17、前途多難
「この街道に沿って東へ行くとアレキサンドライトとの国境か……」
「大陸を縦断する山脈をなぞるように国境が引かれていますね。でも私たちは南東にあるという村を目指していますから……」
しかし言葉とは反対に、昇り始めた鮮やかな太陽に縁どられた、遥かに連なる山脈を遠い目で見るフォーセ。その瞳に宿る光がうっすらと揺らいでいる。
「お前の兄、ラナンキュラス皇子はそこの唯一通れる『ロマンサの喉笛』に向かって遠征中……わざわざ皇子自ら出向くって事は中々ないから、あの国、何か動きでもあるんだろうが……そんな中であんたは城ほっぽって出てきちまった。」
五年前に魔科学大戦と呼ばれる大規模な戦争をしたばかりで、未だに両国ともにらみ合いをしているのが現状だ。
「向こうの国の動きも噂程度だが色々聞いた。どれも胡散臭い感じで信用できるものとは思えないものばかりだが……あの国のことだ、こっちの常識じゃ測れないからどれも嘘だと決めつけるのは怖いな……」
「そうですね。アレキサンドライトの怪しい動向を無視することも出来ず、牽制の意味も込めて兄上自ら出向いたようです」
「ま、確かに皇子様なら牽制としては十分すぎるな。まあでも……」
一拍置き、
「今は『リューザ』と『三日月の涙』で、俺たちの目的は東じゃなくて南東だ。ルコウを救う、それが第一の目標になってる。それに最終的には、城を抜けたことも十分に取り返せるくらい大事な事の為に、こうしているんだろ?」
迷っているのだろう。自分の選択が正しかったのか否か。しかし当の本人もその迷いに意味を見出せないことは分かっていた。
「私は既に全国民を騙し、大切な友人に大怪我まで負わせてまでここまで来た。今更私は引けない。最後までやり抜かなければいけないのです」
「そうだな……あんたに迷われると後ろを守る俺も路頭に迷うし、そもそも迷ったままで成し遂げられることでもないだろう」
決して彼女の決意を疑っての発言では無かったが、どうやらフォーセを不安にさせてしまったらしい。こちらを一瞥し、直ぐに視線を俯き加減に逸らす。
「あー……背中だけは死守してやるから、おまえは目の前だけを見据えていればいい。そういう事だ。分かったな?だから、そう落ち込むな……」
これだから、年頃の女の子の相手は面倒なんだ……
ご機嫌を取るためだけにこのような言葉を掛けたが、存外彼女は安心したらしい。
「ふふっ、ありがとうございます。あなたに似合わず、良いことを言いますね」
んな、こいつ俺の事からかってるのか……?
「は、はあ……」
なんだか妙に信用を得ているような感じがするが、何故だろうか。大方、箱入り暮らしで家族以外の異性との関りを持ってこなかったから、年上の男性イコール信用しても良いとか思っているのか何なのか。あまり世間を知らないお嬢様にはありがちな事なのかもしれないが、なんだか自分が彼女の事を誑かしている気がして少し後ろめたい気もする。
「とりあえず、目指すべきは南東の山林だ。そういえば、あの商人からなにか荷物を渡されていなかったか?」
「ああ、そういえば……」
おもむろに腰から下げた皮袋から羊皮紙の巻物と一つの魔具を取り出す。
「それは、地図と方位を示す魔具か……」
先の『陽光隠しの森』で方位磁針を忘れた誰かさんのおかげで一生を森の中で終えるかもしれなかったことを思い出す。
「地図によると、確かに森が広がっていますが、これは……」
「?どうしたんだ?」
箱入り暮らしだから地図も読めないのかと思ったが、そもそも一般的な知識量は彼女の方が上だったことを脳の底から引き上げる。
「これ、見てください」
フォーセの指先が現在地から目的の山林地帯への道順をなぞる。それを追うように視線を動かすとそこには、
「このマーク……人類未踏領域に分類される地域の地図記号か」
