23 この世界で
リメイク版です。
斎場へと足を運ぶと、入口のそばに制服を着た菜穂の姿があった。菜穂は壁に寄りかかり、暗い顔で空を眺めていた。今日は時折青空が見える曇天だった。
真治は真面目な顔を作って、菜穂に歩み寄った。真治もまた、制服だった。菜穂のそばまで来て、菜穂が気づく。真治は微笑んだ。
「よっ」
「真治」菜穂の顔は暗いままだった。「どうしたの?」
「親父さんが亡くなったって聞いたから、それで」
「そう、なんだ。わざわざ、ありがとう」
「いいってことよ」
菜穂は目を伏せる。悲しみの中にあるようだ。真治は隣に立って、菜穂がやっていたように、空を見上げる。
「私ね」と菜穂が口を開く。真治は静かに聞いた。「パパのこと、正直、苦手だった。パパは変な宗教にはまっていて、それで嫌な思いもいっぱいした。だから、家に一緒にいるけど、父親って感じはあまりしなかった。でも最近は、父親らしいことをしてくれて、あの日も、私のためにケーキを買ってきてくれたりしたんだ。だから、パパもパパなりに変わろうとしていたんだって思った。だから、だから……」
菜穂は閉口する。その先の言葉が出てこないようだ。
真治は菜穂の寂しげな横顔を一瞥し、口を開いた。
「俺も驚いたよ。菜穂の父親が、橋から川に飛び込んだ人を助けるために、飛び込んだって聞いたときは。俺が知っている彼は、そんな人じゃなかったから」
「……それで死んだら、意味ないよね」
「……確かに」
「やっぱり、父親のこと、苦手かな」
菜穂は苦笑する。
沈黙。真治は斎場の前を走る車を眺めた。
「ねぇ、真治。真治が知っているパパってどんな人だったの?」
「……知りたいの?」
「うん。今頃になって、もっと、ちゃんとパパのこと、知っておけば良かったなって後悔している」
「そうか」
どこまで話せばいい。真治が悩んでいると、二人に近づく人影があった。真治はその人物を見て、眉をひそめた。見覚えのある人物だった。坊主で眼鏡をかけた男。風貌から察するに、杉本と同じ世代、つまり自分と同じ世代の人間である。だから、昔の知り合いの可能性が高いが、その人物が何者か思い出せなかった。
「あの、杉本義則君の娘さんかな?」
男は柔和な笑みを浮かべて言った。
「はい。そうですけど」
「僕は、義則君と中学校が一緒だった、高田正文と言います」
高田正文! そうだ、高田正文だ!
真治は懐かしく思う。中学時代は「まるこめ」と呼ばれ、どこか頼りない雰囲気があった彼だが、久しぶりに見た彼は、落ち着きのある大人の男になっていた。
でも、何でまるこめがここに?
真治は疑問に思う。正文は、中学時代、杉本にいじめられていた子供の一人だ。
「あなたも突然のことで辛かっただろう。僕も、突然友達を失うことになって辛かったよ」
「父とは親しかったんですか?」
「うん、まぁ」
「父は、どんな人だったんですか?」
「え? えっと……」
正文はまごつく。答えにくいよな、と真治は同情する。
「私、父が死んで後悔していることがあるんです。それは父のこと、よく知らなかったことです。だから、父のことを知っているのなら、教えてください」
菜穂はじっと正文の目を見すえた。渋る正文だったが、菜穂の熱意を感じたのか、「わかった」と頷く。
「でも、もしかしたら、知らなくて良かった、彼の一面を知ることになるかもしれないよ?」
「それでもかまいません」
「実はね。僕は、中学生のとき、彼にいじめられていたんだ。だから、僕にとっての彼は嫌な奴だったよ」
菜穂は複雑な表情になった。
「ああ、でも安心してくれ。今はちゃんと仲直りして、友達になったから」
「すみません。父が」
「いや、あなたが謝る必要はないよ。それに言ったろ? 彼とは友達になったって。一緒にご飯に行って、あなたのことについて色々と話したよ」
「私のこと?」
「うん。実を言うと、彼と友達になったのは最近のことなんだ。○×中学の卒業式で、たまたま彼と再会して、それで」
「○×中学? それって私の。あ、もしかして、高田さんって、元気君のお父さん?」
「うん。そうだよ。知ってるの?」
「はい。同じクラスになったことはないんですけど、良い子だって、皆が言っていましたから」
「そうなんだ。嬉しいけど、何だか、恥ずかしいな」
「あれ? でも、父は卒業式にはいませんでしたけど」
「いいや。実はいたんだ。外にね」
「外に?」
「うん。僕はその日、仕事で遅れて、慌てて学校へと向かったんだ。そしたら、校門のところに人が立っていて、注意深く観察したら、義則君のように見えて、声を掛けたら、義則君だったんだ」
