14、悔恨
刹那の青い電光。その瞬間にカンナの姿が消え―――
「ッ!」
ゆうに十メートルはある彼我の距離が一瞬で詰まり、カンナの刀の切先が奴の肩口を捉える。
(な、接近するまでの過程が捉えられなかった……!)
人間の限界をも超えるスピードから繰り出される斬撃を、これまた限界を超える反応速度で辛くも逃れる黒装束のリーダー。その斬撃は強烈な電撃を含んでいた為、刀身本体の攻撃を躱してもなお、それによりダメージを受ける。
「ぐッ……!」
全身に雷が落ちたような衝撃が走るが、それを内流により即座に軽減、昏倒するのを避けつつ、躱した際の捻りを利用し右へ側転、後方宙返りで距離を取り、部下に指示を出そうとするが、
「逃がさねぇ!」
カンナの左手から詠唱無しに轟雷が一直線に向かい、直撃。
「があぁぁぁぁ!」
先程の刀から迸る、漏れ出た雷とは比較にならない激痛が襲う。
「お前の部下は、指示無しじゃあなんにもしないんだな」
「あがっ、おま、え……一体、なん、なんだ……」
全身が電撃による麻痺で言うことが聞かず、ただ地面に這いつくばることしか出来ない黒装束。
「どうせ今殺されるあんたに教えても意味無いよ」
その言葉には一切の熱を感じられず、聞いている人間全てに寒々とした恐怖を与える。
カンナが刀を逆手に持ち、うつ伏せ相手の心臓の真上に据える。
「それじゃあ……」
そのまま振り下ろす、はずだった。
『……!それはダメです!あの人たちもれっきとした帝国の―――』
先程の言葉が脳裏でフラッシュバックする。この僅かな間隙を突き、麻痺に苦しみながらも部下に指示を出す。
「……ッ!しまっ―――」
まるで雪崩のように黒装束の手下がカンナに迫る。それを、一人は首を刎ね、もう一人は電撃のショックで、更に一人を上半身と下半身を両断と、襲い掛かる者を一人ずつ確実に屠る。
(なに今更迷ってる!殺すって言ったのは自分だろ!)
葛藤を振り払う様に刀を乱暴に振り回し、最後の一人を斬り伏せる。顔も髪の毛もローブ、それに刀も返り血で紅く、まるで彼自身の瞳の色の様に染め上げられている。
「はあ……はあ……くっそ、逃げられた、のか……」
息を荒くしながら辺りを見回すが、這いつくばっていた者の姿が見当たらない。
ここで仕留め損なったのは手痛いと冷静に分析するカンナ。
まず、直ぐに第二波を呼び寄せる可能性。これをやられると生死不明のルコウと、戦闘なんて出来るはずがないフォーセの二人を庇いながら戦わなければいけない。今回は自分の命を大事にした指揮官のおかげで事無きを得たが、次もそうとは限らない。
次に、自身の手の内を知られてしまった事に対するディスアドバンテージ。仮に直ぐに攻めてこなくても、対策を講じられるとカンナ一人で戦うのは厳しい。
「それにしても、こいつら……」
自分が斬った者の亡骸を見る。
(自分の命すら上司の為なら投げ出せるのか……?)