「その通りです」
人類未踏破領域、読んで字の如く未だかつて人間がその地域を探索し無事に帰還した記録が無い領域の事だ。
「いやしかし……ゼニからそれほど距離もあるわけではなくその近くに村もあるようだけど、そんな生活圏の近くにそんな領域があるのはなんか不思議だな」
「ええ、殆どの未踏破領域はそもそもそこに近づくことが困難を極める場合が殆どですから、かなり珍しいと言えますね」
現在地は交易都市ゼニを出て少し進んだ街道だが、地図を見るに徒歩でも目標の山地の麓まで半日強で到着出来てしまうほどには近い。
「秘境とかには分類できそうも無い位近い所に未踏破領域……」
考えを巡らせるカンナが得るはずの答えを、フォーセが先んじてたどり着く。
「行きはよいよい帰りは怖い……ということでしょうね。『三日月の涙』の噂を耳にしてそこに行くも、無事に帰還出来た者が居ないのでしょう」
「さほど、旅の経験無しでも挑戦出来てしまうのが少し恐ろしいな……」
まだ冒険の恐ろしさを知らない新米冒険者でも簡単にたどり着けてしまうが為に、驕った奴はすぐに死んでしまうことが容易に想像できた。
「しかしそうなると……二人だけってのはキツイな……」
ちらりとフォーセを横目で見て、嘆息する。
「人の顔を見てなんですかそのリアクションは……ちょっと失礼じゃないですか?」
小声で言ったのだが、聞こえていたらしい。顔をムッと膨らませてぷいっと逸らしてしまう。
「ん……いや悪い、つい……」
無意識で、と続けてしまうと面倒な追及が始まってしまいそうな予感がしたのでそっと胸の内にしまい込むが……
「私に、戦う力があれば、きっと良かったんですよね……」
自分が発した言葉に思いの外重く捉えてしまったらしい。
「……別にあんたが力不足で足手まといだからキツイって訳じゃない。その、単に頭数が足りないから危険だって言いたかっただけだ」
「でも……」
また機嫌を取らなければいけないのかと考えた矢先、健やかな風が頬を撫でる。
「いえ、『でも』は甘えですね。出来ないなら出来るようになればいい。単純な話です」
「……そうだな」
強い。自分とは違って。皇族の血が流れているからなのか、教育の差なのか、わからない。が、あの昔に何も出来なかった自分とは違う、そう思った。
(俺がもし、こいつと同じような道を辿っていたら、同じことが出来ただろうか……)
自らの地位と権力を捨て、最愛の親友を傷つけられ、それでいて自身には戦う術が無い。
(無力感に苛まれることなく、歩みを進められるのか……)
「それに、ちゃんと背中を守ってくれるボディガードもついていますし、ね?」
彼女の爛漫と輝く顔が眩しくて、思わず目を逸らしてしまった。
「ボディガード、ねぇ……」
あの森でそんな事言ったな、そういえば。
「ま、そういうことだから安心して背中預けな」
そうは言ったが、ついぞその会話中にフォーセと目を合わせる事は出来なかった。
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街道を外れ南東へと歩みを進め、太陽が鮮血の様に空を染めていた時間も過ぎ、月が空の支配権を獲得し始めた頃に山麓の村『フットヒル』のある方角に、異変を察知する。
「なんか、明るい……?祭りでもしてるのか?」
「本当ですね。街灯の明かり……は考えられませんし、何の光でしょうか?」
それこそ城下町、ゼニなどの都市であれば夜間でも繁華街は日中かと思う程で、暗闇を探す方が大変だと思わされる。しかし、このフットヒルは田舎の村落であるため、日も沈んだ時間に遠くからでも分かるほど煌々としているのは、光の下で安心する人間から見ても不気味さを感じずにはいられなかった。
「なんだか、胸がざわつきます。早く行ってみましょう」
