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日露戦争後の源太郎



日露戦争を勝利に導いた源太郎は戦後の日本を軍人ではなく政治家の目で改革しようとしていた。


1 陸軍の指揮系統の改革


ここで最初に説明しておかなければいけないのは陸軍の作戦指揮系統である。


ご存知のように陸軍には「陸軍省」というものがあってその一番上に陸軍大臣がいる。

これが一つのルートである


そしてもう一つの組織として「参謀本部」という組織がありその上には参謀長と言うトップが君臨する。


すなわち同じ陸軍というものの中に2つの配線があるのである。


2つの違いは何かと言うと「陸軍省」は予算の獲得などの行政面を担当し、「参謀本部」という組織は戦時の作戦を担当して、しかも天皇と直結しているということである。


すなわち大元帥である天皇の統帥権がこれにあたる。


「天皇に直接物が言える」という超越した組織のパワーによって陸軍省自体はいざ戦争が始まってしまったら何も物が言えなくなってしまうと言う不合理さがここにあった。


これは海軍も同じで海軍大臣をいただく海軍省があり一方では「軍令部」と言う天皇と直結した組織があった。


山県有朋などは逆にこの天皇と直結しているシステムを利用して陸軍省の動きを制圧しては自分の居場所 を押し広げていったのである。


源太郎は一つの組織に二つの配線があるということに対して以前から疑問を持っていた。


すなわち天皇に直結する参謀本部と言う機関そのものの必要性を疑問視しなるべくその力を陸軍省に纏めて縮小しようとしていたのである。


これは言ってみれば自分が参謀次長として属する組織を無力化してしまおうという構想に等しい。


ある意味幕末の勝海舟の立ち位置と似ている。


彼は旗本として自分が属している江戸幕府を明治維新のためには不必要と思って倒幕グループと接近して切り捨て工作を行ったのである。


当然旗本でありながら幕府をないがしろにする勝海舟が他の幕臣から睨まれたのと同じように源太郎も参謀本部の他の連中からはかなり危ない存在として目に映ったことであろう。


2 満州鉄道株式会社による満州経営


現太郎は「四年半の台湾総督」と言う占領地を問題なく統治した経験を持っている。


戦後獲得した満州の経営においても軍事でこれを収めるのではなく満州鉄道と言う民間経営の会社を基盤にしてこの沿線を開発し日本からの入植者を誘致して満州そのものを豊かな地域にしようと画策していた。


これを例えるとイギリスのインドにおける「東インド会社」と同じような構想を持っており土着の人達との不毛な争いが起こらないように極力軍人による経営に反対したのであった。


剣ではなくソロバンでの統治である。


いずれにせよ以上の2つの考え方は軍そのもの機能を縮小させるということにおいて共通している。


この辺りが源太郎が自分の地位を捨ててでも国家100年の計を優先して考えて構想を出そうとしてるあたりが面白い。


地位や名誉に固執していた他の軍人たちよりはるかに超越した存在であったことがわかる。


当時わずかにこの考え方を理解していたのは伊藤博文だけであった。


事実彼は日露戦後に「児玉源太郎内閣」の組閣をイメージしておりその動きに走ったと言われている。


つまり源太郎が好むと好まざるにかかわらず彼の日露戦争での武勲と卓越した考え方によって日本国政府の頂点である内閣総理大臣の椅子が見えてきたのである。



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