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ヴィレムたちがアピッツ家、また領地内の財政状況諸々を把握し、両親を説得する材料を揃えるのに数日。しかしユリアの捜索に、騎士隊や役人が動き出した形跡は見られなかった。
ユリア、ヴィレムとジークの三人はアピッツ家の屋敷を訪れている。ユリアにとっては、帰ってきた、のほうが正しいだろう。
貴族としての体面をかろうじて保つ程度の調度品や意匠。屋敷の内装を見れば貴族といっても、ほとんど平民と変わらない生活なのがよく分かる。一見すれば借金と結びつきはしないが、貴族という割には貧乏。まさにそんな屋敷だ。
一室でユリアは両親と対峙し、家族は向かい合ってソファに座った。テーブルにはいくつかの書類や封筒が並んでいる。
アピッツ家当主であるユリアの父は、人当たりの良い雰囲気を持った四十路の男。元々騎士の家系ではないため、体格は良いわけではないが、当主然とした威厳はある。
「そうよ! この仕事を受ければ、議会や王様からご褒美や報酬が出るかもしれないわ。そうしたら交付金でも援助でも、受けれるかもしれない。一石二鳥でしょ!!」
「しかし、ユリア、大事なひとり娘を危険な目に合わせてまでどうにかしようと思う親などいない」
「体のいいこと言ってるけど、嫁入り前の娘が失踪なんて聞こえが悪いから、公に探そうとしなかったんでしょ。私がヴィレムの屋敷へ行ったのだって、もう何日か前になるのに、騎士隊も何も動かなかったそうじゃない」
そんな父の言葉に反発し、ユリアはふいっと顔を背けた。相変わらず少年に間違われそうな服装で足を組みかえる。
母親はユリアと同じ金の髪で、やはり背格好がよく似ている。顔を見れば重ねた年齢の分は感じるものの、品の良い所作にスラリとした体型で遠目にはユリアのような娘がいるとは思えない。
娘の様子に女は、言い聞かせようと必死だ。
「ユリア、聞きなさい。全てただあなたの幸せを願ってのことよ。それを」
「あー、アテにしてるのが分かるから嫌いなのよ。縁談の話だって、唐突だったじゃない。明らかにどうにもならなくなってって感じで」
母親の言葉も遮り、ユリアの口振りには次第に棘が混じり始めていた。それは両親二人も分かっているようで、どうしたものかと顔を見合わせている。
アピッツ家では客人となる青年二人は、気を遣ってなのかあえて立ったままだ。近くの窓から外の景色を眺め、話し合いの様子を時折気にするように視線を向ける。しかし、家族の問題が絡んでいるためか、口を挟もうとはしない。
――少なくとも、ここまでは。
「……男爵、ひとつ提案しよう。全額棒引きなら、許可いただけるかな」
何も知らなかったユリアからすれば、借用書の額は気が遠くなるものだ。
貸した側も即決できるような額ではないはずだが、彼の申し出にユリアの両親も目を見張った。何度か娘とヴィレムとを交互に見やり、明らかに迷っている様子だ。
「依頼人の名を明かすことは出来ないが、これは議会や王家も含めた国からの依頼だ。それを蹴るのは、アピッツ家の名誉にも関わるのでは?」
「兄さんの言う通りだと思います。騎士の家系でないのは知っていますが、議会での影響力が増すのは、貴殿にとっても損はない。この件が成功し、議会の上層部や王家へ伝われば利点はあるでしょう。ここで迷う理由はないと思いますが」
青年二人の言い分は正論だ。
内偵というなら城や王家が関わっているのは当然。半ば成り行きとはいえ、この話を蹴る理由は少ない。
男は腕を組み、困惑した顔を見せる。
「しかし……どうして娘が? 魔法の心得はあってもただそれだけの、まだまだ子どもですよ」
「貴族のお嬢様だというのに、躊躇いもなく飛び出してきた勇気は理由にならないか? 話してみれば頭の回転も文句ない。充分役目は果たせると見込んだんだがな」
つまり物珍しいということだろうか。
確かにユリアは貴族令嬢としては、物珍しい部類に入るだろう。それがユリアを選んだ理由になるとは、今のところヴィレム以外誰も思っていない。
「ただの無鉄砲なじゃじゃ馬娘に、出来ることとは思えないんですが」
「お母様、仮にも自分の娘を」
「おまえは黙っていなさい」
ユリアとしては母からの不本意な評価に抗議をしようとしたが、父親の言葉に遮られる。
「必要な教養があって、知識があって、それなりに頭が良くて、健康なら目先の問題はない。これでも人を見る目はあるつもりだ」
「そういっても危険だと分かっているところに、娘を好きこのんで放り込みたい親などいませんわ」
「……それは道理ですね」
商人であり傭兵団のひとりとなれば、人を見極める目は確かなのだろう。その場の言動から、あまりにも疑わしく見えてしまうが、一概に否定することもできない。それは商人としてのこれまでの実力や、内偵という仕事を回されることが証明している。
しかしそれでも、親心は納得できるはずもなく、至極もっともな反論にジークが頷いた。
その様子に押し返せると踏んだのか、男が援護を続ける。
「ああ、そうだ。いくら全額棒引きといえど、大事な娘の身の安全は、どこにも保証されていないではないか」
親としてはもっともな言い分だろう。
ヴィレムは少し考えるような素振りをしたが、相変わらず余裕を保ったままだ。数呼吸ほど間を置いて、笑みを浮かべる。次いでテーブルの上の封筒から、一枚の用紙を取り出す。
「これならその保証になるだろう?」
テーブルの上に差し出したのは、既に名前や必要事項が記入された婚姻届だった。