【1】
町角に案山子が立っていた。十字に組んだ棒に布を巻き、頭の部分には破れたサッカーボールが被せてあるだけの簡素なものだった。装飾といえば、横棒の両端に薄汚れた軍手がついているぐらいである。
サッカーボール頭の案山子はとおりかかった男の子にいう。男の子はこのあたりを縄張りとする野良ネコを探しにきていたが、声をかけられたのでしかたなく案山子のそばに近寄った。
「やあ、こんばんは、だれかさん」
挨拶を返して、なぜこんなところにいるのかと男の子が問うと、すこし笑ってから案山子は話した。
「わたしは案山子だから、とうぜん鳥類から作物を守るためにつくられた。でも、仕事場である田んぼへつくまえに、わたしをつくった人がここへおいていってしまったんだ。まるで理由はわからない。普通に考えれば、わたしがいらなくなったのだろうけれど」
男の子は周囲を見渡し、このあたりに田園地帯はあっただろうかと考える。すぐにありはしないと結論付けた。あるとしたら、この町を抜けていったさきであろう。しかし、そんな遠くまで男の子はいったことがなかったから、確信できなかった。
「ねえ、わたしは自分の本分をはたしたいんだ。だからお願い、わたしをどこかの田んぼまで連れていってくれないかい? ほら、わたしはたいして重くはないから、きみにだって運べると思うのだけれど。もちろんお礼はするよ」
「田んぼならどこでもいいの?」
「かまわないよ。わたしをつくってくれた人の田んぼを、わたしは知らないから。とにかく、案山子としての役割をまっとうしたいんだ。」
持ちあげてみれば、たしかに案山子は軽かった。これなら持ち歩けそうだ。
「ところで案山子さん」男の子はたずねる。「どうしてあなたはしゃべることができるの?」
「不思議なことかい?」案山子は不思議そうな声音で答えた。
身の丈の倍はある案山子を持って男の子は歩く。すれ違う人たちは思わず男の子と案山子に目をとめてしまう。いくら確認してみても、男の子が持ち運んでいるのはアサガオの鉢ではない。
男の子と案山子が空地の横をとおりすぎようとしたとき、空地の中心にこどもたちが集まっていた。なにやら深刻な表情を各々うかべている。
「どうしたのだろう。ちょっと見にいってみよう」と案山子がいう。
「いったいどうしたの?」と男の子がこどものひとりにたずねる。自分よりもひとつかふたつ学年が下の男の子だった。話しかけられたこどもはめんどうくさそうに男の子のことを見、案山子をかかえているのに気づくとうさんくさそうな顔をした。しかし、視線が頭部へまで至ると、まったく逆の表情をうかべた。
「そうそれ、それなんだよ!」こどもは案山子の頭を指差す。その子の声に、ほかのこどもたちも男の子の存在に気がつく。気がついて、やはりめんどうそうな顔をしたかと思うと、案山子の顔を見て歓声をあげる。
「そうそれ、それなんだよ!」
いったいどういうことかと男の子は問う。こどもたちは円を解いて、彼らの中心にあったものを見せた。バスケットボールが転がっていた。
「オレたちはサッカーがしたかったんだ。でも、ボールを持ってるこいつが、間違えてバスケのボールを持ってきちゃったんだ」
よく見ると、険しい顔をするこどもたちの輪の中で、ひとりだけかなしそうに目に涙をうかべている子がいた。この子はきっと、間違えたボールを持ってきたことでみんなから非難を浴びていたのだろうと男の子は推測した。
「そこにこの案山子だよ! 案山子の頭に使ってる破れたサッカーボール、オレたちにおくれよ。バスケットボールにかぶせればたちまちサッカーボールに変身さ!」
「でも、そうしたら案山子の頭がなくなっちゃう」
男の子が渋ると、こどもたちはいっせいに彼のことを非難しました。
「ひどいぞ! 困っている人がいたら手を差し伸べなさいって先生にいわれなかったのか!」「おまえはオレたちが必要なものを持っているのにそれをくれないだなんて、そんな無責任なこと許されると思っているのか!」「案山子のものはみんなのもの!」
しかたなく男の子は案山子と相談することにした。もちろんさっさと逃げ出すこともできたが、泣いている子のことが気になった。きっとこのままサッカーができなければ、あの子はもっと酷い目に遭うと予想できた。
こどもたちからすこしはなれたところで男の子は案山子に話しかける。
「かまわないよ。こんなわたしの頭でもよければあげてかまわない」
「頭がなくなっちゃうよ?」
「べつにたいしたことではないさ」
男の子はなんだかみじめな気持ちになった。自分だけ渡すのを渋ったため、まるでわるいことをしたようだった。
案山子のいうとおり、破れたサッカーボールをこどもたちに渡した。こどもたちは歓喜してさっそくバスケットボールにそれをかぶせた。たちまち見た目だけはサッカーボールになった。
「やったぞ、これでサッカーができる!」とこどもたちは大はしゃぎし、すぐにボールを蹴りはじめた。男の子はあきれて、頭のなくなった案山子を持って空地をあとにすることにした。
空地を出ようとしたところで背中をつつかれた。ふり返ってみると、ボールを間違えて持ってきた子が立っていた。片手をのばしたままで、男の子と目が合うとすこしたじろいだ。しかしすぐに笑顔を見せて「ありがとう」といった。それからスカートのポケットからビー玉を四個とり出し、男の子に手渡した。こどもたちの輪へ戻っていく女の子の後ろ姿にむかって、男の子と案山子は手をふった。