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11.金未来

 杉本菜穂は普通の女子高生だ。明るい性格で、人当たりも良く、友だちもいる。彼女に悪い気がついているとは思えない。真治は教室で同級生と談笑する菜穂を見て、そう思った。


 しかしあの老婆は、菜穂に悪い気がついていると言った。本当なのだろうか? 年寄りの狂言と思いたいが、孝四郎曰く、ばぁやの言うことは当たるらしい。ばぁやは只者ではない。だから、ばぁやが大変な目に遭うと言ったならば、そのうち、彼女の身に危険なことが起こる。大切な友だちなら、しっかりと守ってあげなさい、と孝四郎に言われた。


「なぁに、難しい顔してんのさ」顔を上げると、笑顔の菜穂がいた「おはよう、真治」

「ああ、おはよう。ってか、名前呼びなんだ」

「うん。いじってもあんまり反応ないからね。これで落ち着こうと思って。あ、勘違いしないでよね。べ、べつに特別な意味はないんだから」

「さいですか」

「人がせっかくツンデレしてあげたのに、その反応ってひどくなーい?」

「だって、べつに、菜穂さんのツンデレなんていつものことじゃん」

「は?」

「あれ? 自覚は無かったの?」

「はぁ? ツンデレなんてしてないし」

「まぁ、冗談だけど」

「……真治のくせにぃ、むかつくー」


 菜穂はむくれた調子で席に戻り、真治が体を向けても、顔をそらした。


「すまん、すまん。たまには、いじる側にもなりたいのさ」

「……クピィのアイス」

「え?」

「クピィのアイスをおごってくれたら、許してあげる」

「わかった。おごるよ」

「本当? なら許してあげる」


 ちょろいな、と思ったが、当然口にはしない。わざわざ不機嫌にするほど真治も馬鹿ではない。


「んじゃ、いつ行こうか。今日は無理だしなー」

「何か用事があんの?」

「うん。やえっちたちとA美術館に行くの」

「A美術館? あぁ、あの屋上で、『変なオブジェ展』をやってる?」

「そう、よく知ってるね。やえっちが見たいんだってさ」

「へぇ」


 そのとき、真治は『屋上』というワードに不穏な影を感じとった。なぜだろう。なぜか、小骨のようなひっかかりを覚える。


「どうかしたの? あ、わかった。私と一緒に行きたかったんでしょ」

「そうそう、よくわかったね」

「むー。そんな冷たい反応するなら、一緒に行ってあげない」

「なぁ、菜穂さん。今日はA美術館の屋上でやっている『変なオブジェ展』を観に行くんだよな?」

「そうだけど」

「気を付けてな」

「気を付けて?」菜穂はプッとふき出す。「美術館に行くのに、気を付けても何もなくない?」

「まぁ、そうだけど」


 それでも、胸のひっかりが気になる。真治は菜穂たちに気づかれないようについて行こくことにした。





 学校が終わると、真治は速攻で下校し、駅のトイレの個室に籠った。【変身ベルト】を利用し、ストリートファッションにフォルムチェンジする。帽子や伊達メガネといったアイテムはカバーできないから、その辺で買うことにした。


 鞄を駅のロッカーにしまい、駅のそばにあった衣料品店で帽子と伊達メガネを揃え、準備は完了。駅前にて菜穂を待つ。


 菜穂たちの気配を感じ、真治は人混みにまぎれた。【気配感知魔法】を使えば、わざわざ目視しなくとも、菜穂たちの場所はわかる。人が密集し、遮蔽物も多いため、異世界のときよりも精度は下がるが、半径一キロ圏内だったら、完璧に把握できる。だから、見つかりやすいような追跡をする必要もない。


 菜穂の他に、よく知った三人の気配を感じる。今日はよく一緒にいる四人で美術館に行くようだ。


 A美術館は、真治の通う高校から、乗り換えなしで三駅ほど離れた場所にある。真治は菜穂たちから遅れて改札を抜け、約500メートルの距離を保って追いかける。


 途中、四人の動きが止まった。何事かと思い、【幻視虫】を飛ばす。プライバシーの観点から、基本的には【幻視虫】の発動を控えているが、緊急を要する場合は、迷いなく発動する。500メートルは、ギリギリだが、幻視虫の射程距離だ。幻視虫の目を通し、四人の様子を観察する。


 四人は若者向けの衣料品店で服を見ていた。彼女たちの表情を見るに、しばらく時間がかかりそうだ。真治は迂回して、先に美術館に行くことにした。


 雑居ビルが林立する道を抜け、河川敷に出た。目的の美術館は河川沿いにある。ランニング中の中学生やキャッチボールを楽しむカップルを眺めながら美術館を目指した。


 10分ほど歩き、美術館に到着する。菜穂たちも動き出した。思ったより早い。先に中に入っていようかと思ったが、途中で菜穂たちの気が変わるかもしれないので、菜穂たちが入館するのを確認してから、入館することにした。


 美術館裏にある公園のベンチに座り、菜穂たちの到着を待つ。


 菜穂たちが到着した。菜穂たちの動きから、入館した確証を得て、真治も入館した。もちろん、学生割引である。久しぶりの感覚に、真治はにやけが止まらなかった。


 屋上は三階にある。菜穂たちは、一階と二階の展示物をじっくりと観てから、屋上に行くようだ。真治は屋上に先回りすることにした。あまり、芸術というものに興味はないし、せまい室内だとばったりということがあり得る。


 エレベーターを使い、三階へ。扉が開くと、小高い丘が見え、丘の頂上にある金色の球に目を奪われた。


「何だ、あのオブジェは」


 真治は自分の目的を忘れ、オブジェに歩み寄り、鑑賞した。


 金色の老若男女が、半径二メールはある大きな金の球の下敷きになっていて、もがき苦しむ様子が表現されていた。『金未来』というのが、そのオブジェのタイトルであるようだ。


