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30.サイコパス

 男はあらぬ方向に曲がった自分の指を見て、確信する。目の前の少年は、ただの人間ではない。自分と同類だ。


 では、一体、どんな『能力』を使ったのか。男は指を抑え、真治を睨んだ。真治の凄味に圧倒されそうになるが、奥歯を噛んで堪える。


「もしかして、あんたが『厄介者』か?」

「ああん? 厄介者だと?」

「異能を使える連中のことさ。さっき、自分の指で魚を捌いていたところを見るに、お前の能力は、自分の体を包丁のようにすることか?」

「誰がてめぇに教えるか、ばーか」

「……そうか。なら、質問を変えよう。あんたはどうして、この家族を狙った?」

「教えるか、ばー」

「なら、体に聞くしかないな」


 真治は一瞬で男の目の前に現れた。男が驚きの声を上げるよりも早く、男の鳩尾に拳を叩きこんだ。


「うえぇ」


 男の体がくの字に曲がる。真治は拳を引き抜き、倒れる男の顎を拳で打ち抜く。意識が遠のきそうになる男の頭を掴むと、台所の角に叩きつけ、さらに、食器棚に叩きつけた。男の顔面はガラスを突き破り、皿を砕いた。声にならない痛みに男の意識は遠の――。


 男はハッとする。自分の対面に少年が座っていた。男はすぐさま飛び退き、自分の手を見た。指が変な方向に曲がっていない。さらに顔の傷もない。視線を走らせると、自分が衝突した食器棚も壊れていない。


 なるほどぉ。そういうことか。


 男の口角がにやりと上がる。目の前の少年の能力がわかった。この少年の能力は『幻覚を見せること』だ。わかってしまえば、恐れるに足りぬ。幻覚の能力に対する対処法は知っている。


「けっけっけっ。わかっちまったぜぇ、てめぇの能力が」

「バレてしまったか」

「わかってしまえば、こっちのもんだ。てめぇみたいな能力者とは出会ったことがあるからな」

「他の能力者とも知り合いなのか?」

「ふん。教えてねーよ。俺に殺される人間とお喋りするほど、俺はお人好しじゃねぇ!」男は空を舞う鷲のようなポーズをとる。「だが、俺の能力名だけは教えてやる。『狂った(クレイジーズ・)台所(キッチン)』。それが俺の能力名だ! 今から狂気の饗宴が始まるぜ!」


 真治は呆然と男の顔を眺め、「今のは決め台詞か?」と言った。


「ああ、そうだ。ビビっただろう?」

「……超ビビった」

「けっけっけっ。今頃命乞いしたところで、助けたりしねぇからな!」

「そいつは残念だ。それじゃあ、最期に教えて欲しいんだが、どうしてこの家族を狙った?」

「旨そうだったから?」

「は? 旨そうだった? 本気で言っているのか?」

「ああ、そうだよ。本気さ」

「冗談だろ? 旨そうだから襲うとか。魔物や魔族じゃあるまいし」

「俺はサイコパスだからな」

「サイコパス?」

「そうだ。だから、ついつい抑えきれない狂気が滲み出ちゃうんだよねぇ」

「……サイコパス。そうか、サイコパスなのか」


 そのとき男は真治の手元にある二匹の焼き魚の存在に気づいた。


 あれ? 俺は魚を焼いたっけ? 刺身にした覚えはある。しかし全体を焼いた覚えはない。なぜ? と考えたが、男はすぐに答えを出した。刺身にしたという事実は、きっと、目の前の少年に見せられた幻覚に違いないと思ったからだ。


 真治が立ち上がり、男は真治に視線を戻す。真治は呆れ顔で言った。


「杉本も哀れだな。こんな男に殺されるなんて」真治は人差し指を前後に振り、男を挑発する。「かかって来いよサイコパス。てめぇの語る狂気が、いかに俗物的で安物か、教えてやるよ」

「その言葉、後で後悔することになるぞ」


 男は、目をつむって、真治に跳びかかった。これが幻覚を見せる能力者への対処法である。目を見なければ、幻覚に掛かることはない。さらに男の体は、世界一硬いと言われるフライパンと同じくらいの硬度になっている。『狂った(クレイジーズ・)台所(キッチン)』――自身の体が調理器具となる。それが男の能力だ。


