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 これはさすがのヴィレムにも青天の霹靂だったようで、一度部屋を出て静かにドアを閉めた。深呼吸でもしていたのか、しばらくして戻ってきた。何も言わずに、ユリアの隣に座る。


「なんで黙ってた?」

「……だって、半ば強行軍であれこれ忙しかったし、普段呪歌まで使わないし、色々覚えることも多くて……」


 何か目的か意図がなければ呪歌までは必要がない。例えば、季節による行事で大きな焚き火が必要だとか、人の手では到底鳴らせない教会の鐘を鳴らすとか、ヴィレムのように戦闘行為や自衛が必要な職種。


 もちろん、フォルダールにもグレンナにも一定の犯罪者はいるし、治安の良し悪しも地域によって違う。しかし自衛が必要なほどの犯罪が多発するのは、町の中でも特に治安の悪い区画である。そこに近寄らず、夜出歩かない、人の多い場所で持ち物を手放さないなど基本的なことに気をつけていれば、まず問題ない。国の中心となる城がある町は、一番治安が安定しているところでもある。それらを踏まえ充分気をつけていても、スリや盗みに合う時は合う。確率は低いが、こればっかりは運がなかったというだけのことだ。


 ヴィレムは呆れたように大きなため息をついた。ユリアの感覚はむしろ普通だ。向き不向き、職種など理由は様々だろうが、日常生活程度の魔法は使えても呪歌(スペル)までは使わない、使えない人間は多い。何より決まってからはひと月そこそこの強行軍だった。それを思えば、ユリアの言い分も分からないでもない。


「物事の理解も早いし、危ない仕事の割りに落ち着いてるから騙された……。よくそれでウチで働こうと考えたもんだな。きちんと確認しなかった俺も俺だが……」

「だ、だって、学院は卒業してるし、歌えないだけでひと通りのことは分かってるし、確認されて歌えないならダメってなったら諦めようと思ってたし……。も、もしかして雇用契約終了……?」


 ユリアはおそるおそるヴィレムの様子を伺い問いかけた。

 知識があることと、その知識を使えるかどうかはまた別問題だ。とはいえ、生活に魔法が溶け込んでいる以上、知識としてあって困るものでもない。


「今更白紙に戻したって面倒なだけだ。……剣が使えるわけじゃないんだな?」

「剣も弓もしたことないわ。護身術程度なら習ったけど、多分意味はないわね。もののついでに言うけど、馬は乗れるわよ。子どもの時から好きで良く乗ってたし、全力疾走できるから」

 要するに運動神経はいいが、戦力としてはアテにできないものだ。


「ルーン魔法の構築式や応用、解読は?」

「自信あるわ、さっきも言ったけど学院も通ってたのよ。歌えないことと学費のことがあって、中等科までしか行けなかったけど、その後は父の知人の魔法士(ガルドル)の弟子になったの。相変わらず歌えなくて、実技はさっぱりだったけど」


 日常生活に魔法が溶け込み始めると、世界中でルーンを学ぶための魔法学院が開院される。文字通りルーン魔法を学べる場所だ。小さな子供には初等科があり、フォルダールでは日常的な読み書きなども教えている。高等科、研究院もあるが、ユリアは中等科の卒業までとなった。

 国によって学費や在学年数など多少の違いはあるが、グレンナ――クルディカにも学院は存在する。


「学費って……ああ、そうか。中等科までなら食うに困るような生活さえしてなけりゃ行けるが、高等科だと跳ね上がるか。奨学金制度はあるが、実技で落とされたクチだな」

「――思い出したくもない事実を……っ! というか、なんでそんな詳しいの!?」

「図星ってヤツだな。なんでって俺も学院出身だからに決まってるだろう。高等科から入って卒業してからは独学。たまに他の魔法士に聞いてるな」

「……何歳で卒業したの? って聞きたいけど、あなたが言うと嫌味にしか聞こえなさそうだから自分で言うわ。高等科ならどの国も最低在学年数は三年だから……十八ね」

「ついでにいうと、おまえが貰いそこねた奨学金と返済免除を勝ち取った」


 それぞれの科で入学するために必要な年齢の下限はあるが、上限はない。在学年数も人によっては高等科で五、六年過ごしている。

 ユリアはヴィレムの答えに片眉を跳ね上げた。


「初等科と中等科を飛ばすなんて、本当嫌味だわ」

「魔法を学ぶのは学院だけじゃないのは知ってるだろ。魔法士が個別に弟子をとったり、基本的なことだけなら、小さな教室を開いてる魔法士も多い」

「ええ、もちろん知ってるわ。けどあなたから聞くと、それすらも何だか癪に触るのよ」

「妬みってやつか」

「……あのね、もしヴィレムに人の心を読む能力があったとしても、読んだものを表に出すのはいけないことだと思うの」


 ヴィレムはなんでもないことのように告げるが、ユリアはこめかみあたりが引きつるのを感じた。

 たとえ察してしまっても、正直に口に出すのはいかがなものか。そしてそれが図星とくれば、当然ユリアにとって面白くない。


「今更そんな遠慮する仲かよ。さ、ここでこれ以上うだうだ言ってたって仕方ねえ。そうと分かったからには行くぞ」


 彼の言い分に一理あるようなないような。確かにヴィレムの性格や口の悪さは、昨日今日のことではない。いちいち腹を立てていてはユリアの身がもたない。

 ユリアは気持ちを切り替えようと、深呼吸した。


「どこへ?」

「決まってるだろ、学院だ。まだ明るいし、院内の図書館も開いてるだろ」






 他の国の学院をユリアは知らない。もちろん知識としてはあるが、直接見るのはこれが初めてになる。

 ヴィレムの私室を出ると、ユリアは半ば強引に手を引かれるまま廊下を歩む。

 魔法士の端くれとしては、他国の学院に入れるのは純粋に嬉しい。しかし学院に行ったところで、この音痴がどうにかなるわけではない。


(多分何か目的があるんでしょう。それも気になるけど、なにより……)


