16 気になるあいつ
リメイク版ですが、ほとんど内容に違いはありません。
父親のことを知るため。それが彼と話す目的のはずだった。しかし気づいたら、彼と話すことが楽しみになっていた。父親のことを忘れ、彼との話に夢中になる自分がいた。
彼の名前は杉下真治。出席番号は自分の一個前。背は少し高くて、精悍な顔つき。名前は忘れたけれど、サッカー日本代表に似た人がいた気がする。
杉下は他の男子と違って余裕があった。常にマイペースで、騒がしい教室でも一人で飄々と本を読み、クラスの話し合いでも積極的に発言することはない。休み時間に教室にいないときもある。だからと言って、コミュニケーション能力が無いかと言うと、そうでもない。人並みの会話ができる。さらに、議論が行き詰まると発言し、それが議論を進めるきっかけになったりする。おじいちゃん先生みたいな奴だった。
そんな杉下だが、冗談を言ったり、からかったりすると、戸惑うときがある。あのクールな杉下の表情が崩れるのだ。そのときの杉下は可愛かったりする。でも、自分をからかう杉下は可愛くない。杉下は自分にまごまごしていればいいのだ。
――それが菜穂の真治に対する評価だった。
菜穂にとって、真治は仲の良い男友達という認識だった。実際、毎日真治と話していた。でもそこに、恋愛感情は無かった。
少なくとも、弥恵に言われるまでは、男として意識することは無かった。
ある日、見たいものがあると言うので、弥恵と一緒に、放課後、アニメショップへ行った時のことだ。弥恵は戦国時代がモチーフのアニメのグッズを眺め、菜穂も隣でグッズを見ていた。菜穂はこのアニメについてよく知らなかった。
不意に弥恵が言った。
「そう言えば菜穂、少年との間に進展はあったのかい?」
「少年?」
「ほら、少年だよ。菜穂がよく話している」
「杉下のこと?」
「なんだ、わかってるじゃないか」
弥恵はニヤッと笑う。
「別に、杉下とは、そういう仲じゃないよ」
「ふぅん。それにしては、ずいぶんと仲が良さそうに見える」
「……まぁ、確かに、よく喋るけど。でも」
「なら、質問を変えよう。もしも、少年から告白されたら、どうする?」
「杉下から? そしたら、断るかな」
「本当に? お試しでもいいから付き合ってみないと言われても?」
「……って言うか、何でやえっちは、そんなに私と杉下君をくっつけたがるのさ」
「お似合いだと思うから。あとは、この間の女子会での話を聞いて、三次元の恋愛に興味があるからかな。菜穂も見ただろ? 恋に恋するあの感じ」
入学式の三日後にクラスの女子で集まって女子会をした。そのとき、弥恵と同じテーブルだった菜穂は、同じテーブルに座った女子たちの恋バナに圧倒されたのだった。
「まぁ、見たけどさ。自分ですればいいじゃんかよー」
「それが叶わぬのだ。我には幸村様がいるから」
と言って、弥恵は幸村というキャラの人形を抱きしめた。
「いやいや、それはアニメのキャラじゃん」
「アニメのキャラであろうと、我は本気なのだ。だから、我の恋が実ることなどないのだ」
「そんな悲しいこと言わないでさ」
「なら、少年に我が告白しようかな」
「ふ、ふぅん。してみれば?」
弥恵はにやついた顔で菜穂を眺めた。
「何さ」
「菜穂ってさ、動揺すると手を後ろで組む癖があるよね」
菜穂は後ろで組んでいた手を慌てて放した。
「まぁ、冗談なんだけど」
「……やえっち、そろそろ怒るよ?」
「ははっ、すまんすまん。それじゃあ、我はこの人形を買ってくるよ」
弥恵はそそくさとレジへ向かった。
「もう、やえっちったら……」
菜穂は呆れ顔で弥恵を見送った。性質の悪いいじりだ。私が杉下と付き合うとか、そんなの、そんなの……。
菜穂は想像してみた。自分と真治が一緒にデートしているところを。仲良くお喋りをする二人。いやいや言いながらも、何だかんだ自分について来てくれる真治。あれ? 思ったより楽しそう。
「って、違う!」
私が杉下と付き合うとか、ありえな……くはないな。
菜穂はハッとし、顔の火照りを払うように頭を振った。
その夜、菜穂は中々寝付けなかった。目を閉じると、真治と二人で一緒にいるところを想像してしまう。ショッピングに行ったり、水族館に行ったり。帰り際に弥恵が見つけた美術館なんかも真治となら楽しめるかもしれない。
そうやって想像してにやつく自分に気づき、「うー」と唸る。弥恵が余計なことを言わなければ、こんなにも真治のことを意識することはなかったのに。
これが恋をするということなのかな?
菜穂はヘッドフォンをして、流行りの恋愛ソングを聞いてみる。一曲だけではない。何曲も。共感できることもあれば、共感できないこともある。でも、何となく、共感できることの方が多い気がする。
これが恋? 誰かに相談しようかな? でも誰に相談しよう……。
父親は言わずもがな。姉はどうだろう。高校時代は家を出るために勉強しかしていなかったイメージで、今も良い男がいないと愚痴るのを聞く。ニャースのメンツは冷やかされるだけだし、かと言って、クラスの他の女子は、言うことが想像できる。
「もう、何で私がこんなにも悩まなくちゃいけないのさ」
そもそも杉下が悪いという結論に至り、もやもやをぶつけるため、真治にメッセージを送った。
なほ : すぎもっちゃんのせいで眠れないんだけどー
しかし真治からの反応はなかった。時間的にはそろそろ24時である。眠ったのだろうか。でも自分に反応しないなんて、杉下のくせに生意気だーと菜穂は頬を膨らませる。
すると、返信があった。
シンジ : 何で、俺のせい?
