2.DICTの真実(1)
「今、世界のほとんどの国でDICTが採用され、ほとんどの人の体にDICTが埋め込まれています。
でも、世界の人達はDICTの利便性にばかり注目して、本当の恐ろしさに気づいていません。」
「それって、俺達アンティルの間でも有名なデス・シグナルのことだな。」
有騎がそう言うと、サリファは小さく頷く。
「まあ、確かにそれも恐ろしいけどね。
でも、DICTの恐ろしさはそんな小さなことじゃない。」
サリファがそう言うと、有騎達は驚いた表情を浮かべる。
アンティルのメンバーはDICTを埋め込まれていないが、DICTに関する様々な情報を収集していた。
そして、DICTに搭載された機能で、もっとも恐ろしい機能がデス・シグナルと言う機能だと考えていた。
自分達の気に入らない人間を、信号を送るだけで殺してしまうことができる機能。
ディルスターはそんな機能はないと否定しているが、数年前に世界で一斉にディルスターの政策に反対している人間が突然死したことがあった。
死因は全て突然の心不全。
ディルスターの政策に反対している世界中の政治家や学者達が、ほぼ同時に心不全で亡くなる不自然さ。
デス・シグナルの噂が広まったのは、これがきっかけだった。
そして、これをきっかけに、表立ってディルスターに反対する勢力は世界から影を潜めることとなった。
だが、さっきサリファはそんな恐ろしいデス・シグナルを小さなことと言ったのだ。
「DICTはDILSTAR IC TECHNOLOGYの略称だけど、この略称がそもそもまやかしなの。
デス・シグナルを否定する人達は、ICチップで人が殺せるわけがないって言うでしょ。
それは私もそう思う。
心臓にICチップが埋め込まれるならともかく、普通は腕とかだからね。
しかもICチップにあるのは個人情報を特定するIC番号といくつかの情報があるだけ。
そんなもので人を殺せるわけがない。」
「じゃあ、世界中でディルスターに反対していた人達が突然死したのは?」
奈央がサリファに尋ねる。
「だから、名称に偽りがあるって言ったでしょ。
DICTの本質はICチップなんかじゃないんだよ。」
サリファがそう言うと、有騎達は再び驚いた表情を浮かべる。
DICTの本質がICチップでないとしたら、一体何だと言うのだろうか?
その答えは、すぐにサリファが答えてくれた。
「君達は知らないと思うけど、ICチップって特殊な注射で埋め込むんだよ。
でも、その注射で埋め込まれるのは、ICチップだけじゃないんだよ。
ICチップと一緒に体内に埋め込まれる自己増殖型ナノマシン、これこそがDICTの本当の正体。
ICチップはナノマシンを隠すための偽りの看板にすぎない。」
サリファがそう言うと、奈央の表情が真っ青になる。
「じ、自己増殖型ナノマシン!?」
一方で、有騎と葵は首を傾げる。
「なあ、ナノマシンってなんだ?」
それを聞いて奈央はため息をつくが、サリファは丁寧に説明を始める。
「ナノマシンというのは、すごく小さなマシンのこと。
どれくらい小さいかと言うと、ナノメートルのサイズだから、10の-9乗メートル。
って言っても、イメージつかないと思うから、原子や分子より少し大きいサイズのマシンだって考えればいいよ。」
サリファの説明を聞いて、有騎と葵は納得すると同時に、背筋に寒いものが走る。
「じゃ、じゃあ、もしかしてDICTを搭載している人達の体の中で、その小さなマシンが増殖してるってこと?」
「そういうこと。」
サリファがそう言うと、有騎達の表情はさらに真っ青になる。
体内でナノマシンが増殖していくイメージを思い浮かべたようだ。
「で、でも、ナノマシンなんて、すっごく高価なものじゃないんですか?
