29.再会と約束
杉本にいじめられて良かったと思ったのはこれが初めてかもしれない。
真治は杉本家の屋根に降り立つと同時に【幻視虫】を発動した。血にまみれた手が、菜穂の頬に触れる寸前に、男に幻覚を見せるのに成功する。男は空を撫でたり、舌で舐めたりして、何も持たずに、しかし何かを持っていると確信した顔つきで部屋を出て行った。
男が消えてから、真治は部屋に入った。ベッドの上で膝をつき、菜穂の頬に手を当てる。
「すまん、遅れて。俺が馬鹿だったよ。油断していたというよりも何も考えていなかった。俺はだいたいのことができてしまうから、何かあっても、何とかなると思っていたんだ。でも、そうじゃないんだよな」真治は床に目を向ける。胸に穴が空き、苦悶の表情を浮かべ、宙を睨んだままの杉本が横たわっている。「菜穂の父親が死んでしまったのは俺の慢心だ。すまん」
真治は菜穂に頭を下げる。菜穂は青い顔のまま気を失っていた。
真治はベッドから下り、杉本の前に立った。その顔は、菜穂に対するほど穏やかではないが、復讐心のようなものはなかった。
「久しぶりだな、杉本。まさか、こんな形でお前と再会することになるとは思わなかったよ。まぁ、戻って来て始めての再会というわけでもないんだが」
一度死んで、復活した人間が、先ほどまで生きていて、死んでしまった人間と、この地で再会する。生と死の奇妙な交錯がそこにあった。
「俺はお前の娘に対し、お前を死なせてしまったことを申し訳なく思う。ただ、お前に対しては申し訳ないという気持ちは欠片もない。お前と過ごした中学校の三年間を思えば、当然よな。そしてこの結末は、お前のせいで不幸になった連中からしたら、お望み通りの結末だ。当時の俺も、多分、お前がこんな死に方をしたと知ったら、喜んだだろうよ。だが、今の俺はお前の死を喜んだりはしない」
真治はしゃがみ、杉本に語り掛ける。
「中学を卒業してから、俺のお前に対する恨みは徐々に失せていった。俺も、色んなことを経験したのさ。お前のことを忘れるくらい、色んなことを。その中で、お前以上に憎い相手にも出会った。そして色んなことを経験したというのは、俺に限った話じゃなくて、杉本、お前もそうなんだろう? 高校でもなお、馬鹿みたいなことをしているという噂は耳にしていたが、それ以降、お前がどんな人生を歩んだか、俺は知らない。だから、街で偶然子供と一緒にいるお前を見かけたときは驚いたよ。お前みたいな人間に子育てなんてできるのかって。そしてこっちに戻ってきて、お前の娘と同じクラスになったとき、俺はお前の娘に興味を持った。始めはお前に対する興味だった。でも、ふと思ったんだ。あの杉本が育てた娘ってどんな感じなんだろう? って。そして彼女と一緒に過ごして、気づいたことがある。お前の娘は……すげぇいい子だ。お前に、お前の娘の良いところを話すのは恥ずかしいから言わねぇけど、でも、昔のお前とは真逆の性格であることは確かだ。そして、彼女を通し、俺のお前に対する評価も変わった。お前は……立派になったよ。もしかしたらお前の娘は否定するかもしれないけど、でも俺は、立派になったと思う。だから、安心して眠れ、杉本」
真治は杉本の絶望に満ちた瞳に幕を下ろす。
「お前の娘は俺が守る」




