重要なことを思い出しました
「う、うぅん…?」
目が覚めると同時に頭の重さを感じる。
目を開けるのが酷く億劫で、このままもう一度眠ってしまおうかと思った。
「……起きたか?」
けれどすぐ傍らから聞こえてきた低い男性の声に一気に頭が覚醒する。
そうだ、私ったらあろうことか殿下のお話しの最中に気を失ったんだ!
そのことに思い当たると目を開けることも忘れて体を起こさなければと藻掻いた。
「いい、無理に起きるな」
しかしすぐに大きな手に両肩を押さえられて静かな声に制止される。
だが止められなくても私は体を起こすことなどできなかっただろう。
起きようとして初めて頭ばかりか全身が重いことに気がついたのだ。
「申し訳、ありません…」
私はようやく目を開けるという行動に思い当たり、薄っすらと目を開けた。
するとそこには蝋燭の明かりの中に浮かび上がる、眉間に皺を寄せて口を引き結んだ、何かに耐えるように私を見ているジェラルド殿下の美しい顔があった。
「謝らなければならないのはこちらの方だ」
そう言って眉間の皺を深めた殿下が泣きそうに見えたと言ったら不敬だろうか。
そんなことを考えている内に殿下は私の肩から手を離して椅子に座り直した。
そして「すまなかった」と頭を下げると、私の首筋にそっと手の甲を当てる。
ひやりとした感触が気持ちいいと思った。
「まだ熱が下がっていないな…」
けれど私がそう思ったのは熱が出ていたせいらしい。
もしかして知恵熱…?
直前までの自分を思い出し、熱の理由に思い至ると途端に恥ずかしくなって、私は石鹸の香りが残っている清潔なシーツに包まれたベッドに身を沈めた。
「侍医から小言を喰らったよ。嫁いできたばかりの令嬢にいきなり精神的負荷をかけるなと」
殿下はバツが悪そうな、けれど困ったような顔でふっと目元を緩める。
それは恐らく初めて見る殿下の素の表情で、しかも思っていたよりもずっとずっと優しい顔で。
私は自分の熱が上がって、それが顔に集まっていることを自覚した。
でもあれはずるいと思う。
ずっと無表情か険しい表情しか見ていなかったのに、不意打ちであんな顔をするなんて。
私はさらに深くベッドに沈んで、鼻の頭近くまで掛布を引っ張った。
「どうにも俺は配慮に欠けていてな。今までの人生でも何度か結婚したが、全て上手くいかなかった」
殿下は私の目を見て優しい苦笑を深める。
ドクッと重い音が胸で響いた。
今までに何度か結婚をしたことがあるという言葉も少し気になったが、それよりも。
今、殿下は自分のことを「俺」と言った?
ずっと「私」と言っていたのに。
そう思うと再び心臓がドクリと脈打つ。
それは、殿下が少しは心を開いてくれたということだろうか。
ほんの少しでも私に気を許してくれて、だから公の場で使う「私」ではなく私的な会話で使う「俺」を使った…?
また心臓が音を立てる。
この人は、私を殺したことがある人なのに。
いくらその記憶がなくてもそんな人間に優しく微笑まれたからって、気を許してもらったからって、何度も胸を高鳴らせるなんて、私、ちょっとチョロ過ぎない…?
「一応それは理解していたんだが、君とは早く協力関係を築く必要があると思って焦ってしまった」
殿下は私の変化には気がつかず、今度は私の頭に手を置くと、
「今日はこのままゆっくり休め。君の調子が戻ったら、どうか今日の続きを聞いてほしい」
俺のためにも、君のためにも。
労うように軽く撫でながらそう囁いて部屋から出て行った。
なんだか空気が優しく、そしてほんのりと甘い気がした。
殿下が去った後、彼の行動で目が冴えてしまった私は今一度殿下の話を思い出そうとした。
私が知っている最初の人生と、私が知らない繰り返しの5度の人生。
特に最後の3回は悲惨なものだった。
牢屋で殺され、錯乱して監禁され、自ら死を選んで。
何故そんな人生を歩むことになったのか。
「殿下は理由をご存知なのかしら…」
疑問形で発しはしたが、私はすでに答えを出している。
きっと殿下は理由を知っていると。
そして恐らくそれが私を殺した理由なのだろうとも。
「次に話を聞く時に…」
訊ねれば、それを教えてくれるだろうか。
考えているうちにうとうととしてきた私はそのまま目を閉じた。
そういえば私が知っている人生は最初の1回の他は今世を含めて3回だ。
ということは、先ほど聞いた自死を選んだ人生の後の3回が私の知っている3度の人生だということ…?
消えていく意識の中で私はそう思い至り、重くなっていた瞼をうっすらと開けた。
殿下が蝋燭を持って行ったため当然ながら見えたのは闇に沈んだ室内のみで、私が望んだものは何一つ見えない。
けれど自分が何を望んで目を開けたのか、再び目を閉じた後もわからないままだった。
こんなに体が重いのは1度目の最期の時以来だ。
『ならば来世で…』
『…具による傷だから…』
眠りに落ちる直前、不意に私はその時に聞いたある言葉を思い出して飛び起きそうになった。
何故こんな重要なことを今まで忘れていたのか自分でも不思議なくらい記憶になかった『それ』。
「もしかして、繰り返すのはそのせい…?」
『それ』がこの繰り返しの原因なのかもしれないと思い、「殿下にもお話ししなくては」と考えながら今度こそ意識を手放した。
翌日、殿下を叱ったという侍医さんの診察を受け、まだ熱が下がり切っていないからと静養を言い渡された。
その翌日は熱が下がっていたけれど「念のため安静にしていなさい」と言われて、せっかくなので図書館へ行き、オークリッド国の歴史書や生活史などを借りてきて部屋で読んでいた。
さらにその翌日は侍医さんに「もう大丈夫だろう」と言われたが、一緒に様子を見に来ていた殿下に「まだ頬に血の気が足りない。今日も休んでいろ」と言われてしまい、仕方なく私の担当となっていた侍女3人とお茶をしながら色々な話を聞かせてもらった。
殿下の幼少時代から始まった彼女たちの話は昼食を挟んで続き、夕食を食べる頃には私はすっかり殿下に詳しくなっていたと思う。
けれど本人と過ごした時間はまだ少なく、早くまた会いたいと思うようになっていた。
その場の流れで受けてしまった求婚だが、できればこれから仲良く過ごしていきたい。
だから殿下から早く話を聞いて、私を殺した理由や求婚しようと思った理由が知りたかった。
この気持ちは恋でも愛でもない。
それでも紛れもなく好意だろうとは思った。
殿下が「この間の続きを話したい」と部屋を訪れたのは、私が侍女とお茶をしてから3日経った日の午後だった。
読了ありがとうございました。