世界中の国民の体内に打ち込めるほど大量生産できるようなものなんですか?」
奈央が真っ青になりながら、サリファに尋ねる。
「元々は医療用の技術として、ディルスターのリングウェル研究所というところで研究開発されていた。
そこの研究で低コストで大量生産可能なナノマシンモデルの開発に成功した。
周辺の有機物無機物を使って自己増殖を行なうナノマシンだから、最初の数体さえ作り上げれば、あとは放っておいても自己増殖で増加していく。
ナノマシンが低コストで作成できるようになれば、様々な医療分野の研究がもっと進む。
自己増殖型ナノマシンの技術は、本来は医学の発展のために使われるはずだった。
でも、父はその技術に目をつけて、DICT構想を作り上げた。」
サリファの話の内容に圧倒されてしまい、有騎達は何も言葉を発することができなかった。
サリファは話を続ける。
「確かにICチップで人が殺せるわけがない。
でも、DICTの正体が体内で無数に増殖したナノマシンだとしたら、話は変わってくる。
ナノマシンは血流に乗って、体内のどこにでも移動できる。
もちろん、脳や心臓の中にだってね。」
サリファの話を聞いていた有騎達は思わず自分の胸を抑える。
自分の心臓にナノマシンが入って暴れる光景をイメージしたようだ。
「ICチップは目に見えるけど、ナノマシンは人の目で見ることができない。
だから、DICTを打ち込まれた人達は、自分達の体内にナノマシンが打ち込まれたなんてまず思わない。」
サリファの話は、自分達の想像を絶する恐ろしい話だった。
今や、世界のほとんどの国でDICTは導入されていた。
もちろん、中国やロシア、朝鮮など一部の国は、DICT導入を拒否し続けているが、ほとんどの国でDICTは導入されていた。
「なんてことだ・・・ディルスターの世界征服は、これじゃもう既に終わってるようなものじゃないか。」
あまりのショッキングな話に、有騎は頭を抱えてその場にうなだれる。
「いいえ、話はまだ終わっていません。」
サリファがそう言うと、有騎は再び驚いた表情でサリファの方を見る。
「まだ、何かあると言うのか?」
有騎がそう言うと、サリファは小さく頷き、小さな端末を取り出す。
それは、今までに見たことのない小さな端末だった。
「そ、それは何ですか?」
ずっと沈黙していた奈央がぼそりと尋ねる。
サリファの話に、奈央はすっかりおびえ切っていた。
サリファは端末のスイッチをつけると、端末のモニタに数値が浮かび上がった。
モニターには122.5という数値が表示される。
「これは一体何の数字?」
葵がサリファに尋ねる。
その一方で、有騎と奈央はその数字の横に小さく書かれている単位を見て察しがついたのか、さらに青ざめる。
「これは、大気中の1立方メートルあたりに存在するナノマシンの平均個数を現した数字だよ。
日本は既にDICTが導入されているから、ナノマシン濃度がかなり小さい方だね。
中国やロシアは、この数千倍ぐらいのナノマシン濃度がある。」
サリファがそう言うと、葵は思わず手で口と鼻をふさぐ。
「DICTの導入が進む一方で、中国やロシアといった大国でDICTが導入されない状況に、父は苛立っていた。
だから、リングウェル研究所で開発したんだよ。
空気中で自己増殖するナノマシンをね。」
「じゃ、じゃあ、もしかしてDICTを持っていない俺達の中にも・・・」
有騎がそう言うと、サリファは小さく頷く。
それを見て、奈央と葵はその場にへたり込んでしまう。
「DICTのICチップは、体内のナノマシンを制御するための機能を持っていた。
デス・シグナルなんかはそれを使っていた。
ゼウス・ネットワークから送られてきた信号をICチップが受け取り、そのICチップの情報を元に体内のナノマシンが活動していた。
だから、DICTはディストピアではあるけど、ある意味個別管理されていた。
でも、今、大気中で増殖しているこのナノマシンは違う。
元々アンノウンに対してばらまいたこれは、完全に無差別。
アンノウンにはICチップがないので、特定の個人にデス・シグナルを送る方法は使えない。」
「なんだ、じゃあ俺達はデス・シグナルを受ける心配はないな。」
話を聞いて有騎は少しホッとする。しかし、
「その場合、標的のいる地域全体にデス・シグナルを送り込むことになる。
ナノマシンは直接その信号を受け取り、その地域にいる全ての生命体に無差別で襲いかかる。
つまり、その攻撃を受けたら、その地域にいる全ての人や動物がデス・シグナルで死ぬことになる。
標的だけでなく、標的と同じ場所にいる全ての人がね。」
サリファがそう言うと、有騎の表情が再び青ざめる。
