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そのお名前はしっかり覚えました

「ローゼ様…?」

マリー様は私の言葉に意表を突かれたような顔をして、次いですぐに慌てて口を開いた。

「ち、違います!彼女はあくまで私に教えてくれただけで、ローゼ様に対して隔意があるとか、そういうことでは決してないかと」

「マリー様」

けれど私はその言葉を遮る。

普段ならば人の言葉を遮るなど失礼極まりない行動だが、今の私はそれに気づきつつも敢えて思考の外においやった。

だって許せなかったから。

「貴女は今自分が仰った言葉の意味を正しく理解していらっしゃいますか?」

あの可憐なマリー様の口から、あんな低俗な言葉を吐かせた人間のことが。

「それは、もちろん…」

マリー様はすでに引き攣ることなく完璧な笑みに彩られた私の顔を見て息を呑んだように僅かに体を揺らしながらも頷く。

だが恐らくそれは嘘だろう。

いや、誤りだと言った方が正しいか。

彼女はきっと本当の意味を教えられていないはずだ。

「ではお伺いしますが、『間者であった女性に粉をかけられ懇ろな関係となり』という言葉の意味をマリー様はどう理解していらっしゃいますか?」

「え、ええと…」

私の質問に彼女は小さな唇にそっと人差し指を当てて、教えられた意味を思い出そうとしてか宙に視線をやった。

こんな時でもなければこの可愛い姿をいい気持ちで堪能できたのに、全く惜しいことだ。

「間者の女性に声を掛けられて親しくなった、という意味だと聞いておりますが…」

マリー様がそう言ってちらりと私とその後ろを見る。

そういえば気にしていなかったが、私の後ろに控えているエルとマイラはマリー様の話を聞いてどう思っているのだろうか。

彼女の視線を追うように振り向いてみるとエルは不自然な角度で固まっており、マイラは笑顔ではあれどゆったりと組まれた手が尋常じゃなく震えていた。

いつからその状態だったのかはわからないが、きっと彼女たちはマリー様の言葉の意味を正しく理解し、そんなことを公爵令嬢に吹き込んだものがいるという事実に驚愕しているのだろう。

そしてそれが私の耳に入ってしまったこの状況にもまた。

「マリー様、残念ながらそれでは意味が足りません」

視線を戻し、私はマリー様に向き直る。

彼女は意味がわからないというように小首を傾げたので、私は心を鬼にして意味を教えることにした。

「『粉をかけた』という言葉は『声を掛けた』という意味だけではありません。また、『懇ろな関係となる』は『親しくなる』という意味で間違ってはいませんが、それが男女を指して使われる場合にはそれだけの意味ではありません」

「え?」

「ア、アンネローゼ様!?」

私の言葉にマイラがぎょっとしたような声で名前を呼ぶのが聞こえる。

小国とはいえ侯爵令嬢であった私がマリー様の言葉の意味を理解していたことに驚いたのか、それをマリー様に伝えようとしていることに驚いているのか、それともその両方にかはわからないが、いずれにしろその声には言葉を止めたいという思いがこもっていたことは確かだ。

しかし私には止める気はない。

「『粉をかけた』とは俗な言い方をすれば『ナンパをした』ということ。『懇ろな関係となる』とは男女の場合、『特別に親密な関係になる』、平たく言えば『男女の関係になった』ということです」

「え」

「つまりその方は、『殿下がガルディアナ国の間者であった女性にナンパをされ、関係を持った後に私に一目惚れしたからとその女性を捨て、あまつさえ保身のためにその女性を捕らえさせるような卑劣漢だった』と貴女に仰ったのですよ」

私が言うのを止めたら、きっと誰もマリー様に本当のことを教えないだろう。

教えられなければ知らないままで彼女は平和に過ごせるかもしれない。

けれど何かの拍子に意味を知ってしまったら?

それが取り返しのつかない場面だとしたら?

呪いを解くまで死んだらやり直せるのだろう私や殿下と違って、彼女の人生は私たちが書き換えない限り1度きりのものだ。

しかも今の人生は9回目にしてやっと彼女が幸せを掴める人生になるはずなので、その生で後悔をしてほしくない。

ならば今正すのが彼女のためだと私は思う。

「それは当時まだ貴女という婚約者がいた殿下の不貞を疑ったばかりか、殿下が自らの感情を優先して卑怯な行いをしたのだと批判したも同然で、不敬罪どころか意図的にその話を広めているとすれば国家反逆罪に問われても文句など言えないほどのことなのですよ?」

私がそう言うとマリー様は数秒の沈黙の後、絹を裂くような悲鳴を上げた。


マリー様の悲鳴を聞きつけて集まってきた衛兵たちは、まずマリー様に付き添ってきた侍女が扉横の控えの間で顔面蒼白でしゃがみ込んでいるのを見て血相を変えた。

次いでマリー様が「そんな、私、そんなことを、アンネローゼ様に…?」と呟きながら頭を抱えて震えているのを見て、そして私の顔を見て扉横の侍女に負けず劣らず顔を青褪めさせた。

彼らはこう考えたのだろう。

『マルグリット様の発言によってアンネローゼ様が機嫌を損ねて暴言を浴びせたに違いない』と。

対外的に見た私たちの関係は王太子殿下の元婚約者と現婚約者。

当人同士の認識としては仲の良い友人とはいえ、出会ってまだ一週間程度ではそれが周知されているはずもなく、世間の認識では奪った方と奪われた方だ。

であるならば当然2人の間には軋轢があり、騒ぎが起きれば原因は殿下を巡ってのことだと推測されてしまう。

まして公爵令嬢に相応しくお淑やかで儚げな見た目のマリー様が悲鳴を上げ、その向かいに見た目こそ令嬢然としているものの窓から逃げた前科のある私が怒りを滲ませた表情で座っていれば、その推測も致し方ないと思える。

だからその勘違いについて、私に怒る気はない。

腹は立つけれども一応納得はできる。

「し、至急殿下をお呼びしろ!アンネローゼ様がマルグリット様を手に掛ける前に!!」

だがその言葉までを許す気はない。

この城の衛兵は私を何だと思っているのか。

こめかみに青筋が浮かんでいるだろうことを知覚しながら叫んだ衛兵をよく見れば、彼は衛兵ではなく以前私を『猿』と評したあの騎士だった。

またお前か。

なんだ?お前何か私に恨みでもあるのか?

そう思ったせいで無意識に目が眇められたらしい。

あの騎士はそんな私の様子を見るなりびくりと肩を跳ね上げ、目に見えて怯えていた。

それから数分もしないうちに酷く慌てた様子の殿下が現れたのだが、その第一声が「待て、ジスを殴るな!!」だったのはどういうわけですかね?

ちなみに「ジスって誰よ?」と思っていたらあの騎士のお名前だそうで。

せっかくなのでしっかり覚えておこうと思った。

読了ありがとうございました。

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