18 招かれざる客
リメイク版です。
翌朝。菜穂は憂鬱な気分で目覚めた。今日は何とかして休めないか、そんな風に考えてしまう。
コンコン、とドアをノックする音。
「菜穂、起きてるかー」
父親の声。
「今、起きた」
「そうか。遅いから心配した。ご飯、できてるぞ」
「あ、うん。行く」
菜穂は時間を確認する。いつもより遅い目覚めだ。
菜穂は気だるい体を引きずるように食卓へ向かう。父親はやや戸惑った顔で「おはよう」と言った。昨日のことがまだ尾を引いているようだ。
「おはよう」
それは菜穂も同じだった。父親に合わせる顔が無くて、素っ気なく答える。
いつも通りの朝食。菜穂は「いただきます」と食べ始める。
菜穂が黙々とご飯を食べていると、父親が言った。
「菜穂、何か食べたいものはないか?」
何か食べたいもの。今はそんなに無いかな。食べたいという気分でもないし。でも、父親に対する、ささやかな嫌がらせとして、「ケーキ」と言った。
「ケーキ? ケーキってお前……」
「いいでしょ、べつに。どうせ食べるのは私だけ何だから」
父親はもごもごと口ごもったが、菜穂は無視して食事を続けた。
「それと、今日は学校を休むから連絡して」
「え、何で?」
「お願い、パパ。電話して」
語気を強めて言った。父親は何か言いたそうにしていたが、娘の威圧に負けたのか、渋い顔で頷く。
「わかった。ただ、何か悩みが――」
「悩みがあるなら相談するし、体調が悪いときは、ちゃんと悪いというから」
菜穂は、睨みつけるような、懇願するような目つきで言った。これ以上、イライラさせないでと表情で語る。
「……うん」
父親は寂しそうに納得してくれた。
「ありがとう、パパ」
父親に対し、申し訳ないと思う気持ちがないわけではない。しかし、そっとしておいて欲しかった。
朝食を片づけ、菜穂は部屋に戻り、ベッドに寝転がった。とくに理由のない欠席はこれが初めてで、少しだけワルになった気分だ。
ニャースの面々に連絡した際、真治のアイコンを見つける。何か送った方が良いのだろうか? でも、何て送ればいい。
菜穂は逡巡し、結局何も送ることができないまま、スマホの画面を消した。眠れば何かアイデアが思い付くと思ったのに、何も思いつかない。
菜穂は不甲斐ない自分から目を背けるように、不貞寝した。
話し声で目を覚ます。父親が誰かと話している。誰だろう? 菜穂は首を傾げる。父親は宗教団体の人もあまり連れてこないから、珍しいことだった。
ドアがノックされる。
「菜穂、今、俺の昔の友達が来ている。どうだ? 挨拶しないか?」
昔の友達? 気になるが、菜穂は眠ったフリで父親の言葉を無視した。
扉がわずかに開く。父親が部屋の中を見る気配があった。菜穂は動かない。父親は諦めたのか、扉を閉めた。
「勝手に開けるなよ、馬鹿」
菜穂は愚痴を言って枕に顔を埋めた。
これからどうしよう?
そんな風に悩んでいるときだった。リビングの方から、怒声が聞こえた。菜穂は驚いて声を上げる。
「どうしたんだろう?」
内容は聞き取れないが、父親の友達が怒っていることはわかった。
菜穂はおそるおそる部屋を出て、足音を消しながら、リビングまで向かった。静かにリビングの扉を開ける。土下座する父親がいて、その父親に対し怒りを露わにする男がいた。
その男を見て、菜穂は目を見開く。その男に見覚えがあった。昨日、声を掛けてきた、あの男だ。
男が菜穂に気づき、目を上げた。目が合う。男は厭らしい笑みを浮かべた。
菜穂は慌ててその場から離れた。何か良くないことが起きる予感がした。部屋に入って、スマホや財布を手にする。着替えるべきかどうかで悩んだ。下はジャージに、上は好きなバンドのシャツ。パーカーを羽織ろうと思い、クローゼットに手を伸ばす。
そのとき、ドアをノックする音がした。
「菜穂、俺の友達に挨拶しないか?」
「嫌だ」
「そんなことを言わず、してくれよ」
ドアノブが回る。菜穂は急いでドアノブを掴み、扉を押した。
「なぁ、菜穂。どうして挨拶しないんだ?」
「いいでしょ、べつに」
父親の力が強い。友好的とは思えぬ力で扉を押す。菜穂は奥歯を噛んで抵抗するが、ついには耐えきれなくて、扉から離れた。
菜穂は父親を睨む。しかし扉の向こう側に立っていた父親を見て、息を呑む。明らかに様子が違った。顔に生気がなく、瞳の色も濁っていた。
「パパ、どうしたの?」
父親は焦点の合っていない目を向ける。
「菜穂、挨拶してくれよ」
菜穂は後ろで手を組んで、スマホをいじる。そばにあった鏡を利用し、いつでも電話できるようにする。でも、誰に電話すればいい? 警察か?
