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18.愛とか恋とか数式とか

 昔は当たり前のようにできたことが、できなくっていることがある。


 学校の勉強なんかがそうだ。昔は当然のように解けていた数学の問題を、久しぶりにやってみると、全く解けなかったりする。公式の使い方を忘れてしまった。


 真治にとって、「愛」や「恋」という感情は、そういう類のものだ。


 菜穂にはいないといったが、真治は昔、好きになった女がいる。大学2年生のころの話だ。相手は同じサークルの同期である。真治が周りに自分の思いを話すと、皆、「あの女は止めておけ」と言った。真治にもその理由はわかっていた。しかし「自分なら変えられるかも」という思いがあった。


 そして、恋は実り、成熟する前に終わった。


「あんたのこと、べつに好きじゃなかったんだよね」とあの女は言った。「そりゃあ、確かにさ、あんたには『好き』とか言って、イチャつき合ったりもしたけど、あれは本心じゃないんだよね。そうやって恋人みたいなことをしていれば、あんたのこと、本気で好きになれるかもしれないと思ったの。だから、ああいう、恋人ごっこ? みたいなことをいっぱいした。多分、今まで付き合ってきた彼氏の中で一番多いんじゃないかな。でも、全然好きになれなかった。騙した? あぁ、うっざ。そういうところだよねー。あんたのそういうところ、本当にムカつくわ。むしろ感謝して欲しいくらいだけど。あんたみたいなつまらない人間に付き合ってあげた私に。良かったじゃん。童貞も捨てれたんだし」


 それから真治は、金で女の関心を買うようになった。金をちらつかせれば、彼女なんて簡単にできる、と雑誌で読んだからだ。学生の時は、まだ金が無かったら、金があるように見せかけるテクニックを必死に勉強した。そして、彼女ができた。でも、すぐに別れた。付き合っては別れるサイクルを繰り返すうちに社会人になった。社会人になってからは、金を惜しみなく使った。すると、前よりも関係が長く続いた。


 これでいいと思った。金があれば、彼女と愛し合える。


 しかしそれが、ただの女遊びでしかないことに気づいたのは、ある女を抱いたときのことだ。女の顔は覚えていない。所詮、その辺でひっかけただけのアバズレだ。ただ、あの女の自分を見る目は覚えている。侮蔑を孕んだ目。自分を男としては見ていない。自分を通し、ブランド品を見ていた。真治はその視線に慄き、吐き気を覚えた。


 それ以降、女遊びを止めた。


 それは女との関係を断つことを意味していた。


 自分はもう誰とも愛することはないだろうと思っていた。そんな矢先、女上司に呼び出された。


「何ですか?」

「あんた、経理の平沢って子、知ってる?」

「知りま……あ、知ってます。よくエレベーターで一緒になります。彼女がどうかしたんですか?」

「彼女があんたの事、気になるんだって」

「え? 俺のことを?」

「らしいよ。たまにお話しすることがあって、それでって。あんたも大人しい顔して、ちゃっかりやること、やってるのね」

「……そういうつもりはなかったんですけど」

「と言うわけで、今度、彼女と一緒にランチに行ってあげて」

「わかりました」

「んじゃ、後で連絡先教えるから、連絡してあげて。あ、そうだ。彼女、大学のサークルの後輩なの。だから、泣かせたりしたら、許さないからね。あんたにはもったいないくらいいい子なんだから」


 その後真治は、平沢と会って、食事をした。


 彼女と話し、女上司が言っていた意味がわかった。彼女は自分にはもったいないくらい良い子だった。穏やかで、素直な子。そして自分に真っ直ぐな好意を向けてくれる。


 真治は彼女の思いに応えたいと思った。しかし彼女と一緒にいると、いつも違和感を覚えた。水中にいるようなとか、砂漠にいるようなとか、漠然とした表現は思いつくが、その違和感を表現するための適切な言葉を持っていなかった。


 そして真治は理解した。


 自分はもう昔の自分ではないことを。

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