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24.杉本菜穂④

 帰宅途中の菜穂の頭は父親に対する不満でいっぱいだった。真治と楽しい時間を過ごしていたのに、父親が邪魔したせいで白けてしまった。真治は「まぁ、そういうときもあるわな」と気にしていない様子だったが、菜穂の腹の虫は収まらない。


 そもそもいきなり電話を掛けてきて、第一声が「何か悪い事をしたのか?」は、親としてどうかしている。と菜穂は思う。昨日、美術館でのことを話さなかった自分も悪いかもしれないが、それにしたって、「大丈夫だったのか」とか「何で、昨日のうちに言わなかったんだ」とか、色々あるだろう。それなのに、まるで自分が悪い事をしたみたいな前提で話を進めるとか、本当にもう、どうしようもない父親である。入学式で喜んだ自分はやはり馬鹿だった、と唇を噛む。


 電車の窓に映る自分を見て、菜穂は誓った。もしも家に帰ったとき、父親が同じような対応を取ったら、今までの怒りも含めて全てぶつけてやる、と。


 しかし、いざ、玄関の扉の前に来ると、躊躇ってしまった。父親に怒ってもいいのだろうか。昔の苦い記憶が蘇る。いや、今言わないで、いつ言うのだ。と気持ちを奮い立たせる。自分はもう昔の自分ではないのだ。


「よし、頑張れ、私」


 菜穂が扉を開けると、玄関に、おどおどした様子の父親が立っていた。


「お、おかえり」

「あ、うん。ただいま」


 なぜ、玄関にいるんだ? 菜穂は出鼻をくじれたが、きりっと表情を引き締める。


「そのな、菜穂。昨日のことについてなんだが……」

「うん」

「……本当に、悪い事をしていないのか?」


 菜穂の眉間にしわができる。やっぱりそんな風に言うんだ。その言葉を聞いた瞬間、菜穂の胸にこみ上げてきたのは、怒りではなく空しさだった。菜穂は憂いを帯びた顔で俯いた。


「……どうして、そう思うの?」

「仏様に聞いたんだ。どうして、菜穂に悪いことが起きたのかって。そしたら、仏様はお前の娘が悪い子だからだと言ったんだ」


 菜穂は大きな、大きな、大きなため息を吐き、靴を脱いだ。


「菜穂、どうした? やはり心当たりが?」

「どいて」


 菜穂は軽く父親を押し退け、階段を上った。


「菜穂! 何か悪い事をしたんなら、パパが一緒に――」


 下で何か言っていたが、それを遮るように部屋の扉を閉めた。


 菜穂は制服のまま、ベッドの上に寝転び、ぼんやりと天井を眺めた。呆れてモノが言えないとはこのことだ。どうしてあんなのが父親なのだろう。じわりと涙が目じりに浮かぶ。姉は父親のことを悪く言い過ぎじゃないかと思うこともあったが、その気持ちがわかった。泣きたいくらい情けない父親だ。


 そのとき、ピコンとメッセージの通知音が鳴った。菜穂は体を起こし、鞄からスマホを取り出した。画面に表示されたメッセージを見て、笑みがこぼれた。


シンジ : 今日は誘ってくれてありがとう。楽しかったよ!


シンジ : アイスもおいしかったし、また一緒に行こうな


 菜穂は意地の悪い笑みを浮かべる。「えー。どうしようかな」みたいなメッセージを送ったら、真治はどんな反応を示すだろう。捨てられそうな子犬みたいに自分にすがるだろうか。そんな真治も見てみたい。でも、今日は少しだけ優しくしてあげようと思った。アイスをおごってもらったし、空気を悪くしちゃったし。


 菜穂は先ほどまでの表情から一転し、楽しそうにメッセージを打った。

 

 そしてメッセージを打ちながら、自分の気持ちを噛みしめた。


 多分私は、真治のことが『好き』なんだ、と。





 その日の夜、菜穂は夢を見た。


 真治とデートをしている夢だった。渋山の方へ行って、クレープを食べた後、ショッピングに行く夢。

平穏な何気ない日常の一ページと思ったが、突如、怪獣が現れる。大きな蜥蜴めいた怪獣だった。


「逃げるぞ!」


 真治に手を引かれ、菜穂は怪獣から逃げる。


 渋山は騒然となる。喧騒を押しつぶすように怪獣は街を破壊する。


「あっ」と菜穂は足がもつれて倒れてしまった。

「大丈夫か!」

「真治は逃げて」


 怪獣がすぐそばまで迫っていた。


「逃げられるかよ」


 真治は菜穂を抱きかかえると、怪獣の進路から逸れるように走った。が、二人の頭上を黒い影が覆う。その瞬間、真治は菜穂を放り投げた。


「真治!」と菜穂は手を伸ばすが掴めない。


 菜穂は道路に放り出され、転がる。怪獣が道路を踏んだ風圧でさらに転がる。


 埃まみれの上体を起こし、菜穂は辺りを見回す。真治の姿は無かった。


「真治!」


 呼んでも、反応がない。


「真治、そんな……」


 そのとき、怪獣の足跡付近に黒いコートを着た男が立っているのに気づいた。男は菜穂に顔を向けた。その顔を見て、菜穂はゾッとする。顔中が腫れていて、鼻のない男だった。男は足跡を指さして言った。


「この男は死んだ。お前のせいで、死んだんだ」


 その日から、菜穂は毎晩、悪夢を見るようになった。

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