19.勇者はつらいよ
部屋に帰って来てから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。暗い部屋で、真治はじっと椅子に座っていた。
思い出したようにスマホを起動し、耳に当てる。
『どうもみなさん、こんにちは。ラジオで人生相談の時間です。一人目の相談者は、うさぎさんです。うさぎさん、こんばんは』
「こんばんは」
『本日はどのようなご相談でしょうか?』
「助けたい友だちがいるんですけど、なぜ、彼女を助けたいと思うのか、その理由がわからないんです。彼女はその理由を知りたいらしいんですけど、どうすればいいでしょうか」
『なるほど。では、さっそく先生に相談してみましょう。本日の先生は、心理カウンセラーの佐伯先生です。佐伯先生よろしくお願いします』
『はい、よろしくお願いします。こんにちは、うさぎさん』
「こんにちは」
『友だちとの関係に悩んでいるってことでしたよね?』
「はい」
『うーん。あなたの話を聞いて思ったんですが、焦りすぎだと思いますよ。あなたたちはまだ、出会って間もないんでしょう? なら、あなたは、まだまだその友だちのことを理解していないでしょうし、あなたの友だちもあなたのことを理解していないんだと思います。だから、今は焦らないで、ゆっくりと互いのことを理解して、信頼関係を構築すべきだと思いますよ』
「でも、相手は待ってくれないんですよ」
『どうやったら、その、信頼関係って構築できるんですか? こういう話をすればいいとかってあるんですか?』
『何でもいいと思います。昨日のドラマ見た? とか、この記事知ってる? とか。大事なのは、そういった普段の何気ない会話を通し、私はあなたのそばにいますよって、伝えることだと思います。もちろん、口じゃなくて、心で』
「いや、先生、俺がききたいのは、そういうことじゃなくて」
『わかりました。ありがとうございます』
『はい。また、困ったことがあったら、聞いてくださいね』
『うさぎさん、佐伯先生、ありがとございました。それでは次の質問者へ移りたいと思います』
「待ってください。俺はまだ」
『次の質問者は、お魚大好きさんです。お魚大好きさん、本日はどのようなご相談でしょうか?』
『あのぉ、刺身とかによく小菊ってついてるじゃないですか? あれってどうやって食べるんですか?』
「そんなの知恵袋で聞けや! ボケナスがぁっ!!」
真治はスマホを床に叩きつけ、頭を抱えた。どうでもいい質問しやがって。そんなんじゃ、俺の悩みは何も解決しない。俺の悩みは、一体、どうやったら解決するんだ!
真治は黙考した。頭がパンクしそうなほど考えた。しかし答えは出ず、諦めたように天を仰いだ。
「何をやってるんだろう、俺」
真治は立ち上がり、叩きつけたスマホを拾い上げた。スマホは辛うじてつながっている状態で、簡単に真っ二つになってしまいそうだった。むろん、画面はヒビだらけで、持ち上げたさい、部品がいくつか落ちた。真治がため息を吐くと、落ちていた部品や液晶の破片が壊れたスマホに吸い寄せられ、逆再生でもしているかの如く、スマホが直っていく。【遡行魔法】だ。叩きつける前の状態に戻した。
『あのぉ、刺身とかによ』
真治はラジオを消し、ベッドに転がった。メッセージアプリを起動し、「なほ」を選択する。これまでの「なほ」とのやりとりが映し出される。「おやすみ」が、菜穂からもらった最後のメッセージで、一週間前の22:32のことだった。
真治は寂しそうな目でその画面を眺め、スマホを枕もとに置いた。薄闇の先にある天井を眺め、ぼやく。
「そうだ。こっちの世界は、こんなにも面倒くさかったんだ」
気に入らない相手をぶん殴っていれば、それだけで生活できた異世界とは違う。行動するだけではわかってもらえず、それに伴うコミュニケーションも必要だ。逆もまたしかり。口だけで、行動しなかったら、誰からも相手にされない。とにかくバランスが大事だ。衆目の前で綱を渡るような、そんなバランス。よぼよぼのおっさんには難しい曲芸だ。
「はぁ……。異世界だったら、こんなに……」
こんなに悩まずに済んだのか? いや、多分違う。と真治は否定する。あのまま異世界にいれば、もっと大きな精神的負担の下で生活していかなければならなかった。魔王を倒し、凱旋したときの人々の視線や、謁見を求める各国の外交官や組織の幹部たちを見れば想像がつく。救国の英雄としての模範的な行動を期待する者がいた。如何にして利用してやろうか、そんな策略が透けて見える者もいた。他にも様々な思惑を胸に秘めた者たちが、真治に労いと感謝の言葉を掛けていた。
自分に期待する人間は一人や二人じゃなかった。何百人、何千人、何万人……。神族や魔族だって、自分を求めていた。
「だから俺は……逃げたんだ」
あの世界から。残党狩りで時間を稼ぎ、そのまま逃げ切った。あの世界の住人は、自分がそんな弱虫であることを知ったら、どんな反応をするのだろう? 偶然の連続で魔王を倒しただけの小市民に何を語る? しかも今、その勇者は、一人の少女を相手に苦悶しているのだ。そんな状況を彼らはどんな風に見る?
異世界のことを思うと、胸が苦しくなる。次元を超えてのしかかる2千万以上のプレッシャーに真治は苦笑した。
「簡単に世界は救うもんじゃないね」
でも、少しだけ気が楽になった。今、向き合うべき相手は一人だけである。2千万という膨大な数に比べれば、誤差みたいなもんだ。
「……寝るか」
今ならきっと眠れる。余計なことを考え始める前に寝ることにした。