菜穂は途端に笑顔になって、返信する。
なほ : すぐに返信しないから
シンジ : ん? 時系列おかしくね? さっきのメッセージが来る前のやりとりはきれいに完結しているように見えるんだが
なほ : 細かいことをぐちぐちとうるさいなー
シンジ : あーはいはい。さーせん。で、何?
なほ : 今何しているの?
シンジ : アニメを見てる
なほ : アニオタなの?
シンジ : そういうわけではないが、畑山君におススメされてね。付き合いってやつさ
なほ : 何それ。おっさんみたいこと言って
シンジ : ……おっさんだしな(笑)
菜穂は穏やかな表情でスマホを眺めた。そこに先ほどまでの悩みは無い。菜穂は真治とのやり取りを通し、思った。明日の放課後、べつに明日じゃなくてもいいけど、杉下と二人で出かけようって。そして、そこで自分の気持ちを確かめようとも思った。
真治と一緒にアイスを食べに行った日のことである。
帰宅途中の菜穂の頭は父親に対する不満でいっぱいだった。真治と楽しい時間を過ごしていたのに、父親が邪魔したせいで白けてしまった。真治は「まぁ、そういうときもあるわな」と気にしていない様子だったが、菜穂の腹の虫は収まらない。
そもそもいきなり電話を掛けてきて、第一声が「何か悪い事をしたのか?」は、親としてどうかしている。と菜穂は思う。昨日、美術館でのことを話さなかった自分も悪いかもしれないが、それにしたって、「大丈夫だったのか」とか「何で、昨日のうちに言わなかったんだ」とか、色々あるだろう。それなのに、まるで自分が悪い事をしたみたいな前提で話を進めるとか、本当にもう、どうしようもない父親である。入学式で喜んだ自分はやはり馬鹿だった、と唇を噛む。
電車の窓に映る自分を見て、菜穂は誓った。もしも家に帰ったとき、父親が同じような対応を取ったら、今までの怒りも含めて全てぶつけてやる、と。
しかし、いざ、玄関の扉の前に来ると、躊躇ってしまった。父親に怒ってもいいのだろうか。昔の苦い記憶が蘇る。いや、今言わないで、いつ言うのだ。と気持ちを奮い立たせる。自分はもう昔の自分ではないのだ。
「よし、頑張れ、私」
菜穂が扉を開けると、玄関に、おどおどした様子の父親が立っていた。
「お、おかえり」
「あ、うん。ただいま」
なぜ、玄関にいるんだ? 菜穂は出鼻をくじれたが、きりっと表情を引き締める。
「そのな、菜穂。昨日のことについてなんだが……」
「うん」
「……本当に、悪い事をしていないのか?」
菜穂の眉間にしわができる。やっぱりそんな風に言うんだ。その言葉を聞いた瞬間、菜穂の胸にこみ上げてきたのは、怒りではなく空しさだった。菜穂は憂いを帯びた顔で俯いた。
「……どうして、そう思うの?」
「仏様に聞いたんだ。どうして、菜穂に悪いことが起きたのかって。そしたら、仏様はお前の娘が悪い子だからだと言ったんだ」
菜穂は大きな、大きな、大きなため息を吐き、靴を脱いだ。
「菜穂、どうした? やはり心当たりが?」
「どいて」
菜穂は軽く父親を押し退け、階段を上った。
「菜穂! 何か悪い事をしたんなら、パパが一緒に――」
下で何か言っていたが、それを遮るように部屋の扉を閉めた。
菜穂は制服のまま、ベッドの上に寝転び、ぼんやりと天井を眺めた。呆れてモノが言えないとはこのことだ。どうしてあんなのが父親なのだろう。じわりと涙が目じりに浮かぶ。姉は父親のことを悪く言い過ぎじゃないかと思うこともあったが、その気持ちがわかった。泣きたいくらい情けない父親だ。
そのとき、ピコンとメッセージの通知音が鳴った。菜穂は体を起こし、鞄からスマホを取り出した。画面に表示されたメッセージを見て、笑みがこぼれる。
シンジ : 今日は誘ってくれてありがとう。楽しかったよ!
シンジ : アイスもおいしかったし、また一緒に行こうな
菜穂は意地の悪い笑みを浮かべる。「えー。どうしようかな」みたいなメッセージを送ったら、真治はどんな反応を示すだろう。捨てられそうな子犬みたいに自分にすがるだろうか。そんな真治も見てみたい。でも、今日は少しだけ優しくしてあげようと思った。アイスをおごってもらったし、空気を悪くしちゃったし。
菜穂は先ほどまでの表情から一転し、楽しそうにメッセージを打った。
そしてメッセージを打ちながら、自分の気持ちを噛みしめた。
多分私は、真治のことが『好き』なんだ、と。