 さっきは油断して発動が遅れたが、今度はしっかり発動した。ゆえに男は、数秒後に砕けた手を抑え、悶える少年の姿を想像し、愉悦の混じった笑みを浮かべる。



 その男の顔面に、真治の拳がめり込んだ。



 男はハッとする。食卓に座っていた。対面には少年が座っている。少年は焼き魚を食べていた。一匹はすでに骨になっていて、もう一匹を食べ始めようとしたところだった。


「やっと起きたか。さっきはすぐに起きたのに」

「お、起きた? そうか、わかったぞ! やはりお前、幻覚を使う能力者だな!」

「確かに幻覚は使うが、それは俺の能力の一部に過ぎない」

「何?」

「お前は自分の能力を『狂った(クレイジーズ・)台所(キッチン)』とか言っていたな? なら、それに応えよう。俺は元『勇者』だ。剣と魔法の力によって、悪い奴をぶっ殺す、そんな存在。ただ、時々やりすぎて、『魔王』と間違えられることがあるんだが。でも、あんたもわかるだろう? 急に強い力を持っちゃうと、抑えられなくなるんだよねぇ、自分の狂気ってやつを」

「は? 勇者? 魔法? 魔王? そんなのあり得るわけねぇ、馬鹿にすんな!」

「なら、見せてやるよ。そっちの方が、話が早い」と言って、少年が机の下から取り出したのは、フライパンだった。「あんたはさっきこう思ったはずだ。なぜ、硬いはずの自分が殴られているのかって。その答えはこれだ」


 真治の拳がフライパンを貫いた。男は目を瞬く。そんな男に真治は微笑みかけ、拳を引き抜いた。すると、フライパンに空いたはずの穴が、逆再生しているかのように直った。


 男は絶句した。理解が追い付かない。どういうことだ? 自分はまた幻覚を見せられているのか?


「まだ理解できないみたいだな。なら、今度は手を出せ」

「て、手?」

「早く!」


 男はビクッと肩を震わせ、右手を差しだした。真治はその手を掴むと、容赦なく指をへし折った。


「いっ、いだーい!」


 男は手を引き、自分の手を見る。今、この男に指を折られた……はず。しかし指には何の異変もなかった。開いたり閉じたりできる。折られていない? いや、でも手に走ったあの感覚は、折られたとしか考えられない。


「ど、どうなってんだ? 幻覚か?」

「わかってるんだろう? これは幻覚じゃない。俺は、お前の想像を上回るほど拳を硬くできるし、壊れたものを直すことも、怪我を治すことだってできる。すべて、魔法の力でな」

「じゃあ、さっきのは……」

「……あんた、格闘ゲームって好きか? 俺は好きだ。だって、何度でも遊べるじゃねぇか。というわけで、始めますか。ラウンド3」


 男は逃げ出した。脱兎の如く。理解した。真治は自分が戦うべき相手ではないことを。


「逃がさねぇよ」


 耳元で真治の声。次の瞬間、男は吹き飛ばされ、壁を突き破り、仏壇に衝突し、下敷きとなった。


 男は仏壇から這い出る。背中に激痛を感じる。何かが刺さっている。引き抜いてみると、それは金色の仏像だった。ひんやりと冷たい金属の仏像。


 襖が開いて、真治が現れる。男が空けた穴は、すでに修復済みだ。


「く、くるな!」


 男は仏像を投げた。が、仏像は真治に当たる前に、空で爆ぜた。


 勝てない。この男には絶対に勝てない。


 そう考え、男がとった行動は――土下座である。男は額を床に擦り付け、許しを請うことでしか、この状況を切り抜けることができないと判断した。


「すみませんでした!」

「それは……何に対する謝罪だ?」

「この家の親子に手を出してしまったことです」

「お前が謝ることで、父親は生き返るのか?」

「それは……生き返りませんが」

「……お前はどうして、この家の親子を狙った。真面目に答えろ」

「おいしそうだったからです。おいしそうだと思ったから……」


 真治は男のそばに立って、男を見下ろした。男はおそるおそる顔を上げ、真治の目を見る。罪を許す人間の目ではなかった。


「なぁ、あんた。【精神魔法】って知ってるか?」

「し、知りません」

「こいつは相手の記憶や精神を操作するときに利用する魔法のことだ。俺はこの魔法がとても苦手でね。この魔法には相手に対する理解が求められるからだ。【幻覚魔法】みたいに、一方的に相手の思考に干渉すればいいというわけにはいかない。だからこの魔法を使うと、いつも相手が壊れてしまう。でも俺はこの魔法をあんたに対して使う」


