8、誘拐前日-誘拐決行
「ゆ、誘拐…?」
理解できない。もちろん誘拐という単語の意味が分からないわけではなく、どういう意図でその言葉を発したのかが、だ。
「ええ、誘拐です」
なにも不思議な事は無いとばかりにカップに口をつけるフォーセ皇女殿下。帝国始まって以来、歴代で一番頭脳明晰とまで言われているこのお方が何を言っているのだろうか。
「失礼ながら、その言葉の意味は分かって―――」
「私をここから連れ去ってほしいということです」
間髪入れずに切り返してきた殿下。
「それに、あなたには皇女という立場として頼んでいるのではありません。一個人として、依頼をしたいのです」
「それは……兵士としてではなく傭兵として仕事を受けるか否か、ということですね」
「そのとおりです」
傭兵、という言葉を口に出した瞬間に心の芯が少しばかり冷える。それを温めるかのように紅茶を飲むが、こちらも少し冷めてしまっている。
「では詳しい依頼内容と、達成時の報酬の提示をお願いします」
「……理由は聞かないのですか?」
何故誘拐してほしいのか、それは気になるが……
「傭兵稼業というのは報酬を働く動機とする職です。理由が何であれ、自身の報酬の為だけにクライアントに従う存在です。それに……言わない方がお互いの為のことも多いですから」
「そう、ですか……そうですね、あなたの言う通りかもしれないですね」
安堵と、他の何かの感情を抱いている面持ちだが、俺には読み取れなかった。
「では、改めて、依頼とその報酬を……」
気を取り直して殿下、いや依頼主に問う。紅茶に口を付け、先程の何とも形容しづらい表情諸共胃に流し込んだらしく、凛とした表情に戻っている。
「今夜、皆が寝静まった時間を見計らって、再度この部屋に来てください」
一呼吸置き、こう続けた。
「私を城の外に連れ出してほしいのです。報酬は、あなたの望む物、事問わず可能な限り用意いたします」
破格の報酬だ。そしてこの依頼主なら恐らく冗談ではなく、おおよそ不老不死だの時間操るだのと言った非現実的な事でなければ、本当に用意できてしまうだろう。しかし生半可なことでは達成できないだろうし、バレれば死ぬまで帝国の人間から追われ続けることになるだろう。だがそれでも……
自分の宿願を成就できるかもしれない可能性が今、目の前に転がっている。
「その身、責任をもって誘拐いたしましょう」
きな臭さしかないが、この依頼、必ず成し遂げ今度こそ……!
椅子から降り床に跪き、快諾の意を伝える。
「引き受けてくれて助かります。城を出た後のことは、無事に出られた際にお話しします。仕込みもこちらで済ませておくので、今日はもうゆっくり休んで明日に備えてください」
絹糸の様に艶やかな金髪を耳に掛けながら、紺碧の瞳をこちらに向ける。
「あと、ご友人とも暫くお会いになれない……最悪追われる事にもなりかねません。挨拶を済ませておくのをくれぐれも忘れないように…」
深海の如き深い青の目の視線が申し訳なさそうに下を向く。
「依頼達成時の報酬として私めの無罪証明を今からお願いしておきます」
「ええ、必ず。お約束いたします」
立ち上がり、余った紅茶をすべて飲み干す。やはり、あまり好きな味ではない。
「それでは殿下、そして来た時より影が薄くなっている侍女さん。自分はこれにて失礼いたします」
来た時とは逆に、ゆるりと余裕のある動作で窓から部屋を後にする。フォーセも立ち上がり、窓際へ向かいカンナを見送る。そして独り言のように、しかし誰かに話しかけているかのような口調で言葉を発する。
「……私はあなたの存在を認識できなくなっていました」
室内の影が揺らめく。
「あたしも気を緩めてた訳じゃないんだけどねー」
カンナが部屋に来てからずっと室内にいた侍女、ルコウ・カガミが影のような姿からはっきりとしたメイド服を着た人の実像となる。
「あたしの影身の術を見破るかぁー。まだまだ修行不足ってことかしら」
冗談めかしく、首を振りながらため息をつく。
