5、誘拐前日(4)
「なっ、なんて速さだ…」
塀の上で観戦中のエルドがそう呟く。
「目に魔力を集中させてもギリギリ見えるかなってレベルだねぇ…」
ゴリーもそう続ける。
兵士団員は皆体内中を巡る魔力を使い身体強化する技術、通称『内流』を使用することが出来、目に魔力を集めると素の視力や動体視力を底上げすることが可能であり、二人もそれを使用してこの試合を観戦している。しているのだが…
「オレの魔力操作の精度じゃ姿を追うのがやっとだぜ…」
「騎士団員が人外の集まりなのは知ってたけど、まさかカンナまであんなに凄いなんて」
二人揃って目を凝らして見ている先では各所で砂埃が立ち、剣撃音が右から左、更に右からと、絶え間なく移動しながら鳴り響いている。
「おれたちと訓練してた時って殆ど実力出してなかったのかな」
ゴリーが日々の訓練時のカンナの様子を思い出しながらそう発言する。
「あいつと打ち合って、カンナが息を切らしていたことはオレの記憶ではねぇな」
「え!そうだったの?全然気づかなかった…」
横に手を振りながら話すエルドに、少し驚いた素振りで反応するゴリー。
「だから本気出したらもっとすごいんじゃねーかとは考えてたが、ここまでとはオレも思わなかったぜ」
二人の戦いに視線を戻しながらこう続けたエルド。目には興奮の色が見て取れる。
「これ、もしかしたらカンナ勝てるかも…?」
期待のこもった眼差しを場内に向けるゴリー。一方で熱戦を繰り広げている両者は…
「—ッ!」
鋭く吐息を吐きながらレッドリーの猛攻を何とか捌き続ける。
(これは…勝機あるとは思えないぞ!)
右から振り抜き時には突き、そして剣を持っていない方の手で殴打まで仕掛けてくる。それも猛烈なスピードで。
「どうしたぁ!その程度かやはりッ!」
「そりゃあなたに比べればみんなこの程度でしょう!」
鍔迫り合いに持ち込まれるが、内流の強度が違いすぎて当然ながら押し返すことが出来ない。しかも向こうは片手で押し込んでくる。
(やばい。力の差が大きすぎる)
正面から力押ししても負けはほぼ確実。となれば…
ヒュッ、と押し込まれている力を上手く利用し後方に身を引く。
「なッ!」
急に反作用する力がなくなり、目を見開きながらその勢いのまま前方に体勢を崩すレッドリー。その隙を狙うべく剣を左脇腹付近まで引き絞り、脚に魔力を集中させ全力で相手の懐に潜る。しかしその瞬間にレッドリーの剣を持っていない左手が赤く輝き、
「あめぇよッ!《火よ》!」
ぼん!とレッドリーの左手から勢いよく炎が燃え立ち、その推進力で宙に飛び上がりカンナの一撃を回避する。カンナもその余勢で後ろに吹き飛んでしまった。
「今のは惜しかったなぁ、カンナ・アカンサス」
元居た場所に何事もなかったかの様に立つレッドリーだが赤銅色の鎧の一部が、文様が並んでいるかのように焦げている。
「それは、スクロールの代わりか」
吹き飛ばされて尻餅を付いていた体を起こしながらレッドリーに問う。
「おお、あの一瞬で魔法陣が出てないことに気が付いたか。おまえ意外とやるやつみたいだな」
ここからも、もっと遊べそうだと喜びの強暴な笑みを浮かべている。
通常であれば外部への魔力干渉、俗にいう『外流』は、
1、何の属性を励起させ、威力はどれくらいにするか―起文節
2、どの様な形として発現させるか―創文節
3、纏め、発動させるための魔法陣を形成する―発文節
の3つの文節からなり、《起文節―創文節―発文節》の3文節を経てようやく発動に至るが、特別な技術で文様を刻み込み、詠唱省略を可能にするのがスクロールだ。紙媒体でもそこそこ良い値段で取引されているはずだが、鎧に刻み込んでいるとなれば、かなりの費用が掛かったはず…
「それ、よくもまあポンとそんなの使えますね…」
「全くおまえ、これを隠すための塗装も剥げちまった。まーた城下町の魔具屋と鍛冶屋行かないといけなくなっちまったじゃねぇか」
めんどくせぇなぁ、と左手で頭を掻きながら話す。値段は気にならんのか。流石騎士団員。
「しかしこれが無かったら危なかった。念のため制式装備で来て良かったぜ」
焦げた文様部分をさすりながら続ける。
「だが次は油断しねぇ。おまえには本気出さんと足元を掬われる」
どうやら、本気モードになるスイッチを押してしまったらしい。先程まで片手で扱っていた剣を両手で持ち直している。
「まだ“何か”隠してんだろ。終わっちまう前に早く出してしまえ。不完全燃焼は気持ちよくないだろ」