彼らには死の恐怖という感情、いや、意思というモノが存在していたかも怪しい。
(以前から、諜報課はヤバいみたいな噂は聞いていたが……これは……いや、)
今はそんなことを考えている場合ではない。
「二人とも!大丈夫―――」
駆け足で二人の元に向かった瞬間、全身に針を刺されたような激痛がカンナを襲う。
「うッ、ぐっ、ああぁぁぁぁぁああ!」
駆けた勢いのままルコウとフォーセの近くに転がり込み、体をよじらせ悶え喚く。
「カンナ!大丈夫ですか!?」
下敷き状態から抜け出し、ルコウの容態を診ていたらしいフォーセが駆け寄ってくる。
「俺はッ、いいッ……!る、ルコウは、どうなんだ……ッ!」
「い、息をしているのでまだ助けられるかもしれませんが……!」
「そ、そうか……ッ!」
あなたも死にそうではありませんか!とばかりに今にも泣きじゃくりそうな目でこちらを見るフォーセ。
(森での戦闘と今回ので二回……!ペースの配分をしくじった……)
この体に帯電させる技と無詠唱での雷魔法の使用は、カンナ自身でも仕組みを理解していない部分があるが、それでもわかっていることがある。それは使えば使うほど反動が大きくなることだ。初めは体に帯電させる事に因る異常なまでの負荷に耐えきれずにこうなっているものだと考えていたが、帯電せずに詠唱無しで雷を放ちまくった時でも似たような現象が起こった。結論からして、詠唱をせずに雷を発生させると反動を受けるようだ。
反動が軽ければ少しばかり筋肉痛に似た痛みが残る程度だが、今回の戦いの様に全力でその力を使うと、ご覧の通りに激しい痛みに襲われた後、
「カンナ、カンナ……!そんな、あなたまで……」
それに耐えかねて、気絶してしまう。
「ああ、どうすれば……私一人で何が出来るの……!」
暗い空の下、『願い月』を見上げて、力の無い少女は祈る事しかできなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
闇。月明りさえ差し込まない、闇の空間とも形容できるほど、気味の悪いロマンサ帝国城の一室。壁には書架と時計、そして現代の技術で描いたとは思えないほどの精巧な絵画が飾られていて、立派な装飾の施された机に大人が三人ほど寝られそうなベッドがある。
「して……君はお人形さんを盾に、ここに敗走してきた……そういうことかい?」
耳にこびり付いて取りたくても取れない、そんな声が室内に響く。
「……」
その黒装束は余計な発言をしない。なぜなら、
「まあ君が言わなくたって、僕にはぜぇーんぶ、筒抜けだからねぇ……」
椅子に腰かけ背中を向けながら何かを弄る、この部屋の主。
「だ、か、らぁ……」
突如立ち上がり、話し相手の方に向き直る。
「お前がこの僕の大事な、大事な大事な大事な大事な大事な大事なッ!最ッ高に愛して止まない人形を壊しかけたのも!!!全て知っているんだよォ!!!!!」
狂ったように金切り声を上げ、跪く黒装束の顔面を蹴り飛ばす。
「……ッ」
その横暴にも決して口答えも、反撃もしない。無駄だと分かりきっているから。
「ハァ、ハァ……まあいい、どうやら死んでいないようだし、今回は多めに見てやる」
その従順とも取れる態度に因るものかどうかは分からないが、癇癪が収まる。
「あのカンナとかいう奴の情報もお前のおかげで掴めたしなァ……やはり僕は寛大で偉大な男だ……」
クックック、と自分自身に心酔する男。
「しかしお前とあんのザコ人形じゃあ役不足の様だな……」
転じて、今度は急に冷静になったと思ったら、
「可愛い可愛い愛しのルコウちゃんのケガが治ったら、今度は僕自身が彼女を迎えに行こう……!」
まるで劇の舞台俳優かの様に仰々しく両手を広げ、何かを抱き寄せるような動きを取る。
「んんん?そう考えたら……お前、もう要らなくね?」
暗がりで何とか見える口元がぐにゃりと歪み、全身からどす黒いオーラがとめどなく溢れ出る。
「じゃあ……」
音も無く、脇に現れて腹部を蹴り上げられる。
「ぐ……!」
そのままベッドが浮き上がった体を受け止める。すると、まるであたかも初めからそこに居たかのように、黒装束に跨っている。
「さァて、それじゃあ……死ねぇ!」
男の両手が首を絞める。
黒装束は逃げない。この男から、逃げることが不可能だと知っているからだ。
黒装束は抵抗しない。抵抗は、軍務卿を喜ばせるだけだと分かっているから。
彼女は屈服する。それが、一番楽だから。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『もしかして……酔っちゃった?』
優しい声だ。聞いていると心がじんわりと温まる。
ぶんぶん、と首を振る。が、実際はかなり気持ち悪い。
『あら、そうなの?顔色が、悪い気がするけど……』
『別に強がることもないぞ。無理せず出してきなさい……と言いたいけれど』
貨物船に密入船しているから、甲板に上がって出すものを出す……ことが出来ない。
『でも時間的にそろそろだって乗組員が言ってたから、少しの辛抱だぞ』
沢山の木箱に囲まれた部屋の隅で三人揃って縮こまり、聞き耳を立てている。
向こうに着いたらどうするの?と、吐き気を紛らわすついでに聞く。
『まずは、仕事を見つける。言葉は通じないだろうが、俺たちの身のこなしを高く買ってくれるところもあるだろう』
『私たちみたいな身軽な人は、あまり居ないみたいですから、ね』
へぇー、と頷く。その所為で余計気持ち悪くなるが、気合で耐える。
『それで、言葉を覚える。向こうの言語を扱えるようになれば、選べる仕事の幅もきっと広がる』
なんで?と率直な疑問を投げかける。
『それは、だな……信頼を得られるからだ』
信頼?どうして?
