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「おい、お前」
フィリミナとリーゼロッテが手を組んで私に突っかかってきそうだなと思うとこめかみが痛くなる。
ため息を飲み込んで部屋を出ると背後から呼び止められた。
うわっ!嫌な奴に声をかけられたなと思ったけど、それは心に閉じ込めた。
営業スマイルを心がけて振り返るとそこには案の定、マナート殿下がいた。
「はい、なんでしょう。殿下」
マナート殿下は私をじっと見つめる。その目がとても嫌らしく、正体がバレていないことは一目瞭然だけど全く安心できない。
「喜べ。お前は俺様の目に適った」
全然、喜べないけど。
「今夜、俺様の寝室に来ることを許してやろう」
他国の王城内、それも廊下で言うことではないでしょう。
決して断られるとは思っていない顔。王子である自分の誘いを断る者がいるなど夢にも思っていないようだ。
実際、立場を持ち出して来れば断りたくても断れないのが常だろう。
「私などが恐れ多いことです」
「侍女風情が俺様の誘いを断るのか?この俺様がお前をわざわざ所望してやっているんだぞ」
この男は臣下や使用人をただの道具としか捉えていない。相容れない生き物だ。関わり合いになるのも御免ね。
「フィリミナ様はよろしいのですか?ご婚約されると聞いたのですが」
「はっ。随分と図々しい女だな。俺様が所望しているのは今夜、一晩の相手だ。それなのに、たった一回誘っただけで俺様の愛人になるつもりとは」
「やれやれ、モテるというのも考えものだな」と本気で困ったような顔をするマナート殿下。その間抜け面を殴りたくなった。
‥…殴ってしまおうか。
どうせ、私が誰か彼は分からないんだし。
体つきから彼が鍛えていないのは一目瞭然。ノワールと違って剣も使えないだろう。典型的な「フォークより重いものは持ったことがない」と平気で言うお坊ちゃまだ。
「まぁ、お前がどうしてもと言うのならしてやらんでもないが。見た目は合格。体も、まぁ、少々肉付きが足りんが問題のない範囲だ。よし、特別に愛人になることを許してやる」
よし、殴ろう。
「マナート殿下、他国で節操のない真似は止めてくれるか」
‥…ノワール、と、マクベス。
視線がマクベスと合った。すると、彼は気まずそうに視線を私から逸らした。
「‥‥っ」
視線を感じたのでノワールの方を見ると絶対零度の冷気を纏ったノワールの綺麗な笑みが私に向けられていた。
何だか物凄く怒っているみたい。
「ノワール陛下。ふんっ。俺様の物をどう扱おうが俺様の勝手だろ」
「‥…俺様のもの?」
マナート殿下、ある意味強者ね。
私とマクベスなんて顔を青ざめさせてぶるぶる震えているのに物ともせずにノワールに歯向かうんだから。とてもじゃないが真似できないわ。
「そう、だな。確かにそこの侍女はマルクア神聖国の侍女服を着ているな。けれど関係ない。ここはエルヘイム帝国。貴殿はもう少し他国に外交をしに来ているという自覚を持った方が良い」
「何だとっ!俺様の自覚が足りないと言いたいのか?」
「だからそう言っているだろ」
ノワールの言い分に納得できないマナート殿下は彼に人差し指を向けた。
彼は王子、ノワールは皇帝。どう考えたってノワールの方が身分が高いのに。そんなことは物心ついた子供にも分かることだ。
そんな相手を指さすなんて、あり得ない。
「そんなこと言っても良いのか?帝国が泣きついて来ても天族の治癒術師を貸してやらんぞ」
そう言って勝ち誇った笑みを向けるマナート殿下。
いつもその手で他国の言い分をねじ伏せて来たのだろう。だが、当然だけど帝国には‥…ノワールにはそんな脅しは通じない。
「王子であるお前にその決定権はない」
ノワールは彼の言葉を一刀両断した。まぁ、そうなるよね。
まさかの返しにマナート殿下は驚いていたがすぐに気を取り直して言う。
「お、俺様は次期国王だぞ」
「そうか。マルクア神聖国も大変だな」
思わず噴き出しそうになってけど何とか堪えた。
マナート殿下の意識は今、完全にノワールに向いている。私はその隙にマナート殿下から離れて、自室に戻った。




