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13.できること

 翌朝。駅の改札を抜けると、菜穂の後ろ姿があった。


 突然訪れた機会に真治は尻込みする。まだ考えがまとまっていない。登校中に考えるつもりだった。今、話しをしても、うまく会話できるかわからない。


 だから見なかったふりをして、コンビニに逃げることもできた。


 しかし菜穂の元気のない背中を見ると、放っておけなかった。


 逃げるな、おっさん!


 真治は自分を叱咤し、覚悟を決める。菜穂に駆け寄り、精一杯の明るい表情で言った。


「おはよう、菜穂さん」


 菜穂は振り返り、真治を認めると、微笑んだが、影がある。


「おはよう、真治」

「珍しいね。こんな時間に登校なんて。いつも、もう少し早くない?」

「うん。まぁ、そんなときもあるよ」

「へぇ」


 菜穂が歩き出す。真治も隣を歩いた。


 二人の間に会話は無い。何か話さねば。真治は空を見上げる。


「今日は良い天気だね。洗濯物でも干してくればよかったかな」

「確かに、よく渇きそうだよね」

「うん、だよね」


 会話が途切れる。返事のチョイスを間違えた。もう少し、会話を広げるような返事をすべきだった。


 しかし、会話を続けた方が良かったのか。菜穂の横顔を見ていると、そんな疑問が浮かぶ。今の彼女には、どれほど面白い話でも、楽しむ余裕が無いように見える。


 では、どうすればよいのか。


 真治は考え、ストレートに質問しようと思った。自分は話術のプロではないから、巧みなアプローチによって、彼女の悩みを聞きだすことはできない。そのため、直球勝負が最善策だ。しかしそれは、諸刃の剣でもある。下手したら、今の関係に、悪い意味で大きな変化が生じるかもしれない。それでも、何もしないよりかはましだった。


 吉と出るか凶と出るか――。


 学校へ行く途中にある橋の中ほどで、真治は口を開いた。


「菜穂さん。最近、元気ないみたいだけど、何かあった?」


 菜穂は何も言わなかった。


 まずったか。真治は顔をしかめる。


 しかし菜穂は無視をしたわけではなかった。数秒の間があってから、立ち止まり、真治を見すえる。


「私、元気がないように見える?」

「うん」

「そっか、やっぱり、そう見えるのか。昨日も言われたんだよね。最近元気ないねって」


 自分以外にも菜穂を気遣う人がいた。それは良いことであるはずなのに、真治は少しだけ面白くなかった。


「何かあったの? もしかして、父親のこと?」


 菜穂は力なく首を振る。


「父親は関係ない、とは言わないけど、でも父親が原因とは言えないかな」

「へぇ。他に原因があるんだ」

「うん」


 菜穂は暗い顔で目を伏せた。この先を聞いてもいいのだろうか。真治が逡巡していると、菜穂は欄干に手を置き、川へ目を向けた。真治も菜穂と同じ景色を眺める。


「最近、同じ夢を毎日見るんだ」

「夢?」

「うん。人が死ぬ夢。しかも、私の大切な人が死ぬ夢。私はただの傍観者で、大切な人たちが死んでいくのを見ていることしかできないの」

「それは、辛いな。でも、夢なんでしょ? なら」

「そんな夢を毎日見るんだよ」と菜穂は声を荒げる。「しかも、日を追うごとに、死に方がリアルになっていくんだ。最初は、怪獣に踏まれるとか、突拍子もないことだけど、今日の夢では、友だちが……友だちが、刺されて殺された。私のせいで、私が守れなかったから」

「考えすぎでは?」

「最初はそう思った。でも、あの雑貨屋で会ったお婆さんの言葉を思い出したら、そのうち、起きちゃうんじゃないかって、すごい、怖くなって」菜穂はスカートを掴む。「……私は悪い子だし」

「……菜穂さんが悪い子かどうかはわかないが、あのお婆さんの言うことなら、気にする必要ないってこの前も」

「でも、実際に悪いことが起きたじゃん。あの美術館で。うんうん。あれだけじゃない。予兆は今までにもあったんだ」


 そんな大げさな、と思ったが口にはしなかった。多分それは自分の一方的な意見で、彼女を傷つけかねないと思ったからだ。しかし何も言わないわけにもいかない。


「つまり、菜穂さんはあの老婆の言葉を気にしてるってこと?」

「うん」

「なら、思い出しなよ。あの老婆は言っていたじゃん。困ったら、俺を頼れって」

「でも、真治に何ができるの?」

「それは……確かに」


 って、確かにじゃーねだろ! 真治は心の中でつっこむ。納得してはいけない。何かしら力になれることを菜穂に言わねば。


 菜穂は欄干から離れた。再び歩き出す。その背中を見て、真治は苦虫を潰す。やはりこうなってしまうのか。俺という人間は人の内面に語りかけることができない人間なのか。


 自身の無力を嘆くように唇を噛んだ瞬間、けたたましいクラクションとともに、歩道にダンプが突っ込んできた。


 菜穂は振り返り、大きく目を見開く。真治は即座に動き、菜穂の手を引くと、抱きしめ、車道へ跳びだした。と同時に、【念動魔法】を発動する。ダンプを欄干にぶつけながら減速させ、前を歩いていた歩行者にぶつかるギリギリの所で止めた。


