8.元いじめっ子の娘
教室には、すでに多くの生徒の姿があって、ガヤガヤしていた。
真治は自分の席に着いて一息ついた。色々と面倒な目に遭ったが、気持ちを切り替え、学校生活をともに楽しめる友だちを探そうと思った。
真治は辺りを見回す。真治と同じように一人で心細そうにしている生徒が何人かいる。心が浮ついている今なら、打ち解けるのも容易だろうと考え、左斜め前方の男子生徒に話しかけようとした。
が、それを遮るように女生徒が立った。顔を上げ、真治は固まる。杉本の娘が立っていた。
「父の話、聞かせてもらいましょうか」
どうする? 真治は考える。まさか同じクラスだったとは。予想外の出来事に動揺する。取りあえず時間を稼ごうと思った。時間を稼いで解決策を考える。
「あー。その、先生が来るかもしれないんで、席に座った方がいいんじゃないですかね?」
杉本の娘は真治の前から去った。真治はホッとした。が、それも束の間のことである。椅子を引く音が真後ろから聞こえ、振り返る。後ろの席に杉本の娘が座った。
「え?」
「ここが私の席だけど」
「え? あ、そうか」
真治は自分の今の姓が『杉下』であることを思い出す。『杉本』が後ろでもおかしくない。
「私が後ろだとそんなに嫌なわけ?」
ジト目で見つめられ、真治は観念する。これ以上の先延ばしは、無駄な抵抗にしかならない。真治は杉本の娘の方へ体を向けた。
「いや、そんなことはありませんよ、杉本……さん」
杉本。その言葉を口にするのに、抵抗感がある。
「あの、あなたの父親の話をする前に、あなたの名前を教えてもらってもいいですか? ちなみに私は、杉下真治です」
「私は杉本クリスティーナ」
「クリスティーナ……。ずいぶんとハイカラな名前ですね」
杉本の野郎、外国人と結婚していたのか。真治はクリスティーナの顔を眺める。杉本は顔だけは良かったから、彼女も整った顔立ちをしている。しかし、外国人としての特徴はあまりない。
しげしげと彼女の顔を眺めていると、クリスティーナはぷっと噴きだした。
「何?」
「面白いな、と思って」
「え? 何で?」
「だって、冗談なのに。本気にしているんだもん」
「冗談?」
「そう、冗談。私の名前はクリスティーナなんかじゃないわ。杉本菜穂。それが私の名前」
「だましたのか!?」
「べつに、そんなつもりはなかったんだけど。ふふっ、ウケる」
ぐぬぬ。さすが杉本の娘。しかし杉本ほど悪意があるわけではないようだし、笑う姿が愛らしいから許せてしまう。杉本なら、このネタで三日間はいじってくる。
「冗談ならもっとわかりやすい名前にしてくださいよ。『きてぃ』や『ありえる』みたいなキラキラネームとか」
「えー、でも、『ありえる』なら、ありえるじゃん」
「……」
「……」
「……は?」
こほん、と菜穂はわざとらしく咳をする。
「で? あんたは父とどういう関係なの?」
「いやいやいや。その前に、先ほどの発言に関する説明をお願いします」
「うるさいなー」菜穂の顔がかぁと赤くなる。「その話は拾わなくていいから! 早く、あんたの話しをしないよ!」
「いやー、でも、せっかく菜穂さんが頑張ったのに、ちゃんと広げることができなかったので」
「ああ、はいはい。わかった、わかった。私が悪かったですー。はい、この話はここで止め!」
赤面の菜穂をからかうのは面白い。しかしやりすぎは禁物か。真治は「残念です」と笑った。
「と言うか、あんたは何で、そんな畏まった喋り方をしているわけ?」
「まぁ、初対面ですし。礼儀として」
「ふーん。別に気にしなくていいのに。と言うか、気にしないで、普段通りに喋って。こっちまで堅苦しくなっちゃうわ。同い年でしょ?」
精神的には同い年ではないのだが、彼女が望むのであれば、そうした方が良いのだろう。
「そうで……。そうか。なら、普通に喋るわ」
「それでよし」
「で、菜穂さんは、俺がどうして父親を知っているのか、ききたいんだよな?」
「さん付けしてんじゃん」
「まぁ、それくらいは」
「ふーん。ま、いいか。そうだよ。あんたと父の関係が気になるの」
「昔の知り合いかな。知り合いと言っても、喋ったことはないんだが。何かの大人の集まりのときに、菜穂さんの父親がいて、それで、結構チャラチャラしていたから、幼心にも印象に残っていたんだ」
我ながらよくできた言い訳だと真治は思った。が、菜穂の疑いの目はより濃くなった。
「へー」
「何か気になることでも?」
「ずいぶんと記憶力がいいんだなと思って。だって、父がチャラチャラしていたのは、私が3歳までのときのことだよ? 私は3歳のときの記憶なんてあまりないから、少なくとも、ただ目立つだけの大人を覚えていることなんてないから。だから、あんたの話が本当かな? と思うわけ」
「……まぁ、昔から記憶力だけは良かったから」
「ふーん」
このままこの話しを続けるとぼろが出てしまうかもしれない。だから、今度はこっちのターンだ! と真治は口を開く。
「菜穂さんはどうして俺と菜穂さんのお父さんの関係が気になるの?」
「それは、まぁ、その……」
明るい雰囲気から一転。菜穂は口ごもる。その顔に迷いがあった。
余計なことを聞いてしまったか。
「すまん。言い辛いことだったか?」
真治が心配そうに声を掛けると、菜穂はふっと口元をゆるめた。
「本当だよ。全く、私の中で結構ナイーブな問題なんだから」
「と言う割には、ずいぶんと明るいな」
「無理してるだけかもよ?」
「え? そうなの?」
「さぁ、どうでしょうねぇ」
菜穂は不敵な笑みを浮かべる。菜穂の考えがわからない。先ほどの態度を見るに、『もしかしたら』がありえるだけに下手なことは言えない。
「やっぱり、あんた面白いわ。からかいがいがある」
「おい」
「ふふっ。まぁ、気になるなら教えてあげないこともないよ。でも、あんたのことよく知らないから、教えてあげない。だから聞きたかったら、私の信頼を得ることね。す・ぎ・し・た君」
そう言って菜穂は微笑んだ。