7.二度目のデビュー
杉下真治。
戸籍に記されたその名前を見て、真治は目を細める。他の名前で生きることもできたが、『シンジ』という名前にこだわった。そして、その願いを叶えてくれた孝四郎には感謝している。
また、孝四郎は家や高校入学の手続きも進めてくれた。ジョンは慈善団体に寄付した方が世の中のためになると言っていたが。孝四郎には本当に頭の下がる思いだ。足を向けて寝られない。
そのため、孝四郎からの仕事を依頼されたら、積極的に受けている。と言っても、しがない雑貨屋の店番しかしていないのだが。
そして、帰還してから一ヶ月が経ち、四月になった。新生活の始まりである。
住宅街にあるアパートの一室。そこが真治の新たな居場所だった。真治は【変身ベルト】を使い、制服にフォルムチェンジする。紺色のブレザーに灰色のスラックスといったスタイルだ。
真治は、鏡に映る自分の姿を見て、年甲斐もなくワクワクした。戸籍上は15歳だし、見た目も若いが、中身は45歳のおっさんである。高校入学もこれが二度目だ。
しかし楽しみなのだからしょうがない。楽しみなことに年齢など関係ないのだ。真治は心を弾ませ、鞄を片手に家を飛び出した。
温かい陽気の下、期待と不安が入りまじった顔の新入生たちと一緒になって、学校に向かう。二度目の体験であるはずなのに、とても新鮮なことのように思え、真治は顔のにやつきを堪えられなかった。変な奴と思われないために、手で口元を覆う。
桜並木が新入生たちを迎える。桜が舞う道を真治は歩いた。道の向こうに校門が見え、賑わっているのが、遠目にもわかった。
校門の近くまで来ると、保護者の数も増えてくる。今日は入学式であるため、子供のために駆けつけたのだろう。
保護者を見ていると、真治は何だか申し訳なく思う。保護者の多くは本来の自分と同じ年代の人たちだろう。頑張って、仕事と子育てを両立してきた彼らを傍目に、自分は今から二度目の高校生活を楽しもうとしている。そのことに対し、負い目がないわけではない。
しかし真治とて遊んでいたわけではない。異世界を救うために奔走していたのだ。そのため真治は、卑屈になることなく、肩で風を切った。自分もいつか社会的責任を果たすべき時がくるだろう。ただ、戸籍上はまだそのときではないから、そのときが来るまで、人生を楽しむつもりだ。転生前にできなかった分を取り戻すくらいに。
「同級生とかいないよなぁ……」
いる可能性はある。そして早速一人見つけ、真治は顔をしかめる。同級生ではなく、転生前に働いていた会社の女上司だった。他の保護者と談笑している。真治が転生する前、産休をとっていたが、そのときの子供が入学したのかもしれない。
「老けたなぁ」
本人には聞こえないように声を潜める。化粧をして、実年齢より若く見えるが、にじみ出る老いは隠しきれていない。
「これはいるかもしれんぞ」
もう一人見つけた。高校の時の同級生だ。名前は忘れたが、生徒会長を務めていた男。大企業に入社した噂は聞いていたが、その後のキャリアが順調であることは、彼の気品ある出で立ちから想像がつく。出世したなぁ、あいつも。と真治は素直に感心する。男のそばには制服を着た少女が立っていて、有能そうなオーラが出ている。蛙の子は蛙のようだ。
そしてもう一人、同級生を見つけた。その男を認めた瞬間、心臓が大きく跳ね、嫌な汗がじわりと背中に浮かぶ。
「やれやれ。まさか、あいつと再び会うことになるとはねぇ……」
杉本義則。この世界で最も会いたくないと言っても過言ではない男。嫌な過去が頭を巡り、胸が苦しい。魔王と対峙したときですら感じなかった恐怖を杉本からは感じる。
「落ち着け、俺……」
真治は大きく息を吐き、呼吸を整え、言い聞かせる。確かに杉本は恐ろしい男だ。しかし、これまでの人生を顧みれば、もっと恐ろしいことだってあった。ただ、昔の記憶に体が怯えているだけだ。冷静になれば、杉本なんて恐れるに足りない存在だ。だから、怖がるな、自分。
春の雪解けのように、こわばった体が楽になる。意識を変えることで、苦手意識を克服する。伊達に長く生きてない。
そもそもあいつは杉本なのか? 真治はそんな疑問が浮かんだ。と言うのも、見た目がかなり変わっているからだ。最後に見た杉本は、三十路だと言うのにチャラチャラしたチンピラみたいなやつだったが、今の杉本は、頭を丸め、頬がこけた、修練を積んだ僧侶めいたいでたちだった。『老い』だけでは説明できない変化だ。杉本レーダーがなければ気づかなかったくらい変貌している。
確かめたいが、声を掛けるのはちょっと気が引ける。
そのとき、杉本と話す少女の存在に気づいた。黒髪を肩で切りそろえた、黒ぶちメガネの少女。杉本と親しげに話す姿を見るに、二人は親子だ。杉本の娘とは思えない真面目そうな見た目だが。
少女は杉本に微笑み、軽く手を振ってその場を離れた。教室に向かうのだろう。チャンス! と真治は少女の背中を追いかけた。
その際、杉本とすれ違った。杉本を一瞥し、真治は眉をひそめる。やはり、男は杉本に見える。しかし雰囲気がかなり違う。何と言うか、前よりも不気味だ。そしてその手には分厚い本があった。小難しいタイトルの本。内容は気になるが、真治は少女を優先した。
教室に向かう途中の少女に真治は声を掛けた。
「あの、杉本さん?」
少女は振り返る。
「はい」
「杉本さんですか?」
「はい。そうですけど、何ですか?」
少女は怪訝な表情を浮かべる。
「すみません、突然。ちょっと、お聞きしたいことがあるんですけど、あなたのお父さんって、杉本義則さんですか?」
「はい。そうですけど。父が何か?」
やはりあの男は杉本か! 真治は玄関の方に目を向ける。
「あの、父に何か用ですか?」
少女は不審者を見る目で真治を見ていた。
「あ、いや。特に用とかはないんですけど。ずいぶんと変わったなぁ、と思いまして」
「変わった?」
少女の眉尻がピクリと動く。やばい、と真治は思った。余計なことを言ってしまったかもしれない。
「あなたは父のこと知っているんですか?」
少女はずいっと真治に詰め寄る。真治は一歩後ずさる。
「知っているというか、その、まぁ、昔、色々ありまして……」
「へぇ。詳しく教えてくれませんか」
そのとき、チャイムが鳴った。僥倖! とばかりに、真治は微笑む。
「すみません。教室に行かなきゃ」
真治は慌てて教室に向かった。何とか誤魔化せた、と思った。しかし問題を先延ばしにしただけであることを数分後に痛感する。