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 使用人たちと扉で完全に隔てられるのを待ち、更に正門まで僅かな距離の間。ユリアにとってはとても重たい沈黙が降りた。何故なら――大根役者ぶりを発揮した気がするから。目標も立てた直後に砕かれ、ユリアの折れた心がそう見せるのか、それとも本当に笑いを堪えているのか。何だかヴィレムの肩が震えているように見える。


「――馬車でも言ったけど、笑いたいなら堂々と笑えばいいじゃない。それにもういいでしょ、下ろして」

「心外だな。そんな風にみえたか」


 ヴィレムは門の側でユリアを丁寧に下ろす。

 距離としては大声をあげれば、何かしら屋敷内にいる使用人たちが聞きつけるかもしれない。出来るだけ声量を落とし、ちくちく抗議してみるも、ヴィレムに堪えた様子はないようだ。

 口が悪くても、所々ぞんざいな扱いをしても、時々彼の手はとても優しい。


(……どうせなら雑に放りだしてくれればいいのに)


 誰が見てるか分からない。それはそうだが下ろしてくれた後、肩に掛けたショールを直し、髪を整えてくれた。それも演技だとは思いたくない。そんな風に考えてしまうのだ。


「何で私、こんな仕事してるのかしら」

「さあな。まぁ、安心しろ。おまえみたいなガキに興味はない」

「これでも十七歳ですけど、なにか?」

「いっぱしの口利く気なら、少しは色気のひとつも覚えるこった」


 いくら話を聞いている第三者がいないとはいえ、口の悪さを隠そうともしない彼の態度。しかしここで言い返してもヴィレムにやり込められるのは、このひと月で学習した。先ほど撃沈した今、いつか見返すと心に決めるのが今の精一杯だ。


 正門、裏門、全ての出入り口には施錠の魔法が掛けられ、特定の関係者は自由に門を開け閉めできると馬車の中で説明を聞いた。ここに馬車がないということは、荷物を下ろす作業は終わったのだろう。

 ユリアは口をついて出そうなものをぐっと呑み込んで、あえて話題を変える。


「――本当にエリクや他の使用人たちには言ってないの? 私の素性」

「言ってないな。商人も傭兵団も守秘義務が最優先の仕事だ。現地採用で雇った人間もいるから、なおさら不用意に話せない」


 普通に返事があった。話題を変えたからといって、ヴィレムにとってはどうということもないらしい。

 反面、垣間みえるプロ意識は中身や立場は違うが、学ぶべきものだとユリアは思った。

 そんな会話をしながらも、門の鍵を開けている。


 門に掛けられた錠前に手を添え、ヴィレムは解呪の呪歌(スペル)を唱えている。声量こそ落としてはいるが、充分にユリアに聞こえた。たった二、三行の歌。でもとても綺麗で、丁寧なテノールの旋律。ルーンの意味と意図を、ひとつひとつ拾い上げているのが分かる。


(……繊細な音。嘘いつわりなく、魔法士(ガルドル)としても一流なのね)


 ふいにユリアの脳裏をよぎるものがあった。

 この件が片付けば、ユリアは部外者だ。それでも気にすることなくユリアに聞こえるように歌った。


 呪歌が部外者に漏れたといっても、内容を変えれば済むことだ。おそらくは彼にとってそれはさほど難しいことではない。ヴィレムに問題がなくとも、呪歌を変えることで他の使用人に問題がないとも言えないだろう。個人の魔力、魔法ひとつとっても得手不得手がある。

 それなのに、ユリアに聞こえるように歌ったのは何故か。


 もう少し聴いていたい。けれど、僅かな呪歌だ。それもすぐ歌い終わった。心中で掴みかけたものは、するりとその手を滑り落ちた。


 かちゃりと鍵の開く音がすると、何事もなかったようにユリアは中断していた返事をする。


「徹底してるのね」

「タイミングがあれば、エリクには話すつもりだがどうなるか」

「信用してるんだ、あの子のこと」

「気が利くし、たいしたもんだぜ。戦いには向かねぇが、とても十三歳には思えねぇしな」


 ユリアにその辺りのことはまだ分からないが、エリクが良い少年であることは僅かな間に充分感じたため頷いた。

 再度鍵をかけ、歩み始める。夕方には時間も早く、大通りから少しずれているため人通りはまばらだ。しかし目と鼻の先の大通りでは、旅人や親子連れ、友人同士と思しき女性数人、商人らが行き交う。どこからか漂う香ばしい匂いは、自然と空腹の客を引き寄せるものだ。浮き足立つような雰囲気が町中にあるのは、やはり戦争からの解放感があるからだろう。