 真治は薄い笑みを浮かべた。その笑みに慄き、男は逃げようとする。が、男は見えない力で抑えつけられていた。もがこうとしても、体が動かない。


「や、やめてください!」

「お前は今までそうやって助けを求めてきた人間を見逃してきたのか?」

「は、はい!」

「そうか。なら、今から確かめるわ」

「えっ」


 真治はしゃがみ、男の頭を挟むように両手を添えた。


「い、いや」


 男はこめかみのあたりから、自分の頭の中に何かが流れ込んでくる感覚を覚えた。それは脳の皺をなぞるように動いている。


「ここか?」

「んぎ」


 それが脳の中にもぐり込み、ミミズみたいに脳内をゆっくりと這い回る。と同時に、男の左目が不自然に大きく開き、頬が痙攣する。


「んが、あぁ、ぅうぅぅ」

「ここは……関西か? あー。お前は、こんな幼気な少女がいるような家族を襲撃したこともあるのか。しかも少女に見せつけるように両親を殺すとか、やべぇ奴だな。ん? 今、この少女は『やめてください』と言ったぞ? それに対しお前は『嫌だ』と言ってるな」

「ぃゃ、ぁ、ぁ」

「お前は俺に嘘をついた。よって、このまま続ける」

「ぁ、ぁ、ぃゅ。ふぎぃ」

「どれだ。どれが、さっきまでの記憶だ? あ、見つけた。これだな。……ふーん。嘘はついていなかったわけか。あんたはマジで食べたいと思ったからこの家族を襲ったわけか。さすが、サイコパスを自称するだけのことはある」


 男は答えなかった。口が半開きになって、口端から、鼻から透明の液体がこぼれ、体全体が痙攣している。


「だが、どうしてだろう。あんたからはサイコパスって感じがしないんだよね。サイコパス風とでも言えばいいのか? 作ってる感がめっちゃある。ああ、ほら、そうだ。初めて人間の肉を食ったときとか、吐いてんじゃん。でも、そっから頑張って、人肉大好きキャラになったというわけか。その努力をもっと別な方向に向ければ良かったのに。と言うか、あれだな。あんたは自分よりも弱い相手しか襲わないんだな。だからだ。お前はサイコパスじゃない。ただのいじっめ子みたいなもんだ。お? この記憶は……。なるほど。お前も殺したいほど憎い女がいたというわけか。そして、能力を手に入れ、見事に殺したわけだ。羨ましいよ。俺にもあんたくらいの行動力があったら……。で、肝心の能力を手に入れたときの記憶はどこにある? あんたはどうやってその能力を手に入れた? こっちでもない。こっちか? もっと深いところ? あぁ……時間切れか」


 男から流れていた液体が、どす黒い液体に変化する。真治は男のそばを離れ、【念動魔法】を解除した。すると男は「うさろkdじゃいおhだおdんさ」とわけのわからない言葉を発し、皮膚がはがれてしまうほど、力強く頭を掻いた。


「ああ、そうだ。その右腕はもらうぞ」


 真治は再び【念動魔法】を発動し、男の動きを封じると、手刀で男の右腕を切断した。さらに、チャックでも開けるかのように、男の胸の上で指を滑らせる。胸が開き、こぼれ出た心臓を真治はキャッチする。


「あとはお好きにどうぞ」


 真治は和室の端にあった椅子に座り、男の最期を見届けた。


 男は心臓を抜かれても、動き続けた。言語機能を失い、わけのわからない音を発しながら、のたうち回り、突然発火し、火だるまになった。真治は【念動魔法】で男の体を持ち上げた。男がまとう火が、辺りの家具に移らないように。火だるまになってから、男は完全に沈黙した。


 真治は燃える男の姿を眺め、難しい顔で呟いた。


「……身の丈に合わない力は持つべきじゃないね」

あと3話で第一章が完結するため、残りは全部まとめて投稿します。

そのため、更新が遅れますが、できるだけ三日以内に投稿したいと考えています。


また、第一章完結まで感想の受付も停止します。

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