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 グレンナ帝国の帝都、クルディカへ向かう道中。ユリアは馬車の中で、このひと月ほどで聞き慣れた声と共に、肩を揺さぶられ意識が浮上する。


「……ア、……リア、ユリア」

「……――っ! ……いったぁ……」


 突然の衝撃にユリアは、涙目で窓にぶつけた頭を抱えた。ヴィレムが起こそうとしてくれたことと、馬車の揺れとが重なったのだ。寝起きのぼんやりした頭には、充分すぎる打撃。ようやく目は覚めたものの、目の前で肩を震わせる雇い主、今は夫となったヴィレムの様子が視界に入る。


「笑いたいなら笑えばいいじゃない」

「――んじゃあ、遠慮なく」


 言葉通りにヴィレムはひとしきり笑った。ユリアの正面に座っている彼が、いまや形式だけとはいえ夫となった。

 ユリアより五歳年上の二十二歳、肩につかない短い黒髪に今日も全部真っ黒。顔だけはどこかの劇団の主役か、はたまた貴族の子息か。そんな想像をしてしまうほど美丈夫でもある。

 グレンナ行きが決まってからというもの、怒涛のような日々が過ぎた。


(形だけとはいえ、あんな紙一枚で納得するとはね。他の利益もあるんでしょうけど)


 もちろん、両親が本当に納得したとはユリアも思っていない。それでも許可するだけの譲歩を引き出す効果があった。抵抗していたはずの結婚だが、最初とは状況も相手も違う。ヴィレムとはある種利害関係が大部分を占めるせいか、ユリアもこの結婚自体に何も文句はない。

 表向きの事情は、既に決めてある。社会勉強にフィレンツェン商会で働き始めたところ、ヴィレムに見初められ結婚となった。全くの嘘ではないし、身分差も障害にはならなかった。顔が広く、あちこちに影響力のある商人。彼との姻戚関係は下級貴族にとって、価値のあるものだからだ。


 ユリアは眉を寄せ、窓から外を見やる。雲はあるが良い天気だ。遠くに見える山には鮮やかな緑が広がり、街道に沿って植えられた木々も葉を揺らしている。二羽の小鳥が追いかけっこのように空を横切った。冬の間、じっとしていた動物たちも動き出す季節だ。


 馬車の内装は、辻馬車と比べれば格段に良い。掃除も行き届いており、比較的快適である。もっとも盗賊対策のため、外見は辻馬車と変わらない。


 ユリアは腰の辺りまである金の髪を、後頭部でまとめ括ってある。ドレスは裾にレースが使われ、華美には見えない品の良いものだ。ドレスといっても裾が広がらず、比較的動きやすい。膝上で持っているのは外に出る時の白いショール。まさに良家のお嬢様といった雰囲気だが、見た目には分からないようにポケットがついているから、割と機能的に作られている。

 ひとしきりヴィレムが落ち着いたところで、ユリアは改めて声をかける。


「でも、本当によかったの? いくら私がこの仕事をやるからといっても、あれだけの額を引き換えにしては、あなたが損でしょう?」

「そうだな、損ではあるが見返りもある」


 見返り。目下のところでは、貴族と姻戚関係であることだろうか。とてもそんなことに頼るような男には見えない。なんであれ、ヴィレムの元に内偵の依頼が舞い込んだ経緯を知らない以上、その辺りはすべて想像の域を出ない。


(ヴィレムの場合あれこれ詮索したら、逆に知らなくていいことまで出てきそうよね)


 偏見かもしれない。しかしあながち間違いではない気もする。ともあれ、今言うべきは違う言葉だ。


「……何にしても、お礼は言うべきだと思うの。相変わらず台所は火の車だけど、両親がもうしばらく頑張ってみる気になったんだもの」

「感謝するなら、エリクにするんだな。俺はすっかりあの借用書を忘れてた」

「それでよく商人やってられるわね。……クルディカに着く前に、もうひとつ聞いていい?」

「ああ、なんだ?」

「どうして私だったの? 雑用係の募集も嘘ではなかったんでしょう?」


 食堂、宿屋、その他公共の場所では、求人広告が掲示されていることがある。ユリアが見つけたのもその中のひとつだった。幸い、貴族の娘といってもユリアは自分のことは自分でしていた。貴族に必要な教養は修得しているが、後は平民の娘とさして変わらない育ち方をしていることも分かっている。

 平民の娘が少々教養が高いからといって、人選がこうも簡単に済むような仕事でないはずだ。


「確かに人手が足りずに、雑用係も嘘じゃなかった。どうしてって……最初に言ったろ。“ワケありなら帰らなくていい”って」

「……あの言葉、本気だったの?」


 あれは冗談だとばかり思っていたのだが。ユリアは呆れた視線を向けるが、ヴィレムにはどこ吹く風のようだ。


「普通に探したって断られるのがオチだろ。何ヶ月、下手すりゃ一年以上帰れないとなりゃ、相手は限られてくる」

傭兵団(ヴァイキング)なら魔法士(魔法士)でも何でも、頼めそうな知り合いくらいいるでしょう? いくらなんでも、こんな仕事を素人に……」

「それだ。素人って部分」

「なに? どういうこと?」


 素人だからこそ、何か失敗をやらかすのではないか。ユリアにはルーン魔法の知識はあるが、ただそれだけ。国からの依頼に協力するような実力などないに等しい。

 しかしヴィレムには違うらしく、素人の失敗や間違いなど全く頭にないようで、自信満々に答える。


「色々しがらみがないってのが良いんだよ。ただでさえ俺は、向こうでも出入りしているところがある。あれこれ粗探しされて突かれるより、最初から何にもないヤツにしておけばいちいちピリピリしなくて済むだろ」

「一応筋は通っているようだけど、アテにされていないことは分かったわ。私がドジったらどうするの?」

「ドジるようなヤツを採用した覚えはないが」

「何でそんな自信あるのよ」

「人を見る目があるから。少なくとも最初から及び腰だったり、根性や覚悟のないヤツならこうして馬車に乗ってたりしねぇだろ」


 さすがにこれにはユリアも沈黙した。会ってひと月も経っていない相手をそんな理由で信用するのか。それとも本当に彼の目がアテになるのか。

 何もかも見透かしたような口振りに、ユリアはふいっと明後日のほうを向いた。そんな風に言われては、ユリアの逃げようがなくなる。ヴィレムにとって計算の上でか、それとも無意識か。


(逆を言えば、私は逃げだしたりしないって言ってるようなものよね。なんだかすっごく卑怯だわ……この言い方)


「ついでに言うと、この結婚がカモフラージュだってことをクルディカの屋敷じゃ俺とジーク以外は知らない」

「え? どういうこと?」

「つまり、俺とおまえは本当の夫婦を演じることになるから、今から覚悟しておくんだな」


 この後、馬車の中からユリアの盛大な平手打ちが決まった。

 秘密を知る人間は少ないほうが良い。そう言われれば、ユリアに拒否権はないに等しい。しかし、それを言うタイミングがクルディカへ着く前の馬車の中だったのは何故か。

 ――やはりヴィレムは性格が悪い。


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