5.怪しげな雑貨屋
ベイ横は平日の昼間にも関わらず、人が多く活気があった。ここは相変わらずだな、とシンジは苦笑する。シンジは人混みを避け、人気の少ない通りを進んだ。目的の場所は横丁から外れた場所にある。
15年以上前の記憶だから、たどり着けるか不安だったが、無事に目的の店を見つけた。喧騒から切り離された静かな路地の一角にある『浦さん雑貨』。それがシンジの目的の場所だった。この店は怪しげな人間が出入りし、アウトローな商売をしていると聞いたことがある。どこでそんな話を聞いたかは覚えていないが、前に来たときには、店頭で東南アジア系の男がキャッチをしていたから印象に残っていた。ここなら、戸籍が手に入るかもしれない。
店の前に細身の人の良さそうな黒人の男が立っていた。男はシンジを認めると、笑みを浮かべ、「おう、ブラザー! よかったらコップでも買って行かないか?」と流暢な日本語で言った。
「えー。どうしようかなぁ。今月はお金がないんですよねぇ」
「まぁまぁ、そう言わず。滅多に買えない、品物があるよ」
男は有無を言わせず、シンジの手首を掴み、強引に店の中へと引きこんだ。振り払うことは容易だったが、シンジは渋い顔でついて行った。
店内は狭かった。縦に長い造りで、大人が二人並ぶと通路は塞がれる。奥に扉があって、その前にカウンターがある。左右の壁には棚が設置されていて、雑貨が陳列されていた。
「これなんて、おすすめだよ」
男が棚のコップを指さしたが、シンジは首を横に振った。欲しいのはコップなんかじゃない。
「うーん。なら、これなんてどうだ」
それから男は、次々とおすすめの商品を紹介する。しかしシンジが買う気配を見せないから、徐々に苛立ちが顔に表れる。
冷やかすのはあまり良くないな。シンジはさっさと本題を切り出すことにした。
「あの、欲しいものがあるんですけど」
「お、何だい?」
「戸籍です」
「は?」
温和な笑みが消え、男の表情は冷ややかなものに変わる。
「戸籍が欲しいんですけど」
「そんなもの。ここには売ってないよ。冷やかしなら帰ってくれ」
「なら、どこで売っていますか?」
「そんなの俺が知るわけないだろう。何だ? もしかして俺が違法滞在者にでも見るのか? ここにレイシストがいるって警察に電話するぞ」
「でも、あなたのこれ、偽造したカードですよね?」シンジは在留カードを掲げ、意地の悪い笑みを浮かべ、「ダニエルさん?」と言った。
男はポケットをまさぐる。カードが無くなっていた。男の顔に動揺が走る。カードを掏られたことも驚きだが、目の前の少年が自分の名前を知っている風であることも驚いた。一体、どうやって自分の名前を知ったのだろうか。
シンジはその答えを示すように首元を指さした。男はハッとして、シャツの中を覗いた。ネックレスに自分の名前が刻まれている。しかしいつの間に見たんだ? 男は警戒の色を濃くして、シンジを睨んだ。
「仲良くしましょうよ、ダニエルさん。俺は別に、対立したいわけじゃない。ただ、戸籍が欲しいだけだ」
「これは面白いお客さんがいらっしゃったようだ」
店の奥、扉の向こうから声がした。扉が開き、中から男が現れた。和服を着た、髪の長い、年齢不詳の男だ。男はじっとシンジを見すえ、微笑する。
「浦さん! こいつ、さっさと追い出しましょうよ! 気味が悪いよ!」
「まぁ、落ち着いて、ジョン。たまの来訪者だ。大切にしようじゃありませんか。さて、少年」と男がシンジに視線を戻す。「ジョンにそのカードを返してくれませんか? 話しはそれからです。おっと、ジョンと言うのは彼のことです。少なくともこの場所では、彼は『ジョン・スミス』なんです。そのカードにもそう書いてあるでしょう?」
シンジはカードとジョンを交互に見やり、ジョンにカードを差しだした。ジョンはカードを素早く取り、シンジを睨みつけたまま、ポケットへしまった。
「返しましたよ」
「そうですね。じゃあ、話しをしましょうか。ああ、そうだ。その前に自己紹介をしましょう。私の名前は浦孝四郎。皆からは浦さんと呼ばれています。君の名前は?」
「……シンジ」
「シンジ君か。で、シンジ君は戸籍が欲しいとのことでしたね?」
「そうです。ここで戸籍は手に入るのですか?」
「その問いに対する私の答えは『イエス』です。君はここで戸籍を手にすることができる。ただし条件がある」
「条件?」
「おっと、そんなに警戒しないでくれ、条件と言っても、当たり前のことです。戸籍を手に入れるためには、金が必要なんです」
「金」
「そう、金。多分、20万くらいになるけど、君は用意できますか?」
「……できません」
「なら、戸籍を用意することはできませんね」
「だったら何か仕事を紹介してください。ここなら、20万なんてすぐに貯まるような仕事があるんでしょ?」
「ここをどこだと思っているんですか?」孝四郎は苦笑する。「ここはしがない雑貨屋です。……ただ、まぁ、無いわけではないんですが」
「本当ですか?」
「本当です。でも、大変な仕事になるかもしれませんよ?」
「やります。体力とかには自信があるんで」
「なら、簡単な仕事ですよ。きっと」
孝四郎は不敵な笑みを浮かべた。