9.真治と菜穂
入学してから二週間が経った。桜の花びらは散り、学校全体の雰囲気も落ち着き始め、「授業めんどくせぇ」の声もちらほら聞こえる。
「あー。つれぇ」
真治は校舎裏のベンチに座り、空を見て、嘆いた。お昼の時間である。真治は一人だった。
真治は入学してから、積極的に話しかけ、何人か話し相手はできた。一緒にご飯を食べる相手もいる。しかし彼らとは親密になれる気がしなかった。ジェネレーションギャップと言うやつか。若者の流行りに対する知識がないわけではないが、根本的な感性やノリの部分でついていけない。だから彼らの話に合わせようとすると疲れてしまい、たまに一人でご飯を食べたくなる。
「やっていけるのかなぁ」
真治は自分が憧れた高校生活を思い描く。色んな友だちとカラオケやゲーセンに行って、夏になったら一緒に海や花火なんかに行ったりする。彼女もできて、甘酸っぱいイチャイチャを体験する。それが理想だ。しかし、できる気がしない。このままでは、転生前と同じ高校生活が待っている。
「まぁ、それが俺という人間なのかもな」
45年の月日で学んだのは、人には向き不向きがあるということだ。できないことに一生懸命になるくらいなら、できる範囲内で一生懸命になった方が有意義である。
「おっと、いかんいかん」
真治は頭の思い浮かんだ諦観を振り払う。今の自分は若者であるため、守りに入るにはまだ早い。学校生活は始まったばかりだ。ここから頑張ればいいのだ。
しかし気楽に話せる相手が全くいないわけではない。菜穂だ。菜穂とはこの二週間、仲良くやっている。杉本の娘であることは皮肉な話だが。
「こんな所で何してんの?」
目を向けると、菜穂が立っていた。ご本人の登場に、真治は苦笑する。菜穂の手には弁当の包みがあった。
「色々、考えてた」
「ふぅん」
菜穂は真治の前に来て、「私も座るから、もうちょっとそっちに行って」と言った。
「ここで食べるの?」
「駄目?」
「いや、駄目じゃないけど。友だちと食べないのかな、と思って」
「だから食べるんじゃん」
菜穂はにぃと笑う。一瞬、何を言っているのか理解できなかったが、理解して、真治はこそばゆさを感じ、やや照れた表情で左にずれた。
「まぁ、すぎぃのことは友だちだと思ってないけどね」
「おい」
「冗談だよ。そんなに怒らないで」
「べつに、怒ってないよ。ただ、呆れているだけさ」
菜穂の話を真面目に聞いていたら、疲れてしまうことはすでに理解している。
菜穂は真治の隣に座り、包みを開いた。真治もご飯を食べようと思い、隣に置いていた包みを手にとり、弁当を取り出した。食べようとして、菜穂の視線に気づく。
「何?」
「すぎぃ、って自分で弁当を作ってるんだっけ?」
「ああ」
「なら、それはすぎぃのお手製弁当ってことね?」
「そうだな」
「ふぅん」
菜穂は口にしないが、顔に書いてある。その弁当に興味がある、と。
「食べるか? 食いしん坊の顔になってるぜ」
「はぁ? そんな顔してないし。でも、仕方ないなぁ。そこまで言うなら、食べてあげる。そうだ。私の弁当と交換しようよ」
「えー。でも、菜穂さんの弁当小さいじゃん。思春期ボーイの腹を満たすには、いささか足りないぜ」
「わがままボーイめ。なら、カロメイもつけてあげる」
はい、と菜穂は弁当を差しだした。彼女の中で、弁当交換は決定事項のようだ。菜穂の弁当に興味があったので、真治も弁当を差しだした。
「わーい」菜穂は弁当を受け取り、早速蓋を開く。「酷評してやる!」
「お手柔らかに頼むよ」
真治の弁当は野菜炒めに玉子焼き、冷凍のコロッケと白米というシンプルなものだ。いただきます、と菜穂は玉子焼きを頬張る。
「どう?」
「うーん。普通」
「だよね」
真治は自分の料理の腕が平凡であることを自覚している。だから、普通という評価も妥当と考える。
「でもこのしょっぱい感じ。私は好きかな」
「それは良かった。それじゃあ、俺もいただきますかな」
菜穂から受け取った弁当を開ける。地味と言うのが、その弁当に対する第一印象だった。煮物や漬物が多く、ご飯は雑穀米だった。
「驚いた?でも、食べたらもっと驚くと思うよ」