「おいおい……俺は仕事以外の事はしないぞ」
足早にその光源へ足を進めるフォーセの背中にそう告げるが、彼女の耳には入ってはいなかった。
そこに近づくにつれて、それが祭りなどの楽しい催し物ではない事が、鼻孔をくすぐる焦げ臭さと血の臭いが否が応でもそれを知らされる。
暫くしてその目に飛び込んできた光景は平和な村落とはかけ離れた異様な有様だった。
「これは、ひどいな……」
「一体何が……」
各民家から上がる火の手。子連れの村人が子供を抱きかかえて必死に逃げ惑い、それを気にすることもなく他の村人が我先にと、なりふり構わず突き飛ばしているのが視界に入る。それとは反対に各所には負傷して動けない人に肩を貸している者、火傷か煙を吸い過ぎたのか意識を失った者に、声を掛ける者もいる。それに加えて、火災であるはずなのにやたらと血を流している者もいる。まさに阿鼻叫喚地獄だ。
昏き空に上がっていく黒煙を眺め、フォーセが自身の城を抜け出した際のシーンと不意に重ね合わせてしまうが、今は呆けている場合ではないと首を振る。
「早く助けなければ……!」
小さな村とは言え、ロマンサ帝国の大事な国民。ここで手をこまねいている場合ではないと、そう言い放ち村に駆けようとしたが、
「おい、待て」
すかさずカンナがフォーセの腕を掴む。
「……!なぜ止めるのです!」
振り返りカンナに語気を強めて問う。
「なぜって、まずは状況を見極めるのが先決だからだ。それに、明らかに火事で負った傷とは思えない者もいる。焦りは禁物だ」
さも当たり前かの様に、至極冷静に言い切るカンナ。そのような反応が返ってくるとは想像も付かず、かえって取り乱してしまう。
「!!あなた、今目の前で命が失われようとしているのですよ!?それを、見捨てろというのですか!?」
自分は死んだことになってはいるがそれでもこの帝国の皇女であり、力無き民を守るのは権力者の務めだと、ノブリス・オブリゲーションの精神を叩き込まれているフォーセには、一旦様子見しよう、というカンナの悠長な言動が理解できなかった。
「そういう訳じゃない。が、間に合わなかったらそれもそれだ」
あくまでも落ち着き払った態度を崩さないカンナだったが、そのフォーセを見つめる瞳に悲しみと諦観が渦巻いている事に冷静さを欠いた彼女は気づくはずも無かった。
「それじゃあ、私一人だけでも……!」
「なっ、一人で何が出来る!」
カンナ、フォーセ、そしてルコウの三人で帝都から逃げ、ルコウが瀕死の重傷を負ってしまった時の、あんなにも彼女の為に怒ったカンナを見て、どこかの英雄譚に出てくる人物と勝手に重ねていた。
「私だって、人ひとり担ぐくらい……!」
だけれど、彼はただの雇われ傭兵で、ただの仕事としてフォーセに同行している。だから、目の前で他人が何人死のうが関係無いのだと……
「無茶は止めろ!お前、自分がどんな立場か分かって……」
彼の制止を切るかのように、
「もう、いいです!それじゃああなたはここで黙って見ていればいいんです!」
バチン!と腕を掴んでいた手を叩き、解放されたと同時にフォーセは村へと駆ける。
風を切って、段々と増していく焦げ臭さと死臭に鼻孔を満たされながら俯き加減に駆けるフォーセは欠片ほどに残った落ち着きで、ある矛盾について思案する。
何故カンナは、ルコウの時は激怒して目の前でこんな惨事が起きているときは冷静なのか?
だが、このような疑問はこの際どうでもいいと、大部分を占める必死な感情がそれを心の奥へと流し込む。今は一人でも助けられる命を救う。それだけのために脚を動かす。
「くそっ……子供が……」
一人、村の外野に取り残されたカンナが吐き捨てる。その眼には、火の海とでも形容すべき村に、単身で乗り込もうとするフォーセの後ろ姿が映る。