 大通りへと出る直前、ヴィレムが足を止めた。それに合わせて、ユリアも立ち止まる。何があるのかと、周囲を見回そうとした時だった。


「兄さん」

「ジーク、どんな様子だ?」


 真横から声をかけてきたのは、ヴィレムの弟、ジークだ。ユリアたちとはクルディカまでの道中、別行動だったため、顔を合わせるのは久しぶりだ。


「表面上は平和そのもの。いくつか噂もあるけど、どうかな。……久しぶり、ユリア」

「ジークは先にクルディカへ来てたのよね?」

「そうだよ、町の様子を見ておこうと思って。スラム街のほうまでまだなんだけど、見ての通り表面上は平和だね」

「協定から一年じゃ、影響もまだあるだろうに」


 ヴィレムが片手を顎に当てた。スラム街、治安の悪い区画を総称する呼び方だ。

 和平協定からまだ一年だ。おそらくは協定に不服のある過激派と、このまま国力の回復を目指す穏健派とで帝国内部も割れているはず。もちろん表面上は平和を保ち、あからさまな争いはしていないだろうが。フォルダールも城内では同じような状況だろう。


 そして人々の生活のうえでは、戦争による後遺症から物価が上がり、麦や塩のみならず様々なものが高騰しているのが現実だ。グレンナもフォルダールも一見すると、問題なさそうに見えるがよくよく見れば不安要素が転がっている。一応の戦争の終結と物価の高騰は、社会から追い出される者を良くも悪くも生む。


(フォルッサやクルディカが表面上だけでも安定しているのは、首都だからこそ……でしょうね。でなきゃ地方領主とはいえ男爵家がこうも苦しいわけないもの)


 国による専売、一括管理など解除されているが、失われたもののほうが遥かに多い。供給量が足りていないのだ。

 首都はやはり役人や騎士隊、何より皇帝の目が直接届くため安定するのも早い。地理的にも前線からは遠く、両国とも首都が巻き込まれたのは何十年とないことだ。しかし小さなことをひとつひとつ取り上げていけば、問題は山積みされているのは想像に難くない。


「物価の高騰、自衛のための武器の売買や傭兵集め……いろんな問題を隠れ蓑に危険なことをしようとしてる人がいないかどうかってことよね?」

「今回の目的はそういうことだな。……つっても、まだ何かあるんだろうが」

「そうだね。こんなよくある話だけで依頼するとは到底思えないし。とりあえず、もう少し町の様子見てくるよ」


 先に話を切り上げたのはジークのほうだった。

 確かに自国と似たような状況だけで、王家が内偵を依頼するはずがない。とはいえ、これ以上はここで考えていても分からないだろう。

 となれば、自分たちも元の目的に戻るべく、足を進めようとするがジークが更に問いかける。


「おう、頼んだ。じゃ、俺たちはもう少し歩いてくる」

「いいけど、どこ行くの?」

「学院。……えーっと、そうよね。ジークも知らないってことよね。――ごめんなさい、実は音痴で」


 ユリアのさらりとした驚愕の告白に、ジークは沈黙こそすれ大声をあげなかった。さすがは兄弟といったところだろうか。しかし兄のヴィレム同様、呆れた溜息を盛大につくことになった。






 グレンナルーン魔法学院。たいていはその学院がある国の名前が学院名に使われている。その後に、都市名や町の名がついてくるため、正確にはこうなる。


 グレンナルーン魔法学院、クルディカ本院。


 規模の大きな研究院まである学院は“本院”、初等科や中等科までだったり、高等科までしかない場合は“分院”となる。

 校舎と幾つかの施設に分かれており、見た目からして頑丈そうな正門は魔法によって施錠されているのが常だ。側には開閉や出入りをチェックするための小さな事務所――四角い小屋がある。小屋といっても真っ白な壁に大きな窓、屋根といっても勾配はなく平らだ。


「そろそろ授業が終わる頃だから、開門時刻だな」


 言い終わるが早いか、鐘の音が周囲に鳴り響く。ここからは見えないが、院内のどこかに時刻を知らせるための時計塔があるはずだ。

 門の向こうの事務所の窓から顔を見せた男性に、ヴィレムが軽く手をあげた。甲高い金属音とともに正門が開けられると、再び歩み始める。


「クルディカだとどこまで入れるの?」

「禁止の区域と手続きしたら入れる場所とあるが、ほとんど問題ねえな。ただ開閉時刻は厳密だし、出入りできる時間は限られてるが」

「図書館も?」

「図書館は入館手続きがいるが、誰かれ構わず締め出したりはしてねえはずだ。フォルダールよりは簡単だろうな」

「ちょっと前に相手がだれかは知らないけど、数日待たされたすえ、事務の人と喧嘩してたって話もあったけど……そういうことにはならないってことね」


 必要な書類やら審査やらで、散々待ちぼうけをくらうのは決して珍しいことではない。このクルディカの学院ではそうではないことに、ユリアは安堵のような息を吐く。

 ヴィレムがちらりと、ユリアを見やり足を止めかける。しかし周囲を見回しながらだったユリアが、これに気づくことはなかった。


 院内は木々や花々も手入れされており、時折風に乗って花の甘い香りが運ばれてくる。陽射しも心地良く、過ごしやすい季節だ。門から各施設までの道は石畳で整備され、ちらほらと授業終りの学生――院生とすれ違う。規定の服装はフードがついた黒いマントのみだ。あとは派手すぎないだとか、動きやすい服だとか、緩い規則はあるものの、細かな指定がない場合が多い。おそらく院生の年齢に幅があるためだろう。