ぎくっとしたがお生憎様、こんなにも観客がいる中では手の内を晒したくない。この特異体質、バレると変な研究所にでも送られて人体実験させられてしまうのは必至だ。自身の人生の為にも生死の関わらない戦いで無闇に見せるものではない。
「気がもし向けば、お見せします」
「チッ、この俺相手に出し惜しみとは舐めた真似しやがる」
不機嫌そうに顔を歪ませる。第一それを出しても大して有利にはならないだろうし、格上相手には一矢報いるのが関の山だろう。
レッドリーが正面に剣を据える。もう会話は終わりの合図だろう。最初の緩い構えとは違い、隙を見出すことが難しい。自分もそれに倣って構える。
「まあいい、どちらにせよ勝つのはオレだ。おまえも外流の一つでも見せてから退場しなッ!」
猛スピードでこちらに一直線に飛んでくる。外流をとはいっても接近戦に持ち込まれてしまっては詠唱の暇がない。
「ハアァッ!」
がぎぃん!頭上から振り下ろされる剣を受け止め、左側にいなしながら距離を取る。
「またかッ!」
「《雷よ、五具の光槍となりて、乱れ飛べ》—ッ!」
レッドリーを正面に捉えた左手から魔法陣が生成され、そこから五本の雷が槍状になり向かっていく。
「その程度、叩き落してくれるッ!」
ブンッ、ブンッ、と剣を振られ一本も直撃することなく弾かれてしまう。
「だから外流は使って無かったのに…内流の強度に対して外流はルールで制限されすぎであなたの前じゃ役に立たないと思っていました――ッよ!」
すかさずレッドリーが突進し、左肩から袈裟斬り狙いの一撃をすれすれで体を捻って躱しつつ、その捻りを活かして回し蹴りを相手の左脇腹に入れようとするも、
「んな――ッ!」
がしっ、とレッドリーの右手で自分の右足を掴まれてしまっている。しかし右手を軸に剣を持っていたはず。すかさず左手にも視線を移すが、手は空いている。
「おまえが柔剣じみた技を使うのは構わん。卑怯だとも思わん。だからオレが剣を放り投げても文句はねぇな?」
「なんて常識破りな……!」
普通の人ならば武器を敢えて手放すとは考えないだろう。相手が常人じゃない事は分かり切ってはいたが、これは予想してなかった。
「その体勢じゃロクに剣も振れまい。鈍らだからこそ速さを乗せないと破壊力が出ない。内流の強度も違う。だからオレの手からは逃れられんだろう」
強暴な笑みを湛えながらそう話すレッドリー。正直言って絶体絶命。隠し玉を使えば切り抜けられるが、観客の注目が一手に集まっているこの状況ではそれはできない。ここで降参というのも後味が悪い気もする。つまりは…
「おもちゃにされるしかないってことですね」
「そういうことだ」
内流で強化されたレッドリーが生み出す膂力は凄まじく、右腕一本でカンナの体を頭上まで持ち上げてしまう。
「やああッ!」
そのまま振り下ろされ何度も地面に叩きつけられる。何とか受け身を取りつつダメージの軽減を図るが、叩きつけられる度に頭に振動が来て頭痛もする。
「おいあれは…まずいんじゃねぇか?」
「かなり…降参したほうが良さそうだけど、カンナ大丈夫かな」
塀の上で観戦している凸凹コンビもかなり心配した様子で眺めているのと同じように、他の観客も不安の面持ちで遊ばれているのを見ている。一方皇族専用の特等席では…
「底が見えてしまったようですね。カンナ・アカンサス」
一際目立つ金髪の毛先を指で弄びながら、フォーセ皇女がため息とともに呟く。
「兄上、あれはもう止めたほうが良いのではありませんか?あの者、あのままでは絶命しかねないと思われますが」
そうラナンキュラス皇子に口添えするが、彼は意に介した素振りを見せずに、爽やかな笑みを湛えながらその惨い戦いを見ている。
「妹よ、奴はまだ余力を残している。見所はまだあると私は踏んでいる」
「あの有様でまだ余力を?私にはそうは見えませんが…」
そう兄上に言われたフォーセ皇女、
(兄上がそこまで仰るならば、一応この戦いの行く末をしっかり見届けましょうか…)
期待半分の眼差しを会場に再び向けた。既に叩きつけるのは止められ、足は解放されている。
「さぁてと、おまえ、まだ息はあるな?」
「こ、殺す気ですか…これでも国民なんですから、あなたが俺を殺したら大罪ですよ?」
「ふん、この程度で死ぬ軟弱者は騎士団には要らんからな。死ぬなら死んでしまっても構わん」
何言ってんだマジでこの人。人でなしすぎる。咳やら息切れやらを押し殺しながらこの先の打開案を、二日酔いと叩きつけでダメージを負った脳をフル回転させて考えるが、何も思い浮かばない。もう降参するしかないと考え始めた矢先に、
「もういい、これで終いだ」
有無を言わせないスピードで頭部目掛けて拳が迫ってくる。
(こいつ本気で殺すつもり…!)
