12 モテ期?③
リメイク版です。
会話に違いあり。
菜穂を待つ間、真治は念仏のように唱えた。
「俺は若いんだ。俺は若いんだ。俺は若いんだ」
下校する生徒に変な目で見られても真治は止めない。そうしなければ、『若さ』を意識できないし、そうしていれば、余計なことを考えずに済んだ。
菜穂が動き出した。真治はビクッと体を震わせ、顔を上げる。だいたい一時間くらい待った。その間唱えた呪文によって、若くなった。だから、失敗を恐れずに行動できる……はず。真治は表情を引き締めた。
菜穂が現れた。まだ不機嫌さは残るものの、先ほどよりは怒りが収まっているように見える。ありがとう、弥恵とその盟友たち。真治は心の中で感謝し、菜穂の進路を遮るように自転車で進んだ。
目の前に現れた真治に、菜穂は眉をひそめる。
「あの、菜穂さん。いや、菜穂! 行きたい所があるから、一緒に来てくれ!」
「嫌だ」
菜穂は素っ気なく答え、帰ろうとする。その手首を真治は掴んだ。
「何? 離してくれない? 叫ぶよ?」
「菜穂」
真治は真剣な目つきで菜穂を見つめた。
「な、何よ」
菜穂はたじろぐ。
「一緒に来てほしい」
10秒ほど見つめ合った。その間、真治は目で訴えた。梃子でも動かぬ覚悟だ。
菜穂が諦めたように肩の力を抜く。
「わかった。行くから、離してよ」
「ありがとう、菜穂」
菜穂は真治から目をそらし、自転車のカゴに鞄を置くと、荷台のクッションにまたがった。
「勘違いしないでね。べつに真治のためじゃないから。ここで断ったら、やえっちに悪いから。どうせ、やえっちからの入れ知恵でしょ」
「それでも嬉しいよ。ありがとう、菜穂」
どん、と菜穂は額を真治の背中に当てる。
「だから、違うから。って言うか、菜穂って」
「駄目か?」
「……駄目じゃないけど」菜穂は呆れ顔で額を果たす。「それより、どうするんですか、先生ぇ? 二人乗りなんかしたら、補導されちゃいますよ~」
「その辺なら大丈夫だ。人気のない道を進むから」
と言うが、別の理由がある。菜穂に対し、【透明魔法】を掛けるつもりだ。この魔法によって、真治以外には菜穂の姿は見えなくなる。菜穂も鏡に映る自分の姿が見えなくなるが、幻視虫を使い、映っているように見せる。
「それじゃあ、行きますか。俺に掴まってくれ」
「は?」
「だって、危険でしょ」
「でも」
「いいから」
真治は振り向き、菜穂に微笑みかける。
菜穂は、不服そうな顔で、それでもちょっと頬を染め、後ろから真治の腰に手を回した。
「それじゃあ、行きますか」
真治は自転車をこぎ出した。
自転車はスピードに乗り、風を切る。
「それでー。どこに行くの?」
「それはお楽しみ」
「ふぅん。だいたい予想は着くけどねー」
そのとき前方からパトカーが近づいてきた。しかし菜穂には見えていない。そして、パトカーの運転手にも菜穂は見えていなかった。パトカーは止まることなく通り過ぎた。
住宅街を進むと、坂道が現れる。
「大丈夫?」と菜穂が声を掛ける。
「何が?」
「上り坂だけど」
「問題ないさ」
上り坂に突入する。真治は前傾姿勢となって、ペダルを漕ぎ続けた。真治の脚力をもってすれば、立ち漕ぎをする必要はない。100メートルはある長い坂道であったが、真治はすいすい進み、呆気なく、目的の神社の前に到着した。
「着きましたよ、お姫様」
「反応に困るなぁ」と菜穂は苦笑する。「もっと、苦戦しても良かったのに。多分、やえっちもそんな展開を望んでいたと思うよ」
「俺は彼女のためにここに来たわけじゃないし、べつに気にしないさ。あ、もしかして、菜穂もそっちの方が良かった?」
「私はどっちでもいい。でも、今回の方が気楽かな。一生懸命だと何か申し訳ないし」
「そうか。なら、良かった。ちょっと、自転車を止めてくるね」
真治は駐輪場に自転車を止め、菜穂の下に戻る。菜穂は神社の鳥居の前に立って、街を眺めていた。その場所からは街が一望できる。穏やかな表情で髪をかきあげる菜穂を見て、真治はこの場所に来て良かったと思った。
「ごめん。お待たせ」
「とくに待ってないよ」
「それじゃあ、行こう」
真治は先頭に立って、鳥居をくぐった。境内に人の姿は無く、20メートルほどの参道の先に、古びた社殿があった。
「真治は、この神社が何の神社が知ってるの?」
「ああ。ここは……」真治は視線を走らせる。よく知らない。立札を見つけ、読み上げる。「恋愛成就の神社だろ? 恋愛成就!?」
「知らないで来たの?」
菜穂はくすくす笑う。
「いや、知ってたけど」
「ふぅん。どうだか」
二人は作法通りに参拝した後、境内を散策するようなことはせず、すぐに鳥居の前に戻った。
「あそこに座ろうよ」
菜穂が指さしたのは、崖に面したベンチだった。断る理由がないので、真治は頷き、二人はベンチに座る。
真治が眼下の街並みを眺めながら、初夏の風を感じていると、菜穂は口を開いた。
「真治は何をお願いしたのさ」
「え? 世界が平和でありますように、って」
「うそだ~。ここは縁結びの神社だよ? だから、きっと、武森さんとうまくいきますようにとかお願いしたんでしょ」
「してないよ。ってか、俺は武森さんに対して、何か特別な感情があるわけじゃないから」
「本当? だって、武森さん、綺麗だよ。思春期の発情したサルだったら、喜んでウキウキするでしょ?」
「なら俺は思春期の発情したサルじゃないってことだな。確かに綺麗だとは思うけど、それだけで相手のことを好きになったりしないよ」
「ふぅん。ならさ、真治はどんなタイプの女の子が好きなのさ」
「好きなタイプか……わからん」
「むっ、そうやってごまかす」
「いや、ごまかすわけじゃないよ。本当にわからないんだ」
「本当かな? 中学のとき、好きになった子とか、気になった子とかいないの?」
「……いないかな」
「えー。つまんなーい」
「しゃーないだろ。ないんだから」
「告白されたこととかないの?」
「ないよ。と言うか、菜穂はどうなの? 告白されたこととかあんの?」
「あるよ。3回」
「え? マジで? 付き合ったの?」
「うんうん。何か、そんな気になれなかった」
「へぇ。タイプじゃなかったの?」
「それもあるかな。ちょっと、ガキっぽかったし」
「なるほど。大人な奴が好きなのか?」
「……どうだろうね。わかんない」
「俺に何か言ってたくせに」
菜穂はえへへと笑ってごまかす。
「ってか! 真治とこんな話をするなんて、新鮮だね!」
「確かに、そうだな」
そこで真治は思い出す。昨晩のこと。この流れなら、菜穂のこと、もっと知ることができそうな気がする。では、何を話そうか。考える真治に菜穂は言う。
「真治は普段、恋バナとかすんの?」
「しないよ」
「だよね。あのメンツは、そういうのしなさそうだもん。でも、快斗君は?」
「あれは、俺と玲央が勝手に言ってるだけだから。あいつがよくすみれさんを見ているから、それで。でも、あながち間違いじゃないと思うんだよね」
「ふぅん」
「菜穂はするの? 恋バナ」
「するよー。まぁ、ニャースには関係のないことなんですが」
「へぇ。あのメンツで付き合っている人はいないんだ」
そいつは快斗にとって朗報だな、と思った。
「うん。でも、クラスだとそれなりにいるよ。みっちゃんとか佳保子とか」
誰だそれ、と思ったが、口にはしない。何となく、想像はできる。
「進んでるんだな」
「だよね。まぁ、他にも付き合ってる子はいるんだけど、付き合った理由とか聞くと、何となく、とかさ、とりあえず付き合ってみようと思った、とかさ。それで、いいのか。と思っちゃったりするんだけどね。真治はどう思う? そういうの」
「そういうのって?」
「だから、その、好きじゃないけど、付き合う、みたいな」
「……いいんじゃないか。付き合ってみればわかることもあるだろうし」
どうせ、と口から出そうになった言葉を、真治は呑み込む。
「そ、そうなんだ。真治は、そういうのOKなんだ」
「菜穂はどうなの? やっぱり、お互いが好きじゃないと駄目だと思うの?」
「え? 私? 私も、べつにいいんじゃないかなって思うよ。二人の間に合意があれば、だけど……」
数秒の沈黙。真治は菜穂を一瞥する。菜穂は街の方に目を向け、真治は見ていなかった。耳まで赤く、表情は強ばっている。腿の上で手を握り、少し震えていた。何か、言葉を掛けた方が良いのだろうか。しかし、真治が話しかけるより先に、菜穂が口を開いた。
「じ、実はさ。最近、困っていることがあるん、だよね」
「何? あ、父親のこと?」
「それもそうだけど、違う。真治とのこと、よく聞かれんだ。ほら、教室でよく一緒に話しているじゃん? だから、付き合っているのか? って。真治はどう? 私とのこと、聞かれたりする? 武森さんには聞かれたと言っていたけど」
「うん。まぁ、たまに聞かれるね。付き合ってるのかって」
「そ、そうなんだ。それに対し、真治はどう思っているの?」
「どう思ってる?」
「例えば、ちょっとウザいな、とか」
「まぁ、そんな風に思うことがないわけではないかな」
「そうなんだ。私も、聞かれ過ぎてうんざりしてる。あ、でも、それは、その、真治とそういう風に見られるのが、嫌だとか、そう言うわけじゃなくて。その、否定するのがめんどいと言うか、その、えっと、だからさ! ――」
「――付き合おうか、私たち。そしたら、そしたら、否定しなくていいし……」
真治はその言葉の意味を理解するのに時間がかかった。多分、10秒とか、それくらい。
付き合おうか? どういう意味だ?
宗人は話の流れを整理する。恋バナをしていて、そして付き合おうかと言われた。
ああ、そうか。
そこで宗人は理解する。菜穂と恋人になるということだ。
しかし想像できなかった。菜穂と恋人になる自分が。
真治は菜穂に目を向ける。菜穂の感情がわかった。菜穂は今、緊張しているのだ。何か答えなければ。真治が口を開こうとしたとき、遮るように菜穂は言った。
「な、なーんて。ビックリした?」菜穂は真治に笑いかける。ぎこちない笑みで。必死にごまかすように。「冗談だよ? もしかして、本気にしちゃった?」
「え? 冗談?」
「そうだよ。冗談。私が、真治と付き合うとか、そんなの、そんなの……」
目に見えて、菜穂のテンションが下がる。しぼむ風船みたいに。そんな姿を見せられて、何だ冗談かよ、人が悪いな、なんて笑うことなんてできない。昔の自分なら道化を演じることができたかもしれないが、菜穂に対し、道化を演じる気になれなかった。他に、彼女を元気づける方法はわからないが。
風が吹く。心地よいと思った初夏の風が、肌寒い寒風のように感じた。
二人の間に会話がないまま、時間だけが過ぎる。
「……帰ろうか」
菜穂が言った。
「ああ、そうだな」
「ごめんね、何か、私のせいで」
「何で、菜穂が謝るのさ」
「空気を悪くしちゃった」
「なら、謝るなら俺の方だ」
菜穂はぎゅっと口を結んだ。
居心地が悪い。真治には逃げるように言った。
「自転車とってくるね」
真治は足早に駐輪場に行った。
どうする? ここで何か策を練るか? だが、時間をかければ、いらぬ心配を菜穂にかけてしまうかもしれない。真治の顔に焦りの色が浮かぶ。しかし何もできなくて、すぐに諦めの色に変わる。真治はため息を吐き、自転車の鍵を差しこんだ。
自転車を引き、菜穂の下に戻る。菜穂は俯いたまま顔を上げようとしない。
二人はお互いに言葉を交わすことなく、自転車に乗った。菜穂の真治を掴む手は先ほどよりも弱かった。
「行くよ」
「うん」
真治は自転車を走らせ、坂道を下った。
走りながら真治は気づいた。ブレーキがかからない。さっきはちゃんと使えたのに、壊れたのだろうか。このままでは、制御不能で事故が起きる。しかし今の真治にとって、そんなことは些細な問題だった。ブレーキがかからないなら、魔法をかければいいのだから。
真治は【遡行魔法】を発動した。この魔法は無機物にのみ効果がある魔法で、対象の時間を任意に遡行することで、壊れる前の状態に戻すことができる。真治は自転車を借りる前の状態に戻した。こんな風に時間を巻き戻せればいいのに、と思いながら。
駅の近くまで来て、真治は止まった。人気のない場所を選んだ。いきなり菜穂が現れたら、周りの人はびっくりしてしまうだろう。
「この辺で、降りた方がいいかもな」
「うん。そうだね」菜穂は自転車から降り、ぺこりと頭を下げた。「今日はありがとう。そして、色々ごめん。それじゃあ、またね」
真治の顔を一度も見ようとせず、菜穂はその場から離れようとした。
「待って」と真治は声を掛ける。「俺も一緒に行く。ホームまで行くよ」
「でも、電車、違うでしょ?」
「いいから、行く」
真治は適当な場所に自転車を置き、菜穂とともに改札を抜け、地下鉄のホームに立った。帰宅ラッシュということもあり、ホームにはたくさんの人がいた。
菜穂は並ぶことなく、ホームのベンチに座った。膝の上に鞄を置き、俯く。真治は隣に座った。
電車が到着するアナウンスが鳴った。菜穂に動く気配はない。だから真治も口を閉ざしたまま、座っていた。
電車が止まる。多くの人が電車から出て来た。そして多くの人が電車に入る。潮の満ち引きのような人波の動きを何度か見ているうちに、ホームの喧騒は収まり、人の姿もまばらになった。
辺りが静かになって、菜穂はようやく重い口を開いた。
「ごめんね、何か」
「いや、謝ることではないよ。むしろ、謝るのは俺の方かな」
「いやいや、謝るのは私の方だよ。変なこと言って、ごめん」
「変なことではないと思うが」
「変なことだよ、とっても」
今にも泣き出しそうな横顔に何て言えばいい。宗人は考える。しかし思いつかない。でも、何か伝えなかったか。
「私ね。舞い上がっていたんだ」菜穂は俯いたまま言った。「真治は私と同じ人間だと思ったから。そして、いつもそばにいて、今日なんか、トラックから守ってくれた。だから、私は。私は……」
菜穂は言葉に詰まった。
「菜穂」
真治が声を掛けようとしたとき、電車の到着を知らせるアナウンスが鳴る。菜穂は立ち上がった。
「今日は色々ごめん。また、明日。さようなら」
「ああ、また明日」
真治はまだ言葉が見つからなかった。
電車がホームに入ってきた。ドアが開く。下りる客はいなかった。菜穂が電車に乗る。寂しげな背中を見て、真治は「菜穂!」と声をかけて、立ち上がった。
「何?」
と菜穂は言う。振り返らなかった。
失敗を恐れるな、真治は自分に言い聞かせて口を開いた。
「どうして『冗談』だなんて、自分の気持ちをごまかしたんだ!」
菜穂は大きく目を開き、振り返る。ドアの閉まる音が鳴った。
真治はそんな菜穂をまっすぐ見つめて言った。
「俺は、菜穂のこと、大事にしたいと思ってる!」
ドアが閉まった。二人の間を分かつように。菜穂はドアに駆け寄り、窓越しに真治を見た。その顔からは様々な感情が読み取れる。真治は目をそらすことなく、菜穂を見送った。
電車が去って、真治は大きなため息を吐き、ベンチに座った。都心の地下鉄。人の多い地下鉄。しかしその場所には今、真治しかいない。
「俺が言うべき言葉は、これで良かったのか?」
違うと思う。最後に見た菜穂の顔は、喜んでいる人の顔ではなかった。
真治は天井を仰ぎ見て考える。
菜穂のことを大事にしたいという気持ちは事実だ。二度目の高校生活でできた一番仲の良いと言っても過言ではない相手。一緒にいると楽しい相手。
では、どんな風に大事にしたいのか?
「……わからない」
男と女。「愛」とか「恋」を理由にするのは簡単だ。周りの人間もそれらを理由にすれば納得するだろう。しかし真治には「愛」や「恋」を理由にする気は無かった。それらは全部、自分に、そして他人に対する欺瞞でしかないのだから。「好きだ」とか「愛している」だとか、そんな言葉は全部、快楽依存的な、その場限りの戯言でしかない。
なら、自分の気持ちをどんな風に表現すれば良かったのか? どうすれば彼女を傷つけずに済んだのか。
……わからない。
「……独り身が長すぎた」
真治は泣きそうな顔で自嘲した。