(そういえば一年の時、別のクラスに二十一歳の人がいるって誰かが言ってたっけ)


 中等科の一年、ユリアは十三歳。下限の年齢を超えて相応の入学試験さえ合格したら、いつどこから入学しようと本人の自由だ。しかし二十歳を越えて中等科に入学するのは珍しい。十代の子が大半のため、二十代となると躊躇いがあるのだろう。個人的に魔法士(ガルドル)の弟子となったり、教室へ通い、高等科から入学する。それが二十歳以上の入学者の通例となっている。


 門から正面に見えるのが三階建ての第一校舎。規則正しく並ぶ窓、屋上には万物の神であるオーディンの銅像が院内を見下ろしている。つばの広い帽子を被り、隻眼で魔槍グングニールを携えており、その風格はやはり最高神と呼ぶに相応しいものだ。初老の男性で、逸話も数多い。

 ふいにユリアが銅像を軽く指差しながら、声量を落とし神妙な顔つきで問いかける。


「最高神だっていうのは分かるけど、でもあの格好や雰囲気は怪しすぎじゃない? 一般的だっていうのも分かるのよ。でもこういう場所なんだし、もうちょっとどうにかならないかなって思ったりしない?」


 その問いにヴィレムが足を止め銅像を見上げたため、ユリアも同じく立ち止まる。チラチラと感じる視線は院生たちからの視線だ。もちろん注目を集めているのはヴィレムなのだが、当の彼は気にもしていない。


(分かってたことなんだから、大丈夫。気にしないのよ、ユリア)


 幸い院生たちも声量を落としているのか、会話の内容までは聞こえない。できるだけ視界に映さないようにすれば、なんとかなる。多分。

 鼓動をいくつか数えた後、彼が頷いて再び視線をユリアへと向けた。


「――なるほど、確かにな。そういうもんだって思って気にしたことなかったが、言いたいことは分かる」

「本当!? ありがとう! こんなこと言うと怒られたり、いい顔されなかったりするから、分かってくれて嬉しいわ」

「信仰深いヤツ相手だと特にそうだろうなぁ。それでなくても、あまり好きに言えない風潮があるし」


 ルーン文字を生み出したのは他ならぬオーディンだ。真偽は定かでないもののオーディンを悪く言ったり、失礼な物言いでもあれば、効果がなくなると言われている。あくまで言い伝えだが、多くの魔法士や薬師はそれを信じているのが現実だ。オーディンを始め、加護を得たい神を丁寧に祭り崇めている者さえいる。


「怒られるかもって分かってて何で俺に言ったんだ?」

「何でってあなたならそういうものに対して、それほど信じてないでしょう? きっと。神様とか信じてたらもう少しまともな性格してると思うもの」


 彼の性格上、ルーン魔法に対して狂信的ではないのは明らかだった。多少なりとも信仰という気持ちがあるのなら、もう少しこの性格もきっとどうにかなっていた――はずだとユリアは思う。

 少しくらい言い返せたかと思ったが、ヴィレムは喉の奥で笑い頷いた。


「そりゃ確かに違いねえや」

「……ちょっとくらい悔しがるなりするかと思ったけど違うのね」


 ユリアがぽつりと呟いた後、こちらへ近づいてくる女性が目に入った。ヴィレムがあっさり認めたことに悔しさは残るが、ひとまずは一時休戦のようだ。


「こんにちは、ヴィレム。新妻に院内の案内はいいけど、適当なところで切り上げてくれないと、院生たちが帰れないわ」

「うるさい。見てたならさっさと出てこないおまえが悪い」

「あら、ひどい。出来るだけ邪魔しちゃいけないって思ったのに。ここで立ち話もなんだし、まずは移動しましょう」


 聞こえた涼しげな声音に遠慮するでもなく、ヴィレムはぴしゃりと言い返した。どうやら彼女は既にユリアのことを知っているらしい。刺々しいヴィレムの物言いを気にすることもなく、場所を変えるようにと促してくる。


 明るい茶色の髪を片方へ流し、眼鏡をした知的な雰囲気の女性。ヴィレムとそう変わらない年頃に見える。事務職らしい落ち着いた格好だが、スカートの丈は少々短い。それによって女性らしい色香が垣間見えている。


 彼の言葉にユリアは思わず周囲に視線を走らせた。今まで意識的に考えないようにしていたが、こちらを気にする院生たちと視線が合えば途端に気恥ずかしくなる。思わずふいっと視線をそらしてしまいそうになったところ、急に腕をひかれた。


「何ぼんやりしてんだ、行くぞ」

「あ、はい!」


 偶然か、計算か。少なくとも動揺して奇妙に目をそらしたようには映らなかったはずだ。ヴィレムが腕をひいてくれたから。


「どうぞ、こちらへ。図書館へご案内しますよ、ユリア嬢」


 丁寧な女性の言葉に、ユリアは頷く。彼女が先導して、二人が後に続いた。


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