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その日の夜、誰もが寝静まった時間帯にハクが私の部屋に転移してきた。
私がお願いしていたマルクア神聖国の情報を持って。
「お嬢が推測した通り、聖女フィリミナに関しては論争が二手に分かれています。マナート殿下が彼女を擁護し始めたあたりから貴族の中で反発が出現し始めています」
「でしょうね」
貴族には義務が生じる。それは時に己の身、己の命さえも犠牲にしなければならないものだ。
当然だが平民である彼女にその義務は存在しない。
聖女という肩書はあるけどそれで生活が制限されることはないし、元から予言も神の気まぐれでいつ起こるものか分からないものでこちらのコントロール下に置かれないのなら強制されることもないだろう。
それに彼女の後ろ盾はマナート殿下。王族に歯向かう馬鹿はいない。もちろん、二大勢力である教会にも。
「貴族のような贅沢な暮らしが許され、特権階級として扱われ、でも何の制約も義務も生じない。そんな存在を貴族が容認できるはずがない。良くも悪くも貴族はプライドが高いもの」
「仰る通りです。特に公爵令嬢との婚約破棄はかなり痛かったでしょうね。行った本人は全く気づいていないようですが」
エレイン・ペイジー元公爵令嬢。マナート殿下の元婚約者
「エレイン嬢はパーティーという公の場で断罪を受けています」
「パーティーで?」
婚約破棄されて公爵家が潰されたことは知っていたけど具体的に何が行われたかは知らなかったので驚いた。
幾ら王族と言えども公爵家をパーティーのような衆目のある中で断罪するなど正気の沙汰ではない。
「はい。聖女フィリミナの虐めに加担した、彼女の悪口を言ったとか」
「馬鹿らしい」
思わず漏らしてしまった言葉にハクは「全くです」と神妙な顔で頷く。
「しかし、事実です」
「エレイン嬢は実際に行っていたの?証拠は?」
「苦言を呈することは何度もあったそうです。それをいびりだという主張がマナート殿下側から」
「婚約者に馴れ馴れしい平民の女が現れたら苦言を呈するのは当然よ。私たちの婚約は遊びじゃないんだもの。それに嫉妬ぐらいはするかもね」
私がそう言うと急にハクは面白いおもちゃを見つけた子供のような顔をした。
「お嬢もですか?」
「は?」
「お嬢もノワール殿下にそんな女が現れたら嫉妬しますか?」
「‥‥…なっ!私のことはどうでもいいでしょう!」
「そうですね。嫉妬するんですね。愛しているんですね。何だか少し寂しいです。お嬢の成長は喜ばしいことなんですが」
にっこりと笑うハクに私は近くにあったクッションを投げつけた。当然だけどハクは余裕でクッションをキャッチした。
わざとでもいいから避けずに当たってくれればいいのに。
「話を戻しますが、証拠に関してはありません。悪口も虐めも他の令嬢がしていたという証拠はいくつか出てきましたがエレイン嬢が行ったというものは一切ありませんでした」
「それなら断罪は不可能でしょう」
「常識的に考えれば。しかし、お嬢もカルヴァン元陛下やユミルとかいう平民女のおかげで学んだはずです。馬鹿に常識は通じません」
「ああ」
あの頃を思い出し私の目が死んだ魚のようになったのは許してほしい。
「全てはエレイン嬢の先導によるもの。主犯はエレイン嬢。他の者はエレイン嬢の命令を遂行しただけというマナート殿下側の主張により婚約破棄がなされました。もちろん、そんな言い分に反発した貴族もいましたが、謎の死を遂げる者が相次ぎました。それにエレイン嬢を排して、聖女フィリミナを王妃にしたい教会側の働きも大きかったのでしょう」
表立ってエレイン嬢を庇った貴族の謎の死。おそらく教会が関わっているのだろう。
「マルクア神聖国にはもう一人王子がいたわよね」
「はい。アルセン第一王子ですね」
第一王子だけど体が病弱で、その為第二王子であるマナート殿下が立太子した。
「とても聡明な方です。彼の働きによりマルクア神聖国は現在も国として機能していられるのです」
ハクの言葉に私は頷く。
「とても聡明な方だと昔、スーリヤお姉様が言っていたわ。だからこそ病弱で王になれないのが惜しいとも」
あの姉がそこまで褒めるなんて珍しいと思っていた。一度会ってみたいものだ。