「DICTの機能をバージョンアップしても、それを全ての国民に導入するには莫大なコストがかかってた。
でも、こうしてばらまいてしまえば、自動的に体内に吸収されて、DICTのバージョンアップもされていく。
世界中の人達は、自分達でも気づかないうちに、何度もDICTのバージョンアップを受けていた。
体内のナノマシンは、バージョンアップして、より強力な機能を持つようになっていった。」
「じゃあ、もう世界中の誰も、ディルスターに逆らえないってことじゃないか。
こんなの一体どうやって解決するんだよ?」
有騎がサリファに尋ねる。
有騎の体は小さく震えていた。
ディルスターのことだから、とんでもないことをしているに違いないとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。
サリファから聞かされた話は、自分が想像していた最悪の事態をはるかに凌駕していた。
「残念ながら、ナノマシンを除去する方法はありません。
でも、無害化するだけなら、手がないわけではありません。」
サリファがそう言うと、有騎達は一斉にサリファの方を見る。
「DICTを導入している国民は、世界で約45億人。
でも、無差別ナノマシンを加えると、全ての人の体内にナノマシンが入ってると考えていいでしょう。
その全てのナノマシンを除去することはできません。
でも、そのナノマシンは、全てゼウス・ネットワークの制御下で活動しています。
だから、行わなければいけないことは2つです。
一つは、これ以上のナノマシンの増殖を止めること。
そして、ゼウス・ネットワークの頭脳であるゼウス・ステーションの活動を停止すること。」
「なるほど、ナノマシンの増殖を止めた上で、ナノマシンの頭脳を叩くってわけか。
でも、ディルスターは一体どこからナノマシンをばらまいているんだ?」
有騎が尋ねると、サリファは首を横に振る。
「それは・・・残念ながらまだ特定できていません。」
サリファがそう言うと、有騎は落胆した表情を浮かべる。
「しかし、おおよその見当はついています。」
サリファがそう言うと、有騎は再び顔を上げる。
「ディルスター最大の研究所であるリングウェル研究所。
そして、ゼウス・ネットワークを制御しているゼウス・ステーション。
この二つのどちらかだと思います。」
「で、その二つはどこにあるんですか?」
奈央がサリファに尋ねる。
「どちらも、どこにあるかはわかりません。
ゼウス・ステーションは、地球上の周回のどこかにあるはずですが、その正確な座標は一切公開されていません。
また、地上からも他の衛星からも観測されたことがありません。
そして、リングウェル研究所は、数年前に研究所ごと地上から突然消失しました。」
「消失した?」
サリファの言葉に、有騎は引っかかる。
大きな研究所が突然消失することなんて、ありえることなのだろうか?
それにそんな大きな研究所が消滅するようなことがあれば、もっと話題になっていてもいいはず。
「リングウェル研究所はディルスター最大の研究所であり、ディルスター最大の機密施設です。
一般には存在すら公表されていません。
だから、この事件に関する情報も、全て隠ぺいされました。
私がこのことを知ったのも、つい最近のことでした。」
ディルスターのトップであるクルサード家の長女のサリファですら存在を知らされなかった施設。
そこで、ディルスターは一体どんな研究をしていたのだろうか?
「ここからはあくまで私の推測なので、話そうかどうか迷っているのですが、話してもいいですか?」
ここまで来て、サリファが3人に確認を求めてきた。
サリファは、じっと3人を見つめていた。
サリファが話す以上、推測だけど、根拠はまだ見つかっていないけど、限りなくその可能性は高いということなんだろう。
そして、こうして確認を求めてきたということは、それは今まで聞いた話よりも、さらに衝撃的な事実なのかもしれない。
「もうこれ以上、何を聞かされても驚かないよ。
今までの話ですら、既に衝撃的な話だったんだからさ。」
有騎がそう言うと、奈央も頷く。
「それに、サリファ様の推測だから、多分限りなく事実に近いと思うよ。」
「ありがとう。」
サリファはそう言うと、話を続ける。
「多分、ゼウス・ステーションもリングウェル研究所も、別の空間に存在するんだと思う。」
だが、サリファがそう言うと、有騎と奈央は再び驚いた表情を見せる。
「驚くのも無理はないよね。
レイヴァンが消滅前後のリングウェル研究所付近の衛星写真を見せてくれるまでは、私もこんなことを考えなかった。
リングウェル研究所の消失時、衛星写真は真っ黒になっていた。
