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 クルディカは山を背にした都市だ。山から流れる川を水源とし、赤茶けた屋根が多い。石畳の大通りには、様々な露店が並んでいる。花の良い香り、肉の焼ける香ばしい匂い、それらに吊られるように集まる人々。あるいは、思い思いに好きな店を訪ねてまわる旅人。どこかの屋敷の使用人か一部は足早に通り過ぎていく。


 戦争中の張りつめた空気はなく、どこか気楽で浮き足立った雰囲気が街中に流れているのは、ようやく戦争から解放されたからだろう。


 城門へ繋がる大通り、そこから少し脇道にそれたところにヴィレムの家はあった。城へ行くのもそう遠くなく、歩いていける距離にある。

 他の家となんらか外観は変わらない。とはいえ、商人としての仕事の都合もあるのか、豪邸や屋敷といっても問題ない程度の広さを有している。


「わー……思ってたよりひろーい」


 屋敷のドアを開ければ、隅々まで掃除された内装がユリアの視界に映る。飾ってある花や絵画に惹かれ歩み寄るという、十七歳の少女らしい顔を見せるユリアに、荷物を運び入れている使用人たちはこっそりと笑みを浮かべていた。

 そこへ使用人の目があるためか、ヴィレムは見守るように後方に立つ。


「どういう意味だ、それは。どんなの想像してたんだか」

「フォルッサの屋敷も広かったから、こっちは普通の家を想像してたのよ。あるでしょ、仕事の規模とか利益との兼ね合いとか」

「普通の家じゃ仕事が出来ないな。て、貴族のお嬢様がそんなこと考えてたのかよ」

「ヴィレム様、皆そろいました。……どうされたのですか? その頬の痣は」


 ふいに聞こえたのは、少年の声だ。そちらへ目をやれば、使用人と思しき数人がヴィレムの側に控えていた。広さと彼の仕事を思えば、屋敷の者全員ではないと想像できる。おそらくは、特に近しい者や重要な位置にいる人間だけだ。

 ヴィレムの一番近くに控えている少年は、十三歳くらいだろうか。目尻の下がった優しそうな雰囲気がある。彼が指摘したのは、ヴィレムの頬にある平手打ちの痕だ。


「――ああ、ご苦労。これは……少し喧嘩しただけだ。気にしなくていい。ユリア、おいで」


 声色が変わった。ここに着くまでは必要なかった、甘く優しいものだ。愛する人に対して使うはずのそれ。

 ヴィレムが手をこちらへ差し出してくる。 


(演技よ……演技! 振り回されちゃダメ! 経験なんか、関係ないわ。これも仕事だもの)


 ユリアからすれば仕事である以上、人の目があるところで、その手を払えるはずもない。そっと手を重ねれば、彼に引かれるように数歩前へと足が進む。そのまま腰に手を回され、寄り添うような形になる。


 ユリアにいわゆる男女経験などあるわけもなく、こうして目の前にするとどうして断固拒否しなかったのか、領地のためとは言っても自分が恨めしくて仕方がない。自分とは違う手、ドレスの上から感じる違う体温、ほのかに甘い香りがするが、それはヴィレムが服に使っている香料のはずだ。甘い香りといっても重くなく、嫌味のないものでユリアからすると、彼の外見から受けるイメージと、少しギャップを感じているのが正直なところだ。


 しかし今は、その香料について考えている余裕はない。ごく僅かな時間だろうが、あまりにも長く感じるのはどうしてだろう。

 使用人数人の視線がユリアへと集まる。使用人は体格の良い青年や優しそうな壮年の男性、大人しく控えめな女性とそれぞれだ。当のユリアには暴れる心臓に負けて、全く視界からの情報が入ってきていないのだが。


「屋敷の雑用を引き受けてくれてる使用人たちだ。一番用がありそうなのは……エリク、だろうな」

「宜しくお願いします、ユリア様」

「……え、ええ、宜しくお願いします」

「あとはまた追々でいいだろう。一度に言ったって覚えきれねぇだろうしな」


 会釈と、かろうじてひと言の挨拶でで精一杯。何より自分がどういう表情して、どうやって会釈したのか、何をしたのか。全く自分では分からない。ヴィレムとエリクの会話も耳に入らないままだ。


「二階を案内してくる。エリク、後は任せた」

「はい、何かあればまた声かけますね」






「つ、疲れた……!」


 ユリアはドレスにシワが寄るのも気にせず、目の前のソファになだれ込むように座った。

 屋敷の二階はヴィレムの私室や書斎、客間といった部屋が並んでいる。物置や簡易キッチンも合間に並んでおり、自分たちの生活だけなら一階へ下りる必要もない。


 ユリアが案内されたのは、ヴィレムの私室だ。暖炉があり、その前にはソファ、ローテーブル。それとは別に食事などのためか、木製の椅子が四脚とテーブル。上が本棚、下半分に引きだしなどがあり、物をしまえるタイプの棚だ。エントランスから見れば質素というか、簡素というか、生活感がない部屋だった。が、ソファの座り心地だけは抜群に良い。


