アゼリアのお兄さんですかそうですか
「あ、あの…」
マリー様がそろりと口を開くが、私は視線でそれを制した。
私としては『この場は私に任せて』と伝えただけのつもりだったのだが、彼女は「あ、すみません何でもないです」と青い顔で私に伸ばしかけていた手を胸に戻した。
今の私はそれくらい怖い顔をしているのだろう。
そう言えば昔父にも「そんなに怖い顔で睨むな」と青い顔をされたことがある。
あの父に私がそんなにも怒っていた理由は忘れてしまったが、私と同じ赤い髪なのに顔は真っ青であれは中々に面白かった。
なんてことを思い出しているが私の表情筋は動いてはいなかったようで、侯爵があの時の父と同じかそれ以上に顔を青くしている。
まあ黙っていてくれるならその方が都合はいい。
「まず第一に、陛下が貴方の死を望むとお思いですか?」
つ、と興奮して熱くなったからか侯爵の頬に一筋汗が流れていくのが見える。
それを見ながら私は努めてゆっくりと言葉を発した。
単に自分が言うべきことを整理しながら話しているからだが、それが侯爵に余計な圧を加えることになっていたなどこの時は気がついていなかった。
「第二に、殿下や私が貴方の死を望むとお思いですか?」
手に打ちつけた扇を開き、私も熱気に当てられたのか頬が少し火照ってきたので軽い風で冷やす。
それを無表情でやると相手にどう映るのかなど考えもしていなかった。
「最後に、殿下が何の行動もせずに貴方の救済を諦めるとお思いですか?」
すぐに落ち着いてきたので扇ぐのをやめてパチリと扇を閉じる。
そして一息つこうと紅茶を口に含んだのだが、その行動が自分の言葉と相まって『今一度よく考えてみることね』みたいな意味合いを持つなど想定外だった。
つまり私は何気なく行っていた動きで侯爵に向かい説教を垂れるような、そんなことをしてしまっていたのだ。
後からエルにそれを聞かされ、私はジャスパルの食堂に逃げ込みたくなった。
だがこの時にはそんな意識はなく、私は『誰も貴方の死を望んでいない』『殿下は貴方を救うために必死だった』と伝えたかっただけなのだ。
……それがどうしてこうなった。
「も…申し訳、ございませんでしたー!!」
「へ?」
椅子から降りた侯爵がズザアアアァァッと音を出しながら私の目の前の床まで膝で滑りつつ土下座をしたのだ。
その摩擦音で私の間抜けな呟きが消されるほどの勢いで、思わず少し仰け反ってしまう。
咄嗟のことだったので何の感情も浮かべられなかった顔は無表情なままだったが。
「私など所詮は政の歯車の一つ、取るに足らぬ存在よと思っておりましたが、思えば機械から歯車が一つ落ちれば誤作動の原因となりましょう。まずは新しい歯車を作り交換し、問題ないと確認するべきでした」
侯爵はその体勢のまま反省の弁を述べ始める。
しかしそれはどこかズレている。
「壊れたのならばともかく、勝手に外れることなど許されないというのに。ああ、私はどこまでも自分の保身しか考えていなかったのですね…」
そのズレたままの思考を変な方向に発展させて、さらにズレていく。
うん、一旦ちょっと落ち着いてほしい。
私が伝えたかったことが何一つ伝わっていない気がしてきたわ。
私は今までこの人はまともな人だから仲良くできるなんて思っていたけれど、もしかして無理なんじゃないかしら。
というかオークリッド、大国の割に変な人材ばかりが中央に集まってない?
「私が今すべきことはすぐにこの命を絶つことではなく、私の代わりを育て上げることだったのですね。それならば私の補佐をしているアゼリアの兄にすぐに引き継ぎましょう。あの者ならひと月もあれば十分に役目をこなせます」
私が現実逃避をしている間に勝手に結論を出した侯爵はすっくと立ちあがり、私とマリー様に一礼すると踵を返した。
うっかりとそれを見送りそうになったが、ハッとして「侯爵!」と止めるのと、
「ジェラルド殿下がお帰りになられました!」
まさに侯爵が出ようとしていた扉の外からマイラが叫ぶ声が聞こえたのはほぼ同時だった。
「まあ気持ちはわかる。わかるが、全員冷静になれ」
「私はずっと冷静でしたけれど」
「………正気か?」
殿下がアゼリアと何故か侯爵の補佐を務めているという、先ほど侯爵が後継者にと推していたアゼリアの兄、イツアーク家次男のハリス様を連れて来たために状況を説明したところ、殿下からはこのようなお言葉をいただいた。
確かに私は怒ってはいたが冷静だったはずなので承服しかねると思ったが、それを敏感に察した殿下が何とも言えない顔をしたので口を閉ざした。
空気を読めないくせにこんな時は察するのね。
「いやぁ、こんな侯爵を見るのは初めてですね。おもしろー!」
ケラケラと軽薄そうに笑っているのは割と部外者なはずなのに早々にこの場に馴染んでいるハリス様で、彼はエルに「あ、綺麗なお姉さん、俺に紅茶おかわりー」などと言っている。
アゼリアと瓜二つなのに性格は真逆だとか、なんだか不思議な男だ。
「殿下、何故イツアーク様をお連れしたんですか?」
私がそう問うと殿下が答えるよりも早く「あ、アゼリアいるし、俺のことはハリスとお呼びくださいー」とすかさず訂正された。
その言い方も軽薄そのものではあったが、なんとなく態度ほど頭が軽そうには感じはない。
それが違和感というか、妙に気持ちが悪いと思ってしまう。
そう思いながらちらりと目を遣ったらバッチリ彼と視線が合ってしまった。
……ああ、なるほど、そういうことか。
そして目が合った故に彼の態度が気持ち悪いと感じていた理由がわかった。
「…俺はアゼリアに昨日の話をしに行っただけなのだが、未婚のアゼリアと屋敷で二人きりで話すわけにはいかないだろう?だから侯爵の補佐をしているハリスに同席を頼んだんだ。侍女では拙いからな。そしたらついてきた」
「面白そうだったんでー」
「だそうだ。勝手にすまんな」
「いえ」
殿下は言葉通り申し訳なさそうな顔をしたが、そういうことであれば致し方ない。
それに侯爵の補佐を務められるほど優秀な人であれば『これから何があろう』と面倒なことにはならないだろう。
「ハリス様、お初にお目にかかります。既にご存知かとは思いますがアンネローゼ・アリンガムと申します」
私は立ち上がってハリス様に向き直り、一応名乗る。
これから付き合っていく以上第一印象は大事だ。
「マリー様がいらっしゃるからか、それとも侍女がいるからか、随分と大きな猫を被っていらっしゃるようですが、違和感が凄くて気持ちが悪いので早急に庭に放してきていただいてよろしいでしょうか」
「んぶふっ」
「んんんっ……」
そう、とっても大事なものだ。
勿論それはお互いに。
なのに自分を偽ってくるなど片腹痛い。
今すぐ本当の貴方を見せなさい。
私はそう伝えたかっただけなのだが、何故かハリス様ではなく殿下とアゼリアが肩を震わせていた。
今度も私の真意は正しく伝わらなかったらしい。
どうして!?
読了ありがとうございました。




