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雨の日のトッカータ

作者: 舞如

 高校生の若造が恋に落ちるには十分だった。

 新学期になって初めての雨が降った日。昨年に引き続き図書委員を勝ち取った僕はその日も、参加率の低い他の委員の代わりに、勝手にカウンター作業をしていた。それも、いつもより早い時間から。

 雨の日の昼休みはとにかく教室が騒がしい。いつもは校庭で若さを発散する彼らが、矛先を室内に向けてしまうからだ。いつもなら平気でできる作業も、無駄によく通る声に気を取られて散らかってしまう。そうして耐えかねた僕は、パンを口に詰め込むと同時に図書室に逃げ込んだというわけだ。

 図書室の鍵を開けてすぐ、女子生徒が入ってきた。ネクタイの色からして一年生だろう。いやしかし、一年の図書室案内はまだではなかったか。不思議に思う僕をよそに、彼女は窓際に陣取ると、トートバッグから何かを取り出した。とても見覚えのある、飾り気のない青い表紙――文芸部の部誌だ。今朝方、昇降口に置いてきたばかりの。

 僕は作業をする傍ら、彼女を度々、盗み見た。ずいぶんと熱心に読んでいるようで、こちらには全く気づいていない様子だった。彼女は何度見ても、姿勢も頭も全く動かさず、ページをめくるために指先を動かすとき以外は、まるで石像を見ているかのようだった。それにしても、物語を読んでいるというのに、全く顔に出ないというのもすごい。無意識に口元が緩んでしまう僕とは大違いだ。いや、もしかしたら僕が見ていないタイミングで動いているのかもしれないが。

 そんなことを考えながら彼女を眺めていた、そのとき。僕は思わず硬直し、手に持つシャーペンを落としそうになった。彼女の表情は相変わらず、何も示さない。なのに――ふわり、と彼女の雰囲気が和らいだ気がしたのだ。何故だろう、それがはっきりとわかった。直後、じわじわと、頬が熱くなる。だって、もし。もしそれが、自分の書いた小説によるものだとしたら。僕の物語が彼女を石像から花に変えたのだとしたら、どんなに言葉を重ねても表せないほどの嬉しさがある。

 それからはもう、目を離すどころではなかった。じっくりと観察してみると、彼女は意外にも感情豊かだった。肉体はどこも動いていないのにもかかわらず、ありありと分かる程度には。緊張して動きがこわばったり、熱い息を吐いたり、とろんと目を溶かしたり。体の動かなさにも驚いたが、こんなにも素直に自分の感情を引き出す人間は初めて見た。いつの間にか僕は、彼女はどの物語が好きだろう、誰の物語が気に入っただろう、と、そんなことばかり考えていた。


 かちり、と時計の針が動く音がして、はっと我に帰る。一体どのくらい見つめていたのだろうか。見上げると、時計はまだ、昼休み終了の10分前を指していた。

 ほっとして視線を戻せば、彼女は帰り支度をしていた。立ち上がって、ドアに近いこちらに近づいてくる。ああ、行ってしまう。


「それ、どうでした?」


 思うより先に口が出ていた。どうにかして引き止めなければ、と、必要もないのに焦っていた。彼女は歩みを止めると、急に立ち上がった僕を見て、首を傾げた。


「僕、文芸部員なので。おもしろいの、ありました?」


 彼女は驚いたように頭をわずかに上げ、口を開いた。


「もしかして、ええと――紙魚さん、ですか」

「あ、分かっちゃいました?」

「もしかしたら、ってくらいですけど」


 僕は「文芸部員」と名乗ったにもかかわらず、彼女は部長である「紙魚」の名を出した。そこから分かることは2つ。ひとつは、彼女がかなりの読書家であるということ。もうひとつは、僕が唯一の文芸部員だという事実に気づいたということ。


「放課後はいつも部室に居るので、よかったら来てください」

「えっ、いいんですか」

「学校全体での部活紹介はまだですけど、勧誘は禁止されてないので。部室の場所は部誌に書いてあります」

「それじゃあ、お言葉に甘えて。楽しみにしてますね」


 そう言うと彼女は、楽しげな雰囲気のまま、軽く握った両手を胸の前で揺らした。どうやら、感情的でないのは顔だけのようだ。

 彼女が去ったあと、ぼうっとしていた意識は予鈴に叩き起こされた。いたたまれなくなって、口を手で覆う。鏡なんて見なくても分かる、僕はどうしようもなく笑ってしまっていた。彼女は何と言っていただろうか、せっかくなので今日伺いますと、そう言っていなかっただろうか。こうしてはいられない、何が何でも彼女を文芸部に入れなければ。僕の小説でも、先輩方の小説でも、彼女を引き止めるためには何だって使わなければならない。手段は選んでいられない。だって、こんなにも気持ちが昂ぶったのは、物語以外では初めてだったから。部員不足なんて関係ない、彼女さえ来てくれればそれでいい。そんなことさえ、至極真面目に考えていた。


 ……あれが恋の種火だったなんて、当時は気づきもしなかったけれど。

 加えて、気づかなかったことがもうひとつ。まさか彼女が、「わたしのほうが先に好きになっていた」と主張するとは思わなかった。僕が恋に落ちたのは、僕の物語に恋した彼女だったのである。

 彼女は今日も、僕の紡いだ言葉たちを表情豊かに愛でる。当時の手製本とは違い、きちんと装丁の施された書籍を手に。今では電子書籍も主流だが、彼女は初読に紙の本を好む。文字に直接触れられるのが好きなのだそうだ。そんなに好きなら、僕に直接触れればいいじゃないか。嫉妬混じりにそんなことを考えていたが、実際に触れられて困るのは僕なので口をつぐむしかない。今も昔も、彼女への思いを直接言葉にするのは、いっとう苦手なのだ。

Schroeder-Headzの「Horizon」をずーっと聞きながら書いてました。

久々に好き勝手した気がします。

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