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罪人の性  作者: 緋景
絵画と少年
1/1

罪科

純文学、のようなものを目指しました。初心者なのでいろいろと突っ込みどころが多いと思いますが、それでもいいよ!という方はぜひ。お楽しみいただければ幸いです。

 一枚の絵。それはまるで打ち捨てられるようにそこにあった。


 一体なぜこのような有様なのか、それは周囲から聞こえてくるなんとも耳障りな声が、聞いてもないのに親切に教えてくれる。


「ーーーーー。」


「ーーー。ーーーーーー。」


 さて、これはある少年のことである。


 少年は怠惰であった。彼は人生においておおよそすべきことのすべてを投げ出し、自堕落に生きていた。


 そして何より罪深いのは、彼自身がそのことを誇りに思っていたことであろう。


 そんな少年は"一つの絵画"に出会った。


 いや。彼にとっては、"一人の少女に"であったのだったか。


「ああ……これはなんて美しいのだろう。」


 少年は絵画の前に跪き、ただ意味もなく涙を流した。


 少年にとってそれはただの絵画ではなく、一人の美しき少女に見えていた。


 絵の中に少女を見たのではない。少女がその場にいると、そう感じた。それほどまでに彼は彼女に酔狂し、また傾倒した。


「ああ……僕はなんてことをしてしまったんだろう。」


 彼の五感すべてがその少女をその場に顕現させ、絵という枠を超えて彼の心に深く入り込んでくるその少女に、少年は恋情にも似た何かを抱いた。


「おい。おい! おーい君!!!」


「あ?何だお前は。」


 後ろから肩を捕まれ振り返ってみれば、そこには白くなった髪と豊富なあごひげを蓄えた一人の男が立っていた。


 その不遜な態度に少年は怪訝な顔をして、敵意をあらわに答えると、その男は驚いたような顔をして一歩後ずさり、


「君は……魅入られたのだね。」


 そう言った。


 その言葉が理解できず、少年はその怪訝な顔をさらに怪訝に歪ませて男に向かって噛み付くようにこう言った。


「お前たちはこの絵のことがわからんのか」


 その言葉に対し周りの人間たちの反応はどれも芳しいものではなかった。


 口元を抑えてくすくすと嗤うもの。


 まるで汚物でも見るかのように目元を歪ませ距離を取るもの。


 心配そうに行ったり来たりと忙しないもの。


 そんな反応をされながらも、少年は自らの考えを改める気は毛頭なかった。


 それどころか今までよりも強くその思いを持ち直すほどであった。


 彼を支配するものはすなわち怒り。


 それはこの少女を理解しない者達に向けられた、純粋なる怒り。


 少年は、この者たちは真にこの絵を見ていないとも、盲目的である、とすらも思った。


 他者の評価ばかりを見て、自らは考えを持とうとすらしない。そんな群衆に少年は侮蔑の目を向ける。


「何よアンタ、死にたいワケ?」


 少年が睨んだ方向、一人の女が彼の態度に業を煮やしてそう凄む。


 対する少年はよりその眼差しを鋭く殺意に尖らせて女を見返していた。


「気持ち悪い餓鬼ね!」


 女は少年を踏みつけるようにして蹴った。蹴られた少年は地べたを転がり、大地と口ぐけをする。


「やめなさい。彼もまた、被害者なのですから。」


 先程のあごひげの男が女を諌める。


 だがその言葉がより少年を怒らせることになると、その男はわかっていたのだろうか。


 どちらにせよ、もう手遅れであることに変わりはなかったが。


「うっ……」


「なっ、なにを!」


 少年は女にナイフを突き立て、低く唸り声を上げながら、笑っていた。


 〜〜〜


 その絵画が人々の目に触れたのはいつからだっただろうか。


 "彼女"は何人もの人々を魅了し、その心を、奪ってきた。


 だが、彼女が奪ったの果たしてその心だけだっただろうか。


 ーーー今から何年も前、この絵をめぐり人々が殺し合ったという事実は、今も色褪せず人々の記憶に刻み込まれている。


 さて、この絵は此度焼かれることとなった。罪深き絵は、断罪の炎の中へと、投じられるのだ。


 血に濡れた少女は、もはや人々から忘れ去られ、一人赤い炎の中でパチパチと音を立てて消えた。


 〜〜〜


 少年は何度も絵画を見ているうちに、自分がその中に入りたいという衝動にかられていることに気がついた。


 そう気づいて手にしたのは一本のナイフだった。


 それは、絵の前で自らの命を捧げればその中に入り込めるのではないかという、到底常人にはできない思考であったが、その時の少年にとって、それこそが最も合理的で、かつ魅力的な方法であったのだ。