「そうなのか? いただきます」
真治は大根の漬物を箸で取り、口に運んだ。ぽりぽり。歯ごたえはある。しかし、味がほとんどない。漬物を食べると言うよりも、しなびた大根を生で食っていると言う方が感覚的に近い。
「味、全然ないでしょう?」
「ああ。ないな」
「その弁当のおかずの味は全部、超薄いから、そのつもりで食べてね」
「マジで」煮物を食べる。確かに味がない。「これは誰が作ったんだ?」
「パパ」
「えっ、菜穂さんのお父さん?」
「そうだよ。意外だった?」
「うん。ご飯を作るときは、いっつもこんな感じなのか?」
「そうだよ」
真治は弁当に目を落とす。あの、ジャンクフードがソウルフードみたいな男が、こんなウサギの餌みたいな弁当を作っていることに驚きを隠せない。
「パパは基本的に精進料理しか作らないの。殺生は不幸になるとか何とか」
「え? マジで? そんなことを言ってるの?」
カエルの口に塩をねじ込み、ケツに爆竹をぶち込んで、ナメクジに投げつけて爆笑していたあの男が、不殺生を説くなんて信じられない。『変わった』というレベルではなく、『変わりすぎ』というレベルだ。一体、あの男に何があったのか……。
「気になる? パパのこと、気になる?」
「いや、別に」
「ふぅん。まぁ、気になっていると言っても、教えないんだけどな」
「そうですか」
菜穂にはあまり期待しない方がいいかもしれない。杉本のことを知るためには自分で調べる必要があるようだ。しかし、どうやって調べる? そんなことを考えながら、真治は雑穀米を噛みしめる。
「ねぇ」
「何?」
「このお昼のランチに花を添えるような面白い話をして」
「ない」
「いやいや何かあるでしょ。すぎぃの面白い話が聞きたいなぁ」
「ないもんはないもん。と言うか、すぎぃって俺のこと? 昨日までスギちゃんとか言ってなかった?」
「うん。言ってた。でも、すぎぃが全然反応してくれないから変えた」
「さいですか。すまんな、反応が薄くて。そもそも、すぎぃとかスギちゃんって、菜穂さんもすぎぃだし、スギちゃんだろ?」
「そうだね。呼びたいなら、呼んでもいいよ?」
「いや、別にいい」
「えー、何でさー。呼びなよ。あ、今、面倒くさ、って思ったな?」
顔に出ていたか。真治は知らぬふりをして、大根を咀嚼した。
それから菜穂とのダラダラした会話が、食事が終わっても続き、昼休みの終わりが近づいて、ようやく真治は立ち上がった。
「そろそろ教室に戻るか」
「そうだね。これ以上、すぎもっちゃんと話していても、不毛だもんね」
真治は菜穂を一瞥し、何も言わずに歩き出した。
「無視かよぉ」
菜穂は不満顔で隣に並ぶ。
「そう言えばさ。すぎもっちゃんは、今日の放課後、暇?」
「いや、用がある」
「用って?」
「バイト」
「え? バイトやってんの?」
「まぁな」
「ふーん。んじゃ、ついて行くわ」
「楽しい所じゃないぞ?」
「別にいいよ。暇つぶしだから」
真治は立ち止まる。菜穂が「どうしたの?」と振り返る。
「あのさ。あ、いや、やっぱりいいや」
「なに。気になるんだけど?」
「べつに、何でもないよ」
「言わないと、気になりすぎて、シャーペンを耳元でずっとカチカチしちゃうかも」
「そいつは勘弁してほしいな。んじゃ、まぁ、話すけど、怒らないできいてくれよ?」
「わかった」
「何でさ、菜穂さんは、そんなに俺にかまうの?」
「何で? 難しいな」菜穂は数十秒思案した後、「一緒にいて、楽だからかな。お茶的な?」と言った。
「どういうこと?」
「そうだなぁ……」と考える仕草を示したが、にやっと小悪魔な笑みを浮かべる。「それは、教えてあげない」
「ああ、そうですか」
何となく、笑顔になった瞬間に、その答えは想像できた。
「ただ、まぁ、一つ確かなことは、これからも私はすぎもっちゃんをいじり続けるということかな」
「なるほど」
「ほら、行こう。早く戻らないと先生がうるさいよ」
「そうだな」
この学校に入学して二週間。真治にはまだまだわからないことも多いが、わかったこともある。これからも菜穂にいじられ続けるということだ。