「学院に行けるのは嬉しいけど、夫婦とはいっても私は他国出身者よ。院内はともかく、図書館まで入れるの?」


 フォルーダルでは、なんだかややこしい手続きがあった気がする。国によっては総力をあげて研究し、時には武力として使われるため、他国出身者は立ち入りを制限される場合が多いと聞いていた。


「フォルダールほど難しくはないから、心配ねえよ。そろそろ黙って大根役者に戻らねえと、皆聞かれるぞ」


 階段を降り始めると、ヴィレムの忠告通り使用人が忙しなく行き来する気配が感じられた。やっぱりひと言多いが、こうなってはユリアは黙るしかない。


(そうだわ。口で抗議できない時は、演技で見返してやればいいのよ。とにかくまずは、絶対ヴィレムに笑われないこと!)


 目標を決めてみたものの、自分で自分の様子は正直分からない。とにかくドレスの裾を踏んで、盛大に転ぶような真似だけは避けなければならない。仕事としてもそうだが、やっぱり恥ずかしい。

 今も手は繋いだままだ。ひとつ目標を定めたら神経を集中させるべく、自分より大きな手だとか、違う体温だとか、そういったことは頭から排除した。それで頭の中真っ白という状況は避けられると、少なくともユリアは思っている。

 やたら長かった気がする階段もあと数段。せめて階段で転ばないように、変に意識しないように。そんなことばかり考えていたせいか、ユリアは歩み寄ってくる気配に気づかなかった。


「お二人でおでかけですか?」

「――え!? あ、わっ……っ!!」


 唐突にかけられた声は、荷物の片付けに奔走するエリクだ。

 ユリアは思いっきり階段を踏み外した。その反動で前方へ倒れこむような形になり、思わず目を閉じる。

 あと数段といえど二人揃って転がるか、ヴィレムは上手く避けて自分だけ転がるか。それも使用人たちが行き交う前で。

 痛みと衝撃が来るかと身構え、ぎゅっと目を閉じた。


「何してんだ。相変わらずドジっつーか、ぼーっとしてるっつーか」


 頭上からふってきた声に、ユリアはおそるおそる目を開ける。すぐ目の前に、ヴィレムの端整な顔があった。海のようなくすんだ色の瞳が、ユリアの顔を映す。

 前方へ倒れかけて、そのままヴィレムに抱きすくめられている。それを自覚した途端、さっきの決意もどこへ行ったか、脳内は真っ白だ。


「……!! ご、ごめんなさい、だ、大丈夫、だから、はな」

「ダメだ。本当に転んだらどうする」

「え、で、でもみんな、見て」

「このくらいで文句言うようなヤツ、雇っちゃいねぇっての」


 ユリアの動揺も頂点に達し、ヴィレムの腕から逃れようと試みるが場所は階段。下手に暴れたら、本当に転んでしまう。そんな心配がよぎってついユリアに力が入ってしまうのか、それともヴィレムが本気で離そうとしないのか。真実は分からないが、あっさりと横抱きにされ、思わず彼の首元に手を回したのだから、自分で自分がよく分からない。


(な、何してるのかしら。わ、私……)


「仲が良いんですね。おでかけはどちらへ?」


 痴話喧嘩とも取れる主人夫婦の言い合いに、エリクは動じる様子もなく、的確に使用人としての務めを果たそうとする。いつからヴィレムの元で働いているのか、とても十三歳の仕事ぶりには見えない。

 ユリアを抱えたまま、エリクと話しながら玄関へと歩むヴィレム。


「ああ、馬車の中ばかりで窮屈だったし、散歩ついでに学院へ行ってくる」

「ユリア様も魔法士(ガルドル)でしたね。ですが、ユリア様はお疲れでは……?」

「す、少し外の風にも当りたいし、フォルダールと違う学院も見てみたいから、大丈夫よ」

「面倒なことはしねえよ。簡単にユリアの紹介してくるだけだ」


 この状況で、さすがにエリクを視界に映すことはできず、視線は明後日のほうを向いたままだ。

 支えてくれる腕、肩、胸板も、何もかも違う。異性なのだから当たり前だ。理性は分かっていても、心はそうはいかない。甘い香りが鼻先を掠め、自分とは違う体温が衣服を通して伝わってくる。


(あ、あと少し! あと少しの辛抱よ! ここを出るまでなんだから!)


「承知しました。夕食の準備もあります、あまり遅くならないでくださいね。――それからこれを」


 エリクが玄関の扉を開ける。そこへ駆け寄った使用人のひとりが、エリクに差し出した長剣。両手が塞がっている主人に代わり、慣れたようにエリクは長剣をヴィレムの腰へと繋げた。やはり剣の柄も鞘も真っ黒だ。


「分かってる。あと頼んだ。……お、ありがとな」


 礼を告げた後、ヴィレムが外へ出ればそのまま足を進めた。


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