そして、きれいに切り取られたかのように、研究所だけが消えていた。
ほんの一瞬でね。
こんなこと、普通ではありえない。」
「確かに・・・」
サリファの話に、奈央も頷く。
「レイヴァンの話によると、昔、アメリカでフィラデルフィア実験と言うのがあったそうです。
それ以降、アメリカは極秘に時空に関する実験を繰り返していたそうです。
そして、父はその研究に目をつけたのではないかということです。」
「でも、アメリカの極秘研究なんて、よく手にすることができたな。」
「今や、アメリカもディルスターの傀儡政権のようなものです。
政府だけでなく、あらゆる組織のトップにディルスターが入り込んでいるそうです。」
「アメリカですら、そんな状態なんだから、ディルスターのやりたい放題になるわけだ。」
有騎はそう言うと、思い切りため息をつく。
「今の話は、単なるレイヴァンの推測にすぎません。
でも、リングウェル研究所では、DICTに関する研究以外に、時空に関する研究もおこなわれていた。
ゼウス・ステーションはそこで開発された技術を使って、別の空間に隠された。
なんせDICTに反対する勢力は世界中にいるからね。
DICTを制御するゼウス・ネットワークの中枢を破壊しようと考える人達から守る上では、これ以上ない安全な場所でしょ。」
「確かに・・・」
「ゼウス・ステーションの隠蔽は、父の計画通りだったと思う。
でも、その後のリングウェル研究所の消失は、父ですら想定外のことだったのかもしれない。」
「えっ、どういうこと?」
奈央が驚いた様子で尋ねる。
「かつて、世界中でディルスターに反対する政治家や学者が、一斉に突然死したことがあったでしょ。」
サリファがそう言うと、有騎も奈央も頷く。
この事件は、デス・シグナルの恐怖を世界中の人達に刻み込んだ事件で、ディルスターによるディストピア世界の完成を象徴するような事件だった。
有騎も奈央も葵も、いや世界中の人でこの事件のことを知らない人はいないだろう。
「ディルスターはデス・シグナルを否定してるけど、あの事件を見れば誰も信用するかよ。
ディルスターに反対していた人達が、世界で同時に心不全で亡くなるなんて、普通に考えてありえない。」
有騎がそう言うと、サリファも頷く。
「そう、私もデス・シグナルの存在自体は否定しないし、実際に存在することもわかっている。
でも、あの大虐殺が父の意図したことだったかはわからない。」
「どういうこと?」
有騎がサリファに尋ねる。
「父はあの時、ロシアへのDICT導入の交渉を進めている時だった。
ロシアは最初は、DICTで管理されることをひどく嫌っていたけど、経済がひどく低迷してしまってから、DICTの導入を検討するようになった。
あともう少しで、ロシアに導入されるところまで話は進んでいたそうです。
でも、あの大虐殺で、ロシアへのDICT導入は見送られた。」
「そりゃあ、あんな大虐殺が起これば、誰だってDICT導入をやめるだろう。
無能な日本政府だって、きっとやめたに違いない。」
「そう、あんな事件を起こされれば、誰だってDICT導入に躊躇するでしょう。
だから、あの大虐殺が、本当に父の意図したものなのか、私にはわからない。
もしかしたら、DICT導入路線から、無差別ナノマシンばらまき路線に方向転換しただけかもしれない。
でも、もしそうじゃないとしたら、とても恐ろしい推論が成り立つ。」
サリファがそう言うと、有騎も奈央も表情をこわばらせる。
この短時間で、一体何回顔を青ざめさせただろうか?
有騎も奈央もそう思った。
「つまり、DICTはディルスターのトップであるアルシアの支配から外れつつあるってこと?」
それが意味するところは、もっと恐ろしいことだった。
世界中の人々の体で増殖している自己増殖型ナノマシン。
それはクルサード派の研究機関でしっかり管理されていたはずだった。
しかし、あの大虐殺がクルサード派の意図したものでないとすれば、それとは別の意志の介入があったと言うことだ。
それが何者かはわからないが、そいつらは大量虐殺の判断を下すことに何の躊躇もない連中だということだ。
そして、あの大虐殺がクルサード派を貶めるための仕業だとすれば、クルサード派と対抗している勢力の可能性が高い。
そう考えた時、有騎の頭にある勢力の名前が浮かんでくる。
バスパグスフ
ディルスター内部で、クルサード派に対抗できる唯一の巨大派閥。
彼らが何らかの方法で、完全ではないにしてもDICTの一部の機能を制御できる力を手に入れたということだろうか?
だとすれば、これからも二つの派閥争いの道具として、全世界の人命が利用される可能性があるということだ。