「なぁ、菜穂」
「杉本! お前の娘は電話しようとしているぞ! 取り押さえろ!」
入口にあの男が立っていた。
父親が駆け出す。菜穂は正面にスマホを持って、操作する。選んでいる暇はない。電話をかける相手は、真治だった。
父親に、ベッドの上に突き飛ばされる。菜穂はしっかりとスマホを掴んで離さなかった。
「そのスマホを取り上げろ!」
男の言葉に従い、父親は菜穂の左手を、右ひざで制し、左手で菜穂の右手首を掴み、右手を伸ばした。
「放してよ!」
菜穂は暴れ、父親を蹴り飛ばした。父親は尻餅をつく。
電話がつながる。
「もしもし!」
「真治! 助けてっ!」
父親が飛びかかってきた。父親は菜穂の両手を、自分の両手で掴む。どこにそんな力があるのか、菜穂は父親から逃れることができなかった。
男が菜穂のスマホを取り上げ、電話を切った。
スマホの電源を切って、床に捨てた。
「いいぞ、杉本。そのままだ」
男は、父親の背後から、菜穂を眺め、ニヤッと笑った。
「こんにちは、菜穂ちゃん。昨日ぶりだねぇ」
「誰? あんたは? パパに何をしたの!?」
「君のパパには協力してもらっているんだ」
「協力?」
「そうだよ。君を犯すための協力さ?」
「犯す?」
「君とセックスするってことさ」
「セック……!?」
菜穂のもがく力が強くなる。しかし父親は放さなかった。
「放してよ、パパ!」
「無駄無駄。君のパパは僕の言う通りにしか動けないんだ」
菜穂は救いを求めるように父親を見る。しかし父親は無表情で菜穂を見ていた。
「いやぁ、杉本の娘が可愛くて良かったよ。犯しがいがあるってもんさ」
男は菜穂の頬を撫でようとする。男が伸ばした手に、菜穂は噛みつこうとした。男は笑って手を引っ込める。
「おい、杉本。躾けがちゃんとなってねーぞ? 殴れ。殴って言うことを聞かせろ」
「パパ!」
父親は、菜穂を見すえたまま、動かなかった。
「おい、どうした杉本」男は眉をひそめる。「早く、殴れ」
しかし父親は殴らない。
「おい、杉本! 早く殴れって、言ってるだろ!」
男が耳元で怒鳴る。
父親は右手を振り上げた。菜穂は体を縮めて、目をつむる。しかしいつまでも痛みがない。おそるおそる目を開けると、父親は拳を振り上げたまま動かない。
「何をしている!? 早く殴れ!」
好機! 菜穂は腰を跳ね上げ父親のバランスを崩し、どかした。逃げようとしたが、男に足を引っかけられ、転ぶ。男は仰向けになった菜穂に馬乗りになって、菜穂の両手を制した。
「菜穂ちゃぁん。それじゃあ、僕とチューでもしましょうか?」
男の顔が近づいてくる。
「キモイ!」
菜穂は男の顔に向かって、唾を吐きかけた。
「あ、この!」
さらにその唾に動揺した隙を見逃さず、男の顔を殴って、上からどかすと、四つん這いになって逃げる。
「杉本! 押さえろ!」
が、父親にうつ伏せの状態で押し付けられる。
男は唾を拭って立ち上がった。
「このじゃじゃ馬がぁ。自分が何をしているのか、わかっているのか?」
菜穂は父親に押さえつけられながらも、顔だけ男に向け、睨んだ。
「誰が、お前となんてやるか! くせぇんだよ! 近づくな、ハゲ! 中年童貞! お前に抱かれるくらいなら、死んだ方がマシだ!」
「な、何だと!」
男の顔がカッと赤くなる。額に青筋が浮かんだ。
