32.二人のこれから
杉本の葬式も終わって一週間が経った頃、菜穂から呼び出された。
場所は、菜穂の姉が住むマンションだった。事件があってから菜穂は姉と一緒に住んでいる。あの場所も引き払う予定らしい。
真治が呼び鈴を鳴らすと、「はい。どちら様でしょうか?」と応答がある。
「俺だ。真治だ」
「あ、待って。今、開けるね」
ガチャガチャと鍵を開ける音がして、扉が開く。
「わざわざ、すまんね」
「いや、別に構わんよ」
そこで真治は気づく、菜穂は眼鏡をかけていなかった。
「あれ? 眼鏡は?」
「家では外しているの」
「そうなの?」
「なーんてね。冗談さ。コンタクトにしたの。今日の午前中に眼科に行って」
入りなよ、と促され、「失礼します」と真治は部屋に入る。
「どうしてコンタクトに?」
「気分転換かな。これから新たな生活を頑張っていこうという」
「ふぅん」
「どう? コンタクトの私」
「可愛い」
「それしか言えないのか」
「眼鏡よりコンタクトの菜穂の方が好きだな」
「よろしい」
菜穂は、へへっと照れ笑いを浮かべる。
「ああ、そうだ。これ」
真治は紙袋を渡した。菜穂は中を覗き、「別に気を遣わなくてもいいのに」と言った。
「そういうわけにもいかんでしょ」
「そう。なら、ありがたくもらうね。こっちに来て」
菜穂に案内され、真治は部屋に通される。段ボールの多い部屋だった。
「あんまりじろじろ見ないでね。女の子の部屋なんだから」
「わかった。ってか、姉貴はいないのか?」
「うん。何か仕事が溜まってるとかで職場に行った。最近は引っ越しで忙しかったからね」
「なるほど」
「あ、お姉ちゃんがいないからって、変なことしないでね」
「わかってる」
「その反応はその反応でムカつくなー」
むくれる菜穂に、真治は苦笑する。
「今日、真治を呼んだのは、この開封作業を手伝ってもらいたいからです」
「わかった。どれからすればいい?」
「え? してくれるの? 冗談なのに」
「まぁ、それくらいはね」
「ふぅん。ありがとう。でも、それは後。先に真治に見てもらいたいものがあるの」
菜穂は床に座り、すでに開封済みの段ボールを引き寄せた。真治は対面に座り、何気なく、菜穂の行動を見ていたが、菜穂が真治の前に置いた物を見て、固まった。
それは、杉本の中学校の卒業アルバムだった。つまり、転生前の自分が写っている卒業アルバムだ。
菜穂は他にも真治の前に置いた。小学校、高校の卒業アルバム、さらにメモ帳とクリアファイル、名刺入れもある。
「真治、どうしたの? 大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫」真治は微笑むが、胸中は穏やかではなかった。「で、これがどうしたの?」
「私ね。パパのこと、ちゃんと理解していなかった。だから、ちゃんと知ろうと思って、パパの部屋を整理していたら、これを見つけたの。パパの昔のアルバム。そして、このアルバムを見て、パパが人を探していたことを知った」
「人を探していた?」
「卒業アルバムに顔写真が載ってるじゃん? その写真の左上の角に丸が点いている人がいたの」
菜穂が中学のアルバムを開き、指さした人物を見て、真治は顔が引きつった。
「例えば、この人」
これが運命のいたずらか。菜穂が指さしたのは、転生前の『シンジ』だった。
「この人も進士って言うんだって。真治とは漢字が違うけど。でね、この人の写真の左上に丸がついているじゃん? でも写真の方には×がつけてあって、名前のところに15年前の2月27日の日付と新聞名が書いてあった。だから調べてみたらね、この人、15年前の2月26日にアパートで何者かに殺されたらしいんだよ。って、大丈夫? 真治?」
「ああ、大丈夫だ」
真治はふぅと大きく息を吐く。ただ、過去の自分と対面しただけじゃないか。それほど驚くことじゃない。こんなことで、心を乱すな、と自分に言い聞かせる。
「すまん。大丈夫だ。続けて」
菜穂は心配そうにしながらも、説明を続けた。
「んで、こっちの人にも丸があって」と菜穂が指さした人物は、杉本から嫌がらせを受けていた男だ。「下に住所が書いてあった。調べてみたら、多分、この人が今、住んでいる住所なんだと思う」
「ふぅん。なるほど、ちょっと見せてもらってもいい?」
「いいよ」
真治は菜穂からアルバムを受け取り、ページをめくる。皆、若いなぁ、なんて懐かしむ気持ちの余裕は真治にない。視線を走らせ、マークが付いている人物を探した。そして、マークが付いている人間を見つけていくうちに、ある法則に気づく。マークが付いているのは、杉本がいじめていた、もしくは対立関係にあった人間だった。その中には、住所がある者もいれば、ない者もいる。そして、進士のように×が付いている者も。
「他のアルバムにも、同じようなマークが?」
「うん」
真治はアルバムに目を落とす。大嫌いだった杉本義則と目が合う。
「……どうして、菜穂の父親はマークの人物を探そうとしていたんだ?」
「多分、謝りたかったんだと思う」
「謝る?」
「うん」
菜穂はクリアファイルから便箋を真治に渡した。真治は宛先を確認する。知らない人だった。そして内容に目を通すと、1行目に謝罪の言葉が書いてあった。2行目以降は消しゴムで消されていて、杉本の苦悩の跡が見える。
