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ウィルドという騎士の過去

栞が挟まっていた頁は著者であるエディノス・ユングルとウィルドという件の騎士の会話の途中部分のようだった。

だがここからでも問題ないとアゼリアが判断したのだろうから、そのまま読み始める。

『いやあるわけがない、だが当の本人はグビリと喉を鳴らしながらワイネを飲み下す。酒の力を借りなければ話せないといった雰囲気を感じたので私は黙って二杯目のロジッタワイネを注文すると同時に運ばれてきた料理を彼の目の前に置いた。彼は勢いよくそれを口に運んだが、三分の一ほどのところで手を止めて窺うように私を見た。彼は「俺の話を信用するのか?」と問うたが、そう告げる彼の目には僅かばかりの疑惑と怯えが見て取れた。きっと以前酔った勢いで話してしまった時に荒唐無稽なことを言う奴だと馬鹿にされたことが脳裏を過ったのだろう。だが私は強く頷き「聞かせてほしい」と言葉でも彼に伝えた。それが功を奏したのかは不明だが、彼は給仕が持ってきたロジッタワイネを受け取ると口には含まずに杯を回して、目のやり場に困っているかのようにその水面を見つめながらゆっくりと重い口を開いた。ちらちらと周囲に視線を彷徨わせながら「俺がそれを知ったのは10歳の誕生日だった。夕食の席で父がいつも身につけていた短剣を取り出して、急に俺の目の前で鞘から抜いた。柄や鞘から相当な年代物だと思っていたのに、その短い刀身に浮かぶ直刃には一点の曇りもない実に美しいものだったよ」と言い、彼は昔を懐かしむような茫洋とした目をした。口元には少しだけ笑みも浮かべている。しかし一口だけワイネを飲むと笑みを消し、「思いの外美しい短剣に見惚れる俺に父が突然言ったんだ。我が家は降嫁したオークリッドの姫君とその姫の騎士であり姫を救った英雄でもある男との子孫だと、これがその証拠の『時戻しの短剣』だと。それから父に二人の話を聞かされ、短剣の由来なども聞いて、まだガキだった俺は素直に信じ、自分がそんなに凄い血を引いていたのかと誇らしかった。しかし時が経てばそんな御伽噺のような話があるわけないと気づいた。自分が本当は高貴な血を引いた特別な人間だなんて子供染みた妄想だと。』

頁をめくる。

『きっと父は誕生日を盛り上げようと俺に作り話をしたんだと、そう思っていた」と言葉を続けた。テーブルの上で握られた拳はブルブルと震え、まるで彼の落ち着かない心を表しているかのようだった。きっと彼は今、色んなものと戦いながら私にこの話をしてくれている。そう思えば急かす気にもなれず、私はゆっくりとワイネに口をつけた彼が紡ぐ言葉を静かに待った。ややしてグラスを空けた彼は三杯目を注文しようと手を挙げかけた私を制するように「いや」と呟いて首を横に振った。ならば水はいるかと問えば今度は首が縦に振られたので、私は給仕に水を頼んだ。やがて運ばれてきた水を半分ほど一息に飲み干すと、彼は再度口を開く。やはり視線を方々に彷徨わせながら「俺がその話が父の作り話などではないと気がついたのはまもなく13歳になろうという頃、父の遺骸を見つけた時だった。俺の父もこの街を守る巡回騎士だったんだが、父の時代は今よりも遥かに治安が悪く、押し込み強盗なんかも珍しくなかった。尤もその標的に騎士の家が選ばれることは珍しかったかもしれないが」と言って皮肉気な笑みを浮かべた。その彼の言葉で私は彼の父親の死の理由を察し、そっと目を伏せた。この誠実そうな若者の父ならばきっと立派な騎士だったに違いない。今こうして彼が生きているのは、父がその命と引き換えに家族を守ったからだろう。なんとも尊い犠牲ではないか。私は心の中で彼の父を悼んだが、「その時に」と彼が続きを話し始めたので目を開けて彼の言葉に再度耳を傾けた。彼は「父が短剣を握っていることに気がついた。もしかして強盗に刺すつもりだったのだろうかと考えたが、当の強盗は父の横でバッサリと斬られ息絶えている。対して父の傷は鳩尾に刺さったままの刃のみ。恐らく寝ているところを襲われたが気配を察して避けたものの、母を守るために避けきれずに鳩尾で受け、枕元に置いてあった剣で相手を斬ったが力尽きて事切』

頁をめくる。

『れたのだと思ったし、母からもそう聞いている。なのに何故短剣を持っていたのだと思った時、10歳の誕生日に父から聞かされた話を思い出した。この『時戻しの短剣』で絶命した場合、そこに至る未来を選択し直せる場面まで時を遡れるのだと。俺はそれを父の創作と思っていたが、きっと死の間際父は時を戻そうと考えていたのだと思い至った。そして俺はあの話がすべて真実だったのだと確信した。でなければその状況に納得ができなかった」と言うとついに涙を零した。頭を抱えながら「父は間に合わなかったんだ。胸に刺せさえすれば死なずに済んだのに。俺たちの一族はそうやって家長の危機を乗り越えてきたはずなのに!……そこからの俺と母の生活はお世辞にも人並みとは言えなかったよ」と嗚咽した。微かに震えるその双肩は騎士という職業に恥じぬ立派なものだったが、それでも今の私の目には弱々しく映った』

「……ふう」

私は本から顔を上げる。

こんなに重い話が待ち受けているとは思わなかったため、妙に心が疲れていた。

自分の死を語るよりも他人の死を聞く方が心には負担がかかるのだと実感する。

ということはあの日、マリー様やアゼリア、侯爵は今の私と同じように心が重くなったことだろう。

自分のことで手いっぱいとなっていたのが今更になって恥ずかしい。

「いえ、確かに身近な方が亡くなった話というのは心に負担がかかりますが、私たちの場合はその死を経験したという本人が目の前で生きてそのことを語っていらっしゃったので、困惑の方が勝っておりました」

なんてことを考えていたらいつもの如く私の思考を読んだアゼリアに苦笑された。

勝手に読んで勝手に苦笑されたことに何も思わないわけではないが、それでも当人から負担ではなかったと聞かされれば少しは安心できる。

例えそれが私を気遣っての言葉であろうとも。

読了ありがとうございました。

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