 だからこそ、少年はその絵が処分されることに誰よりも強く心を揺さぶられたのだろう。


 それは怒りであった。それは悲しみであった。それは嘆きであった。それは疑問であった。それは懐疑であった。それは悔恨であった。それは、それは、それは……


 それは、絶望であった。


「嘘だ!!!」


 絶叫が風に流されて響きわたるその空間に人はもういない。


 ~~~


「ーーーーはっ……!!!!」


 意識が覚醒して、状態を起こすのはいつも通りの動作だ。だが、今日は少し頭が重いような気がした。


「変な夢だな。」


 今の今まで見ていた夢の内容などなかったかのように今日も一日を始める。


 少年が長らく寝床にしている、今やだれのものかもわからなくなったコンテナの中から這うようにして出てきて、近くの川で顔を洗う。


「……」


 川面に映った自分の顔がひどく疲れ切っているように感じる。さざ波のせいでそう見えたのかもしれないと、誰にするでもない弁解を心の中で述べて立ち上がった少年の立ち姿は、ずいぶんと成長した、そう思えるほどに変わっていた。


 今日もあの子のところに行かなくては。


 その思いが今の彼を生かし、今日まで何事もなくその命を謳歌するために少年が見てきた唯一のことだった。


 歩いて数分のところにある大きな壁。真っ白なそれにポツリと一つたたずむようにしてかけられているのは一枚の絵画。そう、彼女こそが少年の生きがい。


「やあ。今日もきれいだね。」


 そう声をかけてから絵のかかった壁にもたれるように腰かけ、先日市場で手に入れたパンをむさぼる。


 これが彼の日常。何の変哲もない小さな幸せ。


「今日はね、君の夢を見たよ。」


 もちろんだが、絵画は答えない。だが少年はまるで当たり前のことのように話を続ける。


「君がどこか、遠いところに行ってしまう夢だった。それはそれは……もう恐ろしかったよ。」


 今日も少年は絵の少女と対話をする。対話を、対話、たい、わ……


「ぅぅぅうううう……ううあああああああぁぁぁぁ嗚呼アアア!!!!!」


 叫び声がびりびりと空気を震わせ、壁に向かって打ち付けられるこぶしが、ドン、ドンと音を立てて衝撃を起こす。


 音と振動で少年は自分の精神にゆさぶりをかける。思い出せと。自分がなぜこんなところにいて、こんなことをしているのかと。


「君は、僕の、絶対じゃない……」


 衝撃で壁から落ちた少女の絵画は地面に力なく倒れる。


「ああ。まただめだ。」


 少年は壁の一部にあった小さなくぼみを押した。そうすれば出てきたのは小さな扉だ。人がちょうど一人通れるほどの大きさのそれを、彼はゆっくりと歩いてくぐる。


「もう一度、描かなければ。」


 ~~~


 絵に魅入られた少年が、また人を殺した。ついに彼は捕まったそうだが、彼の父親は彼を釈放するように働きかけたようだ。


 またか。権力者というのはいつの時代も、自分が何か言えば何とでもなると思っている。事実、何とでもなってしまうのが、この世界が権力者のために作られた歪で不公平な世界であるということを克明に示していた。


 人を殺したのに罪にも問われないなんて、間違っている。そう誰もが思うだろう。しかしこの世界ではこれが常識、日常茶飯事なのである。


 一般市民が何を言おうと、上流階級の決定には逆らえない。


 だから今回もそうだ。


 絵が、焼かれる。


 自らの息子をたぶらかした絵画を、その男は許さなかった。


 彼の息子は家に閉じ込められ、もう町に出てくることもなく、絵を見に来ることもなくなった。


 さあ、処刑が始まる。多くの人間を殺した罪深き少女の絵画。


 今回ばかりは聴衆も賛同するものが多かった。


 中には祟りを恐れた者もいたというが、そんなことは権力者の前では口になど出せないのだから、意見などないも同然であろう。


 満場一致の火あぶりで、絵画は焼失した。


 数日後、絵が飾られていた大きな壁にて、一人獣のように叫ぶ少年がいたというが、だれもがそのことからは目をそらしていた。


 そらし続けていた。

お読みいただきありがとうございます。そんなに長くはならないと思いますので、軽い気持ちで読んでいただければと思います。

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