「ああ、いいだろう。わかった。お望み通り死なせてやるよ。杉本! そのまま娘を押さえてろ」
男は部屋から出て行った。そして、包丁を持って戻ってきて、菜穂の顔の真横に包丁を刺した。
「ひっ」
菜穂は短い悲鳴を上げる。包丁には、怯える自分の顔が映っていた。
「おい、ガキ。俺だって、べつに、てめぇみたいなガキを抱きたいとは思っていないんだよ。ただ、父親の前で抱いてやれば、最高の復讐になるんじゃないかと考えたんだ」
「ふ、復讐?」
「そうだ。復讐だ。だが、もういい。もっと面白い方法で、復讐することにした」男は菜穂の耳元で囁く。「実の娘を殺させるんだ」
「や、やめて!」
男は愉快そうに笑う。
「いいねぇ、その顔。最高にそそるよ。でも、やめない。これはもう決定事項だ。今から、お前の父親は娘を殺す。そしてお前は、父親に殺されるのだ」
男は父親に包丁を渡した。
「杉本。これでお前の娘を殺すんだ」
父親の耳元で囁く男の姿が悪魔に見えた。
「いや、やめてよ、パパ!」
父親は包丁を持って、振り上げた。やめる気配はない。今の父親は、自分の知る父親ではないことを理解している。菜穂は覚悟を決めて目をつむった。
重々しい音がした。痛みはない。意識はある。
「杉本!」
男の声。体が軽くなって、隣に父親が倒れる気配があった。菜穂はおそるおそる目を開ける。瞳の濁っ
た父親と目が合う。視線を移すと、腹部に包丁が刺さっていて、血が出ていた。
「い、いやぁあ! パパ!」
菜穂は起き上がって、父親を介抱しようとする。しかし、どうすればよいか、全くわからず、叫ぶことしかできなかった。
「駄目だよ、パパ! 何で、何で!」
「な、菜穂……」息を途絶えさせながら父親は言う。「こ、これで、い、いいんだ」
「何がいいんだよ!」
「おい馬鹿杉本! 違うだろ! 娘を刺せ!」
父親は腹から包丁を抜き、さらに深く包丁を刺した。
「いやぁ! もう、もうやめてよ!」
菜穂は泣きながら、父親の上体を抱えた。
「パパぁ! 嫌だ!」
「菜穂……」
父親が右手を伸ばす。血だらけの手だった。菜穂はその手を掴む。
父親は満足そうに笑う。そして、そのまま力が抜けた。
静寂。菜穂は状況を理解できず、半笑いになって、父親の体を揺する。
「う、嘘だよね、パパ」
自分の体が血だらけになっても、いとわない。
「嘘だって、言ってよ! どうして、どうして……」
菜穂は声を押し殺して泣いた。大嫌いな父親のはずだった。しかし、涙が止まらなかった。
「な、何で……」
その言葉で、菜穂は振り返る。
「何で、俺の力がちゃんと効かない?」
呆然とする男を、菜穂は睨んだ。
「あんたのせいで、パパが!」
「俺のせい?」男はハッとして、菜穂を睨みかえす。「違う。俺のせいじゃない。全部、杉本が悪いんだ。そうだ。全部、杉本が悪いんだ!」
男が歩み寄ってくる。その目は血走っていて、何をしでかすかわからない。菜穂は恐怖を抱き、逃げようとした。しかし腰が抜け、思うように逃げられず、クローゼットに背を預け、男を見た。
男は父親の腹から包丁を抜き、菜穂に包丁を向けた。
「殺してやる。お前も殺してやる。そうだ! そうすれば、父親ともすぐ会えるぞ!」
菜穂は絶望に染まった表情で首を振った。
しかし男は笑い、包丁を構え、菜穂に向かって走った。