 ヴィレムは、棚から本をいくつか選び始めているが、それよりもまずユリアとしては抗議がしたい。


「あなた、絶対、面白がってるでしょう!」

「面白がる? 仕事だ。仕事。そりゃまぁ、大根役者ぶりには笑いそうになったがな」

「ほら、やっぱり面白がってるんじゃない!」

「あんまり大声だすと誰かに聞かれるかもしれないぜ?」

「あ、やば」

「なーんてな。この部屋と隣の寝室なら少しくらいは構わねぇよ。外に聞こえねぇように魔法かけてあるから。ルーン文字見つけてもいじるなよ。簡単に消せないようにはしてるが」


 ルーン文字は日常で使う文字とは別の特別なもの。ルーン魔法を行使するための文字である。魔法を行使するためには、ルーン文字で構成された歌、呪歌(スペル)を歌うこと。呪歌を省略し、単純にその文字だけを読むことでもルーン魔法を使えるが、その場合の威力は半減されてしまう。

 となると、ユリアはふと思う。ヴィレムが傭兵団(ヴァイキング)の一員であるのは、彼と取引がある相手なら大抵は知っているらしい。剣を始めとする武術も、おそらく相当な腕があると想像できる。


(この顔で商売はやり手で、更に魔法の腕もあるとか……??)


「……ヴィレムも魔法士(ガルドル)なの?」

「ああ、魔法も使える」

「――いくらあなたが傭兵団のひとりだからって、なんかすっごく悔しいわ。色んな意味で」


 世の中不公平だ。神はこんな男に、二物も産物も与えたもうたようだ。


「俺を見返すくらいのイイ女になりゃ済むことだろ」

「その代わり性格はどこまでも悪いのね。で、ヴィレム、さっきから何をしてるのかしら?」

「んー……おぅ、揃った」


 ヴィレムがローテーブルの上に置いたのは、数冊の本と地図が二つ。


「何ってとりあえずおまえに必要そうなもの。ルーン魔法学から、帝国の地図。こっちがクルディカ内の地図。観光ガイドも。学院の図書館ほど揃ってはないが、書斎にも魔術書や解説書がある。必要ならエリクに言えよ」

「待って。地図は分かるし王都でも何度も見てるけど、魔法学? 観光ガイド?」

「台所事情があるといっても、こんな仕事を受けるだけの根性あるのに、そこで頭回らないのか」


 ヴィレムは呆れたようにため息を吐いた。

 さっきまでの甘い声音が嘘のように、いちいち癇に障る物言いである。


(あれね、底意地が悪いってきっとこういう人のこと言うんだわ)


「なによ、悪かったわね」

「いや、最初から何もかも出来るほうが怖えよ」

「――あなたにもまともな感覚ってあったのね」

「お褒め頂き光栄ですよ、姫。で、魔法学は復習ってやつだよ。日常生活だけじゃ、呪歌まで使わねえだろう、いざって時の手段くらい持ってたほうがいいだろ。自分の身くらい守れる程度にはな。観光ガイドは地図だけ見たって面白くないだろう」


 ユリアは出来るだけ嫌味っぽく言ったつもりだったが、簡単に茶化されてしまった。そっと息を吐いて気分を変えた後、ユリアは目の前に積まれた一冊をとる。それをパラパラと数ページめくった後、ヴィレムへと視線を向けた。


「なるほど、それはそうね。この際、復習しておくのも」


 ユリアは言いかけたまま固まった。見る間に顔が青ざめる。

 ヴィレムは首をかしげ、怪訝そうに視線を向けた。


「――何故そこで止まる? ルーン魔法の使えるんだろう? 手配書にも書かれてたしそれなりに使えると」

「使えないの」

「……は?」


 今まで忘れていた。両親の説得のほか、復習すること、覚えるべきことはたくさんあった。それは魔法学というよりも、帝国のこと、帝都のこと、彼と親交がある貴族のことだったりと、魔法については一切出てこなかった。


(普段使わないから、すっかり忘れてたわ)


 人によるといえばそれまでだが、火をおこしたり灯りをつけたり、ルーン魔法は日常生活にも溶け込んでいる。しかしその程度の魔法なら、威力はまず関係なく、呪歌も必要ない。意味を理解し魔力を持っていることが前提になるが、日常生活程度の魔法はルーン文字を読めばいいだけだ。


「だから、使えないの。……正確には歌えないの、私。音痴で」


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