「よくわからんなぁ、芸術は」

「何、これ、超ウケるんだけど」

「写真撮ってアップしようよ」


 近くにいた女子高生が、「金玉、金玉」連呼しながら、金未来を背景に自撮りする。


「よくわからんなぁ、女子高生は」


 真治は肩をすくめ、他のオブジェも見回った。変なオブジェ展だけあって、芸術なのかガラクタなのかよくわからない物が多く、すぐに飽きてしまった。火事現場に残されていたような、ぐねぐね曲がったベンチに座り、四人を待った。


 うとうと舟を漕ぎ始めたころ、エレベーターに乗る四人の気配を感じた。


「ようやく来たか」


 時計で時間を確認する。四十分ほど経っていた。真治は欠伸を噛み殺し、移動する。おそらく四人はまず金未来へ向かう。だから、金未来から死角になるようなオブジェの影に潜む。


 四人が来た。声も少しだけ、風に乗って聞こえる。案の定、金未来を見て、はしゃいでいる。


「あれの何がそんなにいいんだか」


 真治は呆れながら四人の行動に集中する。四人と入れ替わるようにして、下の階へ移動することもできたが、不安だったので、屋上に残った。胸のひっかりはまだ取れない。


 一通り金未来で遊んだ四人の興味は他のオブジェに移る。四人の移動に合わせ、真治も移動する。四人には見つからないように、周りからは不審者と思われないように。そういった立ち回りは、異世界で習得済みだ。


 それから十分くらいは鑑賞していた。しかし金未来以外は、四人の興味を惹くオブジェは無かったらしく、四人は手すりの前に移動して、屋上から見える街並みを眺めながら、ぺちゃくちゃ話し始めた。


 そしてその話がとにかく長かった。


 何をそんなに話すことがあるのだろう。四人はすでに1時間30分は話している。駄弁ることが悪いことだとは思わないが、もう少し場所を考えて話せよ、と真治は苛立つ。やるなら、美術館のそばにあるファミレスでやって欲しい。そしたら俺も帰るのに。


 真治は、四人のそばにいた。菜穂が振り返ったとき、目の端に入る場所に移動している。そういったチキンレースくらいしかやることがない。


 まぁ、でも、何か大きな問題が起こる気配もないし、もしかしたら杞憂だったのかもな、と思ったときだった。


「きゃああああ」


 と声が上がり、真治は目を向ける。


 金未来の金の球が傾いていた。そして、下敷きのオブジェを押しつぶし、丘を転がり始めた。丘を下ることで勢いが増す金の球。軌道上のオブジェなど、勢いを止める障害物にはならず、その軌道上に菜穂たちが立っていた。


 菜穂たちは呆然と立ち尽くしていた。何が起こっているのか、そしてこれから何が起きるのか、理解できない様子だ。このままでは押しつぶされるか、弾かれて、外に投げ出されてしまう。


「しゃがめ!」


 真治は叫んだ。その言葉に真っ先に反応したのは、菜穂だった。隣に立っていた友だちの手を引き、しゃがんだ。


 真治は【念動魔法】を発動する。丘を下りきる前に金の球を跳ねさせ、菜穂たちの頭上を通過、放物線を描きながら、川へ落下させた。大きな水飛沫があがる。屋上にいた人々は、手すりに駆け寄って、興奮した調子で川に浮かぶ金の球を指さした。


「ふぅ」


 真治は安堵の息をもらす。うまくいった。念動魔法をちゃんと使えたということは、この世界で魔法を使うことに慣れてきた証拠だ。


「おっと、やべぇ」


 真治は帽子を目深に被り、オブジェの影に隠れた。菜穂がきょろきょろしていたのだ。


 騒ぎを聞きつけた美術館の職員がやってくる。騒ぎが大きくなる前に移動しようかと思ったが、少なくとも菜穂が屋上から移動するまではいることにした。胸のひっかかりは無くなっていたが。





「ねぇ、きいてよ。昨日、金玉に襲われたの」


 翌朝。真治が自分の席に着くと、菜穂は興奮した面持ちで言った。


「知ってるよ。昨日も聞いた。A美術館のことだろう? すげぇニュースになってたな」


 昨晩、菜穂から電話があった。電話の内容は金の球についてだった。現場にいたから事情は知っているだけに、知らないふりをするのが面倒だった。


「あぁ、マジで死ぬかと思ったわぁ。……そう言えばさ、昨日も確認したけど、真治は本当にあの場にいなかったんだよね?」

「ああ。昨日も言ったろ? 俺はその時間、図書館で勉強していたんだ」

「あれは真治の声に聞こえたんだけどなぁ」


 真治は複雑な心境でその言葉を受け止める。菜穂が自分の存在を認識していたことは素直に嬉しいが、それを言えないもどかしさがある。


「それくらい、俺のこと、考えてたんじゃないの?」

「うぬぼれるな。そんなわけないでしょ」

「さいですか。それは残念」

「そうだ。それで昨日、A美術館の無料チケットもらったんだけど、一緒に行かない?」

「え、昨日の今日でまた行くのか?」


 またあの場所に行くと考えるだけで、気持ちが萎える。


「うん。だって、せっかくもらったし、使わないと。それに、これはついでだから」

「ついで? 何の?」

「クピィアイス。まさか、忘れたわけじゃないでしょ?」

「……なら、行かないとな」

「んじゃ、決定ね」


 放課後が楽しみ、と言う菜穂に、真治も頷いた。

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