『言葉が通じれば自分の思ってる事、考えてる事、伝えられますからね』
ふぅーん、そうなんだ。と良く分からなかったが相槌を打つ。
『まあとにかく、仕事を見つけて言葉を覚える。そうすれば、新しい土地でもきっとうまくやれるさ』
自分を安心させるように、明るい声色で話しかけながら、頭を大きい手で撫でてくれる。
『ん……船内が少し慌ただしくなってきましたね』
『そろそろ着港か。それじゃ、上手く隠れながら船を降りるぞ』
そのまま父が、自分をおぶってくれる。とても広くて、安心する背中だ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「その……ありがとうございます」
「いえ、旅は道ずれ世は情け……デスヨ」
馬車の揺れに身を任せながら、礼を言う。
「いやーそれにしても、びっくりしましたヨ。夜になって南門を出たラ、巨大な炎の円柱が立っていたのデスカラ」
「です、よね……」
この金髪―――いまはところどころ煤けているが―――の少女はその渦中の事を思い起こす。
(カンナが飛び出して、その隙にあれを唱えられた……ルコウが直前に水の術で何とかそれに対抗しようとしたけど……)
結果は、今目の前で瀕死の重傷を負っている彼女を見れば一目瞭然だ。
「偶然ここを通りかかって良かったデス。そうでなければ彼女、死んじゃっていたかもシレマセン」
いつもであれば、「そんなに軽く死んじゃっていたなんて言わないで!」ぐらい言っていたかもしれないが、今回ばかりは彼の言う通りだ。
城下町で刀の押し売りをしてきたこの商人が居なければ、恐らくルコウは手遅れで死亡。見た目はあまり傷を負っていないカンナも、見えない部分がボロボロになっているのだろう。一向に目を覚ます気配が無い。
「私は……何も、出来なかった……」
自分の不甲斐なさ、情けなさに負い目を感じ、涙が込み上げてくる。
『陽光隠しの森』でも自分のミスから、カンナに余計な戦いを強いた。今回も私が襲撃者を倒す事に躊躇わなければ、ルコウがこんなになることも、彼が気絶にまで追い込まれることも無かっただろう。
(私の……せい?)
自責の念が、彼女の心を埋め尽くす。
(元はと言えば、私が城を出なければ……!)