「この人は誰なの?」
「多分、高校の人」
菜穂は高校のアルバムを開く。確かに、宛先と同じ人物の名前が書いてある。
「他にもこの謝罪文はあるの?」
「ある。けど、どれも、1行目で終わっている」
1行目で終わっている。まぁ、今さら謝罪の言葉を書くのは難しいから、気持ちはわからないでもない。
「多分、最近書きはじめたんだよね」
「どうして、そう思うんだ?」
菜穂はメモ帳を開いた。そのページには人の名前が縦に並べてあって、1行目の人物だけ、名前の隣に『3/16』の記述がある。
「そもそもこのメモ帳が新しいっていうこともあるんだけど、この日は私の中学校の卒業式だったの。だから、もしかしたら、この日に、この人と何かあってから、人探しを始めたのかもしれない」
真治は名前に目を向ける。『佐藤恭介』。知らない人物だ。
「この人は何者なの?」
「高校の人」
「会った?」
「会ってない。ってか、最初の二人以外は調べてない。時間が無かったから」
「ふぅん」
真治はまじまじと菜穂の顔を見つめる。
「何?」
「どうして、その二人は調べたの?」
「ページをめくっていたら、×が付いていて、あ、この人も『シンジ』なんだと思って、気になったから。で、もう一人は同じページにいたから、ついでにって感じ」
「……なるほど」
神様ってやつはいつだって意地が悪い。真治はレナのことを思い出す。彼女はとても素晴らしい神族だったのに。
「でね、私、パパが探していたこの人たちに会おうと思うの」
「会う? 何で?」
「パパのことをよく知るために」
「……知りたくない父親の一面を知ることになるかもしれないよ」
「それでも、知りたい」
正直、知らない方がいいと真治は思う。それに会うのもあまりおすすめしない。自分のように怨みが薄れた人間もいるだろうが、全員がそうとは限らない。危険な目に遭うかもしれない。
しかし菜穂の顔から察するに菜穂の意思は固い。多分、止めたとしても、こっそり調べる気だ。だから下手に制するよりは、一緒に行動した方が都合が良い。それに、真治も杉本が歩んだ人生に興味がある。知ることはないだろうと思っていただけに、興味はいっそう強まる。
「わかった。なら、俺は止めないよ。ただし、条件がある。調べたり、誰かと会うときは俺と一緒に行動すること。いいな?」
「もとより、そのつもりさ」
「さいですか。何となく、そんな気はしていたよ」
真治はこそばゆさを感じ、口元がほころぶ。
「でもさ。どうしてパパは、今頃になって、昔の父へ謝罪なんてしようと思ったんだろう?」
菜穂はアルバムをめくりながら言った。
「どういうこと?」
「だって、パパは神様に謝罪すればそれで許されると考えているような人だよ?」
「え、何その話?」
「あれ? してないっけ? 昔のパパの話」
「ああ。何その話、気になるから教えて」
「いいよ。教えてあげる。あれは私が3歳のときの話なんだけど――」
菜穂は、父親は母が死んでから人が変わってしまったこと。そして変な宗教にはまり、自分の罪を償うためにお経を唱えていたこと。一度、いたずらして怒られたことも、恥ずかしいが話した。
話を聞き終え、真治は渋い顔で口を開く。
「つまり菜穂の父親は、自分の過去の行いのせいで今後、悪いことが起きるから、そうならないように、お経を唱えていた、とそういうわけだな」
「うん」
「そしてそのお経は、変な宗教団体に教えられたものというわけか?」
「うん。お姉ちゃんはそう言っていたし、叔母さんもそう感じていたみたい」
「その変な宗教団体とは?」
「さぁ? 私はあんまり関わりたくないから知らない」
「姉貴や叔母さんは知ってるの?」
「聞いてみないとわからない」
「その仏壇や本は?」
「警察の現場検証が終わってから、お姉ちゃんが速攻で捨てた。キモイとか言って。正直、このアルバムとかも、私があと30分くらい家に帰るのが遅かったら捨てられていたかも」
「そうか……」
真治は天を仰ぎ、齟齬を噛む。肉親が死んだばかりだからそっとしておこうと気を遣った自分の真面目さと、杉本親子のことをゆっくり理解しようと考えていた自分に呆れる。今の話はもっと早い段階で聞くべきだった。その宗教団体とやらが菜穂の『呪い』について、何か知っている可能性があるからだ。
「菜穂の父親は退院したときから人が変わっていたんだよな?」
「うん」
「それじゃあ、その変な宗教団体にはまったタイミングはいつだ? 入院中か、退院後か?」
「それは覚えていないけど、でも、気づいたらお経を唱えていたよ。どうして?」
「もしも入院中にその宗教団体を知ったとしたら、菜穂の父親はどうやって、知ったんだろうな? 自分で探したのだろうか? それとも誰かに教えられたんだろうか?」
「それは……わかんないよ」
「そうなんだよなぁ、わかんないんだよ」
真治は唸る。わからないことが多すぎて、頭の中で様々な情報がぐるぐる回っている。
しかし真治は、そんな状況が楽しくなってきて、ニヤッと笑う。
魔法だけでは問題は解決しない。
この世界は様々な形でそのことを教えてくれる。