「いえ、常人ではあなたの存在すら記憶からなくなっているはずです。関わりの深い私ですら、術発動中はぼんやりとしかあなたの姿を思い浮かべられないのですから」
「うん、わかってるって。自分でもあの術は自信アリだし」
ルコウが肩を竦めながら、テーブル上のティーセットを片付ける。
「でも破られた。彼、マジもんの実力者っぽいわね。さっすが仰々しい二つ名持ってるだけあるわ」
「ルコウ、あなたのおかげで私の人選に、より自信が持てた。ありがとう」
「ほーんと、あれ疲れるのよ?」
ふふっ、と満更でもないとばかりに笑みを浮かべるルコウ。
「では、私たちは準備に取り掛かりましょう」
「ええ、失敗は許されないわ」
片付け終わったルコウとフォーセが目を合わせ、同時に頷いた。
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帰りも見つからずに自室へ無事帰還した。カンナは夜まで(精神を落ち着かせる意味も込めて)読書で暇を潰しつつ友人二人、エルド・ロッソとゴネリル・デ・パメリに何と言おうか考えていた。
(お別れの言葉……か。もう二度と会えない可能性もあるが、一体何を話せばよいのやら)
もちろん誘拐については話せない。それにいきなり明日居なくなると言って姫諸共消えたら真っ先に怪しまれるのは必至。友人を売る行為はしないと信じてはいるが、犯人が自分の友人だと思いながら兵役に就かせるのも忍びない。
(いや、言っても言わなくても疑われるか……)
口に出さなくても居なくなるので、どちらにせよ自分が疑われる事に変わりはないことに気付く。
(じゃあ……日頃の感謝でも伝えようか)
本を閉じ、窓越しに空模様を見る。日も沈み掛け、橙と藍色のグラデーションが綺麗で、雲の感じからして今夜から明日に掛けての天気は、晴れか曇りだなと漠然と予想を立てる。
(城を抜けて逃走……これなら東の森林地帯でも体力の消耗を抑えられる)
自分は平気だが、フォーセ皇女殿下はかなりのインドア派だという。日にあまり当たったことがないのはあの色白肌を見れば一目瞭然だ。雨天は意外と疲れるので、これは幸いだろう。
がごぉーん、がごぉーん
終業の鐘が鳴る。暫くして宿舎廊下から沢山の足音と話し声が聞こえてくる。その足音達に混ざりこちらに近づいてくる足音がする。
コンコン、とノックされこちらが返事をする前に開けられる。
「よう、邪魔するぞカンナ」
小柄だが常に活気漲る男、エルドが入ってきた。今は訓練場の後始末のおかげか、少し疲れているように見える。
「せめて返事するまで開けるの待てよな」
「はあ?お前が寝てたら返事出来ねぇと思って入ったんだよ」
「意図があったのか、すまんすまん」
「ったくよぉ、こっちが気ぃ使ってるのに……」
やれやれとばかりに頭を掻くエルド。
「何か…用があるのか?」
ただ雑談をするために部屋に入ってくるような男ではないので、用があるのは分かっていた。
「お前の健闘を称えてな、今夜ゴリーんとこの実家で晩餐会やってくれるそうだ。うまい酒とご馳走を振舞ってくれるんだってよ」
ゴリーの実家は造酒で有名なパメリ家で、彼はその家の長男でもある。家族揃って身も心もふくよかだ。それにしても……
(今夜……か)
普段なら断る理由もなく、二つ返事で参加するのだが……
「悪い、今夜はちょっと……」
「なんだぁ?用事あんのか?多分あそこのことだから、もう準備始めちまってるぞ」
「すまんな。今夜は……そう、今夜は騎士団員関係のことでダメなんだ」
苦し紛れの嘘で誤魔化す。
「そんなすぐに声が掛かったのか……それはめでたいな。ん……?じゃあ騎士団員に昇格記念晩餐会になるかもってことか!」
自分の事のように喜ぶエルドの顔を見て自身の心がちくりと痛む。
「それなら早くゴリーに伝えて明日に延期だな!ようし、そうと決まればパメリ家に伝えてくるぜ!」
「あ、おい!ちょっと待て!」
制止するも聞かずに走り去る。
「くそっ、せっかちな奴だよ本当に……」