どごぉん!地面に大きなクレーターを穿つと同時に砂ぼこりが巻き上がり、その中の状況は目視できない。塀の上ではその一部始終を見ていた兵士団員達がざわついている。あのコンビも例外ではなく、
「か、カンナぁ!」
「おい嘘だろ……」
ゴリーは絶叫し頭を抱え、エルドは完全にフリーズしてしまっている。
「兄上!なぜ今のは止めに入らなかったのです!あれではもう…」
皇族席で口を覆い気が動転してしまったフォーセ皇女。しかし兄、ラナンキュラス皇子は少し興奮気味に口を動かす。
「妹よ、一瞬だ。一瞬だけしか見られない。見逃したくなかったら絶対に目を離すな」
「え…どういうことです…?」
兄の耳には届いてなかったようで、仕方なく視線を砂埃の渦中に戻す。
あの兵士団員は大丈夫なのか、早く治癒隊を呼ばないとまずいのではないか、少しずつ事態を理解し、混乱が焦燥に変わり始めた時に、
びりっ、びりっ
砂埃の中で青く瞬く電撃が見えた刹那、その中から人影が途轍もない勢いで飛び出して塀の壁に激突した。その衝撃で表面が内部にめり込んでしまっている。
「な、一体何、が…あ、あれは…!」
人影は臙脂髪で赤銅色の鎧を着ている男。今は塀からずり落ちて壁を背もたれにするように座り、首を垂れている。気絶しているようにも見えるその人物は、
「レッドリーがあの一瞬で…?どうなったというの一体…」
フォーセ皇女が驚きを隠せず、口を開いたままそのレッドリーから砂埃の中心へと視線を移す。丁度そのタイミングで舞った砂が落ち着き始め中の様子が見えてくる。クレーターの中央には黒髪の青年が横たわっている。
「素晴らしいじゃないか、あのカンナという男。この国の最高戦力に一矢報いるなんて!」
ラナンキュラス皇子がはっはっはっは!と豪快に何とも清々しく笑う。
「しかし一体どうやって…もうあの時に勝負は決まっていたはずでは?」
フォーセ皇女がレッドリーの一撃を思い返しながら兄に問おうとした瞬間、ごおぉ!と座り込んでいるレッドリーが、燃えるような真っ赤な魔力に包まれる。
「あれは…やりすぎは良くないなレッドリー」
ラナンキュラス皇子の目が鋭く、動向を窺う色になり、腰の剣の柄に手を掛けている。レッドリーも燃え盛る火炎を纏っているかのような状態で立ち上がり、
「期待以上だ、カンナ・アカンサス…オレも本気を出したくなってしまったぞォ!《業火よ、大炎塊となりて、灰燼と成せ》——ッ!」
雄叫びを上げつつ左手を頭上に構えて詠唱を始めたレッドリー。包む魔力も激しさを増して出鱈目なほどの破壊力を生むであろう魔法を唱え、巨大な魔法陣と共に大火球が形成される。あれはまずい、早く逃げろ、と塀の上では大騒ぎが起きてしまっている。
「さあ、これをどう捌く!見せてみろォ―――!」
大火球をカンナ目掛けて投げた瞬間、辺り一面が眩い閃光に包まれる。光が引き皆が目を開くと火球は場内にはなく、はるか上空へ飛ばされていた。
「レッドリー、上級魔法の使用は違反行為だ」
火球が在ったであろうその場所には、ラナンキュラス皇子が何事も無かったかのように立ち、違反者に淡々とその意を伝える。
「が、お前がその違反をする前に既にカンナ・アカンサスは気を失っている」
そう付け加えられると、レッドリーは安心したかのように胸に手を当て息を吐きだす。先程打ち上げられた大火球が弾け飛ぶのを見上げて確認した皇子が高らかに、
「此度の決闘、カンナ・アカンサスの気絶により勝者、レッドリー・フォン・アイギスッッッ!」
訓練場中央で宣言した。