「そう、だったんですか。父が、卒業式に……」
「うん。僕も誘ったんだけど、結局その日は、出席することなく、帰っちゃったんだよね。ただ、連絡先を交換したから、後日、機会を設けて彼と色々なことを話したんだ。そこで、義則君のこれまでのこととか、あなたとの関係について悩んでいることとかを聞いたよ。まぁ、部外者である僕が、言うべきことではないかもしれないけれど、義則君は君のことを大事にしたいと思っていた。でも、その方法がわからなくて悩んでいたんだ」
「父が、私のことを」
「うん。だから、彼が宗教に頼っていると聞いたときは、ついつい怒ってしまったよ。それは違うだろ、って。しかも、性質が悪いことで有名な新興宗教だったからね。でも、彼は本気だったんだ。本気で信じれば、あなたのことを幸せにできると思っていたんだ。だから、そのことだけは知っておいて欲しいな、と思って。もしかしたら、それであなたを嫌な思いをしたかもしれないけれど。彼は、本気で、あなたとあなたのお姉さんを幸せにできると信じていたんだ」
菜穂は唇を結び、天を仰いだ。言い表せぬ感情が胸中にあるようだ。
「そのことだけは伝えたいと思って、あなたに声をかけたんだ」
「ありがとうございます」菜穂は深く頭を下げた。「高田さんのおかげで、私は父の父親らしいところを知ることができました。でも、本音を言えば、もっと早く高田さんと仲直りして欲しかったと思います」
「僕もそう思うよ。もっと早く彼と再会すべきだった」
菜穂は顔を上げる。その顔は少しだけ晴れやかになっていた。
「それじゃあ、僕は行くよ。たまに、線香でも上げに行っていいかな?」
「はい。父もきっと、喜ぶと思います。ああ、そうだ。聞きたいことがあるんですけど、父に、誰かに手紙を書くように言いましたか?」
「手紙? あ、うん。過去にいじめていた人たちに謝罪した方がいいと言ったんだ。仏様に許しを請うよりも、ずっと有意義なことだと僕は話した。その様子だと、彼はちゃんと、手紙で謝罪したようだね」
「はい。ただ、一人だけ、ちゃんと送れなかったみたいです」
「誰?」
「進藤真二って人です」
「進藤真二? あっ、そうか。彼がいたか」
菜穂は手に持っていた鞄から一通の封筒を取り出した。
「送りたいと思うんですけど、住所とかって知っていますか?」
正文は眉根をよせ、申し訳なさそうに首を振った。
「知らない。というか、多分、彼に送ることはできない」
「どうしてですか?」
「彼もすでに亡くなっているんだ。15年前だったかな。母親との金銭トラブルが原因で、刺されてしまってね」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。彼もまた、親のことで苦労していたみたいだ。ただ、こんな場で言うのは、不謹慎かもしれないけれど、あの世で義則君は、ちゃんと彼に謝罪できたんじゃないかな」
「だと、いいですけど」
それから正文は挨拶して帰って行った。
正文を見送ると、菜穂は渋い顔で手紙を眺めた。
沈黙を保っていた真治が口を開く。
「菜穂はその手紙を読んだのか?」
「いや、読んでないけど」
「なら、読もうぜ」
「何で?」
「俺がその進藤真二だからだ」
「は?」菜穂は真治を睨みつける。「その冗談笑えないよ」
菜穂は鞄に手紙をしまう。
しかしそれは幻覚だった。
本物の手紙は真治が持っていた。真治は封筒から手紙を出して、読んだ。
手紙は、お手本のような、下手だけど心がこもっている字で綴られていた。
一通り読み終えて、真治は手紙を封筒に戻し、気づかれぬように、菜穂の鞄の中に手紙をしまった。
そして菜穂と同じように、壁に寄りかかっていたが、思い立ったように壁から離れた。
「菜穂の父親に、線香を上げたいんだけど」
「うん」
「やり方を教えて。色々やり方があるんでしょ?」
「……わかった」
「すまんな」
「いいよ、べつに」
菜穂が歩き出す。真治はその後に続いた。が、斎場に入る前に、振り返って空を見た。
相変わらずの曇天模様。しかし先ほどよりも青空が見えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
中々次の構想がまとまらないため、申し訳ありませんが、ここで完結とさせていただきます。
期待していた方の期待を裏切るような形になってしまい、誠に申し訳ありません。