(せめて宴会開いてくれてありがとう、嘘とは言え自分の事の様に喜んでくれてありがとう、くらい言わせてくれよ……)
「ほんと今まで世話になったよ二人とも。ありがとうな」
天を仰いで、友人に届くはずもないが、口に出す。
(なに感傷的になってるんだか……)
『勇者アマランサス英雄譚』を本棚にしまう。考え事をしながら読んでいたから、内容が殆ど頭に入っていない。
気分を切り替えるために準備体操と、内流の基礎訓練を行い、精神統一する。
「……よし。後は皆が寝静まるまで待機だ」
ベッド上で座禅を組み、夜の帳が下がるのを待つ。
少しすると、がごぉーん、がごぉーん、と就寝時間を告げる鐘が鳴る。
またそれから暫く経った後、カンナの部屋をエルドが再度訪ねてきた。
「まだいるか?」
就寝時間を過ぎているため、静かにドアを開き小声を出す。
「さすがにもういない……って寝てるのかぁもしかして?」
ベッドの上が不自然に盛り上がっているのに気づく。無造作に布団を剥ぐ。
「なんだ…これ…?」
布団の中にあったそれは、明らかにカンナでもなく、人間でもない。人間っぽい形をした何かだ。そこで開け放たれたままの窓に気が付く。
「誰かがカンナ不在中に仕込んだのか……?」
窓を閉めながら考えを巡らせるが……
「わっかんねぇなぁただの悪戯かぁ?」
しばし逡巡し、
「戻ってくるまで一応待ってみるかぁ。こんなの帰ってきてあったらあいつ腰抜かしそうだし。それに、明日に決まったてこと、早めに伝えたほうが良いだろうしな」
やれやれとばかりに壁に寄りかかる。
「リムチーズ沢山用意してるってことも教えてやりたいしな」
世話焼き癖がここで裏目に出るとはエルド本人は知る由も無かった……
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二度目はそれなりに上手く風魔法の出力を制御し、窓から再び―――今度は激突せずに―――入室する。
「お待たせいたしました」
「いえ、大丈夫です。それよりも―――」
「誰にも見つかってはいません。安心してください」
夜は若干警備の手が増えるがそれでもザル警備には違いない。
「そうですか…それならば良かったです」
胸を撫でおろすフォーセ。
「この先の予定は?何か仕込みをしているそうですが……あと、侍女さんの姿が見えませんが」
とりあえずどのように動くか聞く。傭兵たるもの指示なしで勝手に動くわけにはいかない。
「まずですが……私は焼死することになります」
「え…?」
また意味の分からないことを言い出したぞこのお姫様。
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「…………という事で、私を担いで兎に角距離を離し東の森林に身を隠します。わかりましたか?」
「え、ええ……わかりました」
とんでもないな、このお姫様よ。犯罪行為をしているのはどっちか最早わからなくなってきた。
「それでは、背中へ……」
膝を着き、フォーセをおんぶする。
「では、ルコウに合図を出します。それと同時に、部屋を飛び出してください!」
「了解しまし、たぁ!?」
予想よりも早い爆発。その爆風に押されるように窓から飛び出る。
「んな!まずい!《強風よ、我を守護する障壁となり、この身の盾となれ》ェ!」
頭から落下している中で右手を突き出し魔法陣を生成、そこから風を出し落下の勢いを弱める、が……
「また強すぎかぁ!」
風が強すぎて逆にもう一度体が浮く。
(二人分だから中級にしたらこれかよッ!)
しかし今度は足が下になるように体をよじり、そのまま着地する。
「こ、怖かった……」
背中で呟く。肩を掴んでいる手にはかなりの力が込められている。
(やっぱり、まだまだ子供か……)
「それじゃここから森まで一直線に走り抜けます。しっかり掴まって下さいよッ!」
内流により強化した脚力であっという間に森の中に姿を消す。背後には燃え上がる尖塔と、各所から黒煙が立つ城があった。