 しかし事故はそれだけでは終わらなかった。ダンプの後ろを走っていた後続車が、突然車道に出て来た真治に驚き、ハンドルを切って、反対車線に進入。反対車線を走る車とぶつかる――寸でのところで、真治は反対車線の車の軌道をずらし、正面衝突を回避させた。車体がこすったものも、命に比べれば安いものだ。


 問題はまだまだ続く。ダンプの後続車は、正面衝突は回避したもの、反対車線の後続車とぶつかりそうになっている。また、反対車線を走っていた車は歩道に乗り上げ、歩行者をひき殺そうとしている。さらに、後続の後続車の運転手が、パニックになって、手元が狂い、新たな事故が起きそうだ。混乱が橋全体に伝播している。


 ええい、面倒くせぇ!


 真治は橋全体に【念動魔法】を掛けた。人や車だけではない。羽を休める蝶でさえも、真治の思いのままに動く。大事故になってもおかしくない状況を、死傷者を出さず、かつ自然な感じで乗り切る。簡単なことではないが、難しいことでもない。真治は不敵に笑った。


 橋のあちこちで悲鳴があがり、車が急ブレーキをかける音が聞こえ――静かになった。


 その橋の上で起こったことを理解できている人間は一人しかいなかった。が、人々は状況を理解し始め、橋の上は騒然となった。


「もう、大丈夫だ」


 真治は菜穂を抱きしめていた手を解く。


 菜穂はおそるおそる真治の胸から顔を放し、辺りの状況を確認した。歩道に突っ込んだダンプを認め、ダンプの運転席の辺りにできた人垣に息を呑む。


「安心しろ。誰も死んでないから。あれは、運転手を心配して、人が集まっているのさ」

「やっぱり、悪い事が起こるんだ」菜穂の肩が震える。「あの夢は現実に……」

「菜穂さん」


 真治は菜穂の両肩に手を置き、菜穂の意識を自分に向けさせた。


 自分を見つめる真っ直ぐな瞳に、菜穂はまごつく。


 真治は言った。


「俺、わかったんだ。菜穂さんのためにできること。確かに俺は、司教みたいに、菜穂さんが抱える悩みを解決できるような気の利いたことは言えない。でも俺は、体を張って菜穂さんを守ることができる。今も大事故から菜穂さんを守ることができた。それが、俺ができることなんだ。体を張って菜穂さんを守る。受け入れ難き運命が、菜穂さんに牙をむくつもりなら、俺がその牙をへし折ってやる。だから、困ったら、俺を頼れ。俺が菜穂さんを守るから」


 菜穂は呆然と真治を見つめた。


 真治は言ってから、自分の失敗に気づく。焦りすぎだと思いますよ。昨晩の先生の言葉を思い出す。色々な踏むべき過程をすっ飛ばしてしまった。やばい。どうしよう。真治は空を仰ぎ見た。人生相談のメールアドレスを確認しなきゃ。


 しかしメアドはいらないかもしれない。菜穂の肩が震える。それは恐怖とかではなく、笑いによるものだった。菜穂はプッとふき出し、声を出して笑い始めた。真治は状況が理解できず、キョトンとする。どうした、菜穂さん。


「あの、何で笑うの?」

「だって、真治のくせに、カッコつけてるから」

「え? べつに、カッコつけたつもりはないんだけど」

「ってか、いつまで私の肩に手を乗っけるのさ」

「あ、ごめん」


 慌てふためく真治を見て、菜穂は微笑んだ。


「でも、ありがとう、真治。さっきの言葉。ちょっとだけ嬉しかった。ちょっとだけだけど」

「さいですか。そこ、強調しなくてもよくね?」

「ふぅん。でも、そっかぁ。真治はそんなにも私のことを守りたいのかぁ」


 新品のおもちゃを見るような菜穂の視線に、真治は戸惑う。


「なら、頼りにするね。私が困ったら、白馬に乗って駆けつけなさい!」

「白馬ってキャラじゃねぇけど。わかったよ、お姫様」


 菜穂は右手の小指を差しだした。言わなくてもわかるよね? と笑顔で語る。


 真治は照れくさそうに笑い、菜穂の小指に自分の小指を絡めた。

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