ルコウは今まで通りに私の傍付き侍女として危険な目に合わずに働けていた。カンナもここまで自身を削ることもなく、友人が大怪我もせず、楽しい毎日を送っていたかもしれない。
「全部……私が悪い……」
悔恨の涙が溢れて止まらない。揺れる馬車の中に月光が差し込み、フォーセの泣き腫らした顔を照らす。
「ワタクシが口を出すのも如何なものと考えマシタガ……」
「え……?」
フォーセの嗚咽する声に憂慮した商人が語りかける。
「起きてしまった以上、どれだけ後悔しても時間は戻りマセン」
たしかにその通りだろう。時の流れは不変。他の者より先に進むことも、戻って何事も起こらなかった事に出来ない。
でもそれでも、
「後悔せずには……いられないです」
「フウム……まあ気持ちは分かりマス。それでは、アナタは何の為にここまで進んできたのデスカ?」
それは……
「何かは分かりマセンガ、これ程の大事に巻き込まれる位、それでアナタの身を、命を顧みずに守る者が身近に居るほど、アナタは重要な使命を帯びているのではアリマセンカ?」
使命……
「そうであるナラバ、アナタは責任を持って前へ進み、それを達成することデシカ、償えないシ、贖えなイ……モチロン、ワタクシの私見でございマスガ」
夜風に煽られた雲が月の顔を隠し、辺りを静寂に包む。
そうだった。やらなければいけない。この国、しいては世界を丸ごと転覆しかねない、『真なる敵』の陰謀を阻止せねば。例えどれだけ傷付こうとも……
「そう、ですね……成さねばならないことが、ありました」
「そうデスカ……それなら良かったデス」
照らされた金髪は爛漫と、再び顔を出した三日月の光を受けより一層煌く。あたかも願いを叶えんとする彼女の決意に呼応するかのように。まるで、運命そのものに抗わんとするかのように。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『#%$>~$%“!』
何を話しているのかはさっぱりだったが、どうやらあたし達を歓迎しているようだ。
『良かった。受け入れて貰えそうだ』
船を降りてから、見慣れない街に見慣れない髪の色と目をした沢山の人を見た。あたし達三人の髪色と目の色もこちらの人々には見慣れないのか、通りすがる人ほぼ全員がこちらを見る。
無論、今自分たちの身のこなしを見てもらった人物もその一人だ。
ここ、ロマンサ帝国領の港町『ブルー』は、国が推し進める都市開発計画の一環で、沢山の建物が建設されている。建物を建てる。それは高所での作業も必須で、安全に配慮しても、怪我人は出るし、落下に因る死亡事故も起きかねない。
だからこそ、母国で鍛えたこの身軽さが役に立つ。そう思われたのだろう。
『これで、こちらでの生活も何とかなりますね』
それからというもの、住み込みで働くための家―――と言っても集合住宅の一室だが―――を与えられ、衣食を整えるだけの十分なお金を、賃金前借りという形で貰う。
仕事の内容自体も異国民だからといって不当に大変な事を押し付けられる訳でもなく、同僚とは言葉が通じないものの、真面目に働くあたし達を素直に評価してくれる、良い人に恵まれていた。
この国での生活も慣れてきたある日、作業現場が少しばかり騒がしい時があった。様子を見に行ってみると、見慣れない大人の男がそこに居た。
自分の国にもいた、焦げ茶色の頭髪に、それと同じ色の瞳をしたその男は、あたしを見つけると、
『やあ、君が噂の外国から来たお嬢さんかい?』
久しぶりに、両親以外から母国の言葉を聞いた。
噂になっているかどうかなんて分からなかったので、その笑顔で近寄ってきた男にはとりあえず首を振っておく。
『あれ?違うのかい?でも、その目と髪、そしてこの言葉が分かるってことは、「隠の国」出身ってことだよね?』
人の良い笑みを浮かべてしゃがみ、あたしと同じ目線で質問してくる。
こくこく、と頷くと、
『そうかそうか、やっぱり君だったんだね。そういえば、自己紹介がまだだったね』
そう言って、握手を求めるように手を伸ばし、
『僕はリク・ゴトー。ええと、一応この国ではそれなりに偉いんだけど、君に言ってもしょうがないね』
とりあえず自分も手を伸ばして、その男の手を取って名前を告げる。
『へえ、お嬢さんはカガミ・ルコウって言うんだね。あれ、それってどっちが名前?』
ルコウに決まってるのにおかしなこと言う人だなと思いつつ、後ろの方だと教える。
『ああやっぱり……あのね、こっちの国では先に名前、その後に名字を付けるんだよ。だから、僕の場合は、「リク」が名前で「ゴトー」が名字なんだ』
へえー、と欠片も興味の無さそうな返事をする。
『あはは!まあルコウちゃんみたいな子供に言ってもしょうがないか……』
そういいつつ立ち上がり、辺りを見回すこのリクという男。
『ねえルコウちゃんのご家族は?ちょっと用事があるんだよね』
たぶんあっちに居ると、指差しで伝える。
『ありがとう。ああ、あと、きっとこれから君とは長い関係になると思うから、これからよろしくね、ルコウ・カガミちゃん』
あたしの頭をポンポンしてから、指を差した方向に歩き始める。
なんだか不思議な、少し浮世離れした雰囲気を子供ながらに感じ取ったルコウだったが、それが良いか悪いかの判別を当時の彼女に付けることは出来なかった。