はあの笑顔のまま何でもないことのようにそう言った。
むしろそう思っているからこそその表情なのだと言わんばかりだ。
「どうしてですか?リチャード様がアゼリアに絆されるとでも?」
まだ彼らの関係性についてよくわかっていない私にはそれくらいしか理由が思い当たらない。
けれど「ははは、残念だがはずれだな」とルード様は笑う。
「リチャードはな、相手に興味がなければ俺にはそう言う。『あの令嬢は自分の家柄しか見ていません』『あの令嬢は自分の婚約者として殿下に近づきたいだけです』と、あいつにそう評された令嬢の数は数えようとも思わないほどいる。だがあいつはアゼリアに対しては申し訳ないとしか言わない。つまりそこさえクリアできれば本人としては結婚もやぶさかではないわけだ」
言いながらルード様は私の両手を取る。
子供が手遊びをする時のように向かい合わせの右手と左手が握られた。
「それでも前までは俺とマルグリットとハリスの関係性の歪さを考えて周りがアゼリアを押し留めていた。しかし今はそれもこうして解決してしまった」
「あ……」
暗に私がいるからだと細められた目で伝えられる。
私がルード様と婚約して、マリー様がハリスと婚約して、私とマリー様の関係も良好で。
人間関係で言えば何一つ問題がなくなったのだ。
「イツアーク伯爵家であれば続けざまに侯爵家と公爵家と縁続きになったところで誰も不満を言えないしな」
さらに貴族社会に限っても問題はないらしい。
「ならばあとは、リチャード様が頷きさえすれば…」
「そういうことだ」
ルード様は手を引き私を抱き寄せる。
私の顔に熱が集まったのは伝わる熱のせいだけではないことは明白だ。
「俺とローゼが結ばれて救われたのはマルグリットだけではないんだ」
抱きしめる腕の力が少しだけ増す。
「改めてこの国に来てくれたことに礼を言う。ありがとう、俺を選んでくれて」
そう言ってさらに抱きしめられて、胸がいっぱいになってしまった私は小さく「はい」と答えるだけで精いっぱいだった。
